マジックは快調に進む。マスターは、ときに小道具を取り出して、笑いを取る。
いまはやっていないが、以前はポラロイドカメラを使って、念写をやっていた。客のひとりに1枚のカードを憶えさせ、客を写真に撮る。すると、現像された写真に、そのカードが心霊写真のように写っている、というものだ。
驚くのはこれだけではない。写真の中にはもうひとつ、何かが写っているのだ。
それは人のときもあったり動物のときもあったりする。私が12年前に撮ってもらったときは、かわいらしい女性が写り込んでいた。撮影の瞬間、被写体の脳内のどこかから、記憶の画像を取り込んでしまうのだと言う。
マスターは「彼女」を、高校時代の同級生ではないか、と言ったが、確かにウチの高校にいそうな雰囲気があった。
人は、一瞬目にしたものでも、脳のどこかにそれを記憶するという。この女性は、確かに私のタイプだった。
3の女性が、整理番号を引く。当たった番号の女性にマスターが、あなたは将来結婚します、と言った。マスターには、これから結婚する人、もしくは結婚した人の横には、伴侶となる人の影が見えるという。ちなみに私は、39歳と42歳のときに言われた。
39歳のときは、次に番号が当たった人は、将来結婚しますと言われ、当たった私が自分の生年月日と任意の絵を描いたのだが、その後マスターが用意した紙には、私が描いた絵と寸分違わぬ絵が描かれていた。マスターは、私が描く絵を予知していたのだ。
また生年月日のほうは、思いもよらぬ方法でピタッと当てられた。
こんなことがあったから、私は将来結婚すると信じたのだ。しかし、とんだスットコドッコイだった。繰り返すが、自分は何てピエロだったのだと思う。
今回当たった女性にマスターは、彼氏の名前を当てると言った。マスターは結婚相手の名前まで分かるらしいのだが、現在付き合っている人と名前が違うとマズイので、結婚相手の名前は言わない。付け加えれば、マスターはその人の一生も分かる、と聞いたことがある。
マスターが女性にメモ用紙を渡す。彼女が名前を書き始める。もちろんマスターからは、彼女の書く字は見えない。そのときマスターが私に、「りょうちゃん」と囁いた。
彼女の書いた字は「亮二」。マスターは名前ばかりか、漢字まで当てていた。
続いて番号が引かれ、今度は私の後ろにいる男性に当たり、彼の生年月日と姓名を当てると言った。当然、両方とも当たった。名前は漢字までピタリ。マスターは、その人を見ればだいたいの名前がイメージできるという。
マスターのパフォーマンスを見た中には、「超能力だ」と驚く客もいて、私もそのひとりなのだが、実際はMr.マリックやセロがやったのと同じネタもある。だからこのブログでも「超能力」という単語は使わず「マジック」で通しているのだが、中にはマスターの超能力を僻んで? あれはマジックだ、と反論する手合いもいるわけだ。
しかしこの、名前や生年月日を当てる能力。これらはどう考えても、マジックとは思われない。もしマリックやセロが、赤の他人の名前をピタリと当てるようなら、そのときこそマスターのマジックを、「マジック」と考えよう。
マスターがカレースプーンを出す。
「いままではメンタルでしたけど、ここからはサイキックですよ」
と言うと、スプーンをスッと曲げてしまった。さらにスッスッとやって、スプーンをグニュグニュに曲げてしまう。
五寸釘を私に渡される。曲げてみてと言われるが、曲がらない。しかしマスターは、これも軽く曲げてしまう。
「スプーンはね、食べると美味しいんですよ。軸のほうはマズイですけど」
そう言ってスプーンをかじり、バリバリ食べる。玉の部分が3分の1ほどなくなり、綺麗な歯形が残った。
先ほど出された500円玉もかじってしまう。やはり3分の1がなくなる。しかし客に返さなければいけないので、マスターがフッと息を吐く。すると500円玉は元に戻ってしまった。
ほかのお金も、いろいろやってしまう。10円玉の拡大縮小も自由自在である。狭いビール瓶の口から、ポンと10円玉を入れてしまう。
100円玉に紙を巻いて、上から爪楊枝を刺すと、そのまま貫通してしまう。それと同じことを、客の女性にもやらせてしまう。もちろん成功する。
千円札に50円玉を当てると、そのままスーッと入ってしまう。50円玉は、千円札の中を自由に泳ぐ。
カウンターの女性は口をあんぐりして、もう言葉も出ない。私は見慣れているので、まだ余裕がある。客の様子を見て、ゲラゲラ笑うだけだ。
「病気はね、自分が治すんですよ。病気を治したい。これはいけません。本人の願望が入っている。治った、と思うのです。医者が薬を出してくれるけど、それは補助的なもので、本質は自分の体が治すんです」
「お客さんの中には、背が低いことで悩んでいる人がいますね。5センチの物差しで1センチを測ると、1センチ誤差があっても大変ですね。だけど10メートルの物差しで測れば、1センチの違いは何でもありません。
身長もそうで、長い距離から見たら、人と比べて数センチ低いことなんて、なんでもありませんね」
マスターがそう言いながら、千円札から50円玉を抜き取ると、そのナニに、サインペンでサインを書いた。いままで硬貨に書いたのは何度も見たが、ナニに書いたのは初めて。もちろんこのナニを出したのは私だから、これは私の物になる。
今年はマスター、何か私に、手厚くしてくれたような気がする。
「最後にひとつ、笑い話を紹介します」
マスターが言う。おっ、これは私が初めて聞く話ではないか? それからマスターは、興味深い話をした。
「ある貧乏な親子が、海に釣りに行きました。小舟を借りて、沖に出ます。でも何時間経っても、ちっとも魚が釣れません。いよいよ陽も沈みかけてきたころ、やっと魚が釣れました。そこはいっぱい魚が釣れて、入れ食い状態です。そこで子供がお父さんに、『ねえ、竿を置いてあるこの位置に、印を付けておこうよ。そうして次もこの位置に竿を置けば、またいっぱい魚が釣れるよ!』と言いました。
でも、ここは海です。やっぱり子供の考えることなんだなあ、とお父さんは苦笑いしながら、子供に言いました。
『バカだなあ。次に来る時、小舟を借りられるおカネがあるかどうか、分からないじゃないか』」
みんなはちょっと考えたあと、クスリと笑った。
「アメリカンジョークですね。これは、子供が考えているほど、大人は利口じゃない、という笑い話ですね。
――ここでは2つの考え方があります。親は自分が思っているほど利口じゃないので、人生もむずかしく考える必要はない。だからおもしろおかしく生きていこう。
もうひとつは、親がこの程度なんだから、自分があとちょっと努力すれば、親を越えられるんだ、ということです。どちらを選ぶかは、あなた方次第ですよ」
一同、しんみりとする。何か私に、これからの生き方を諭されたような気がした。
時刻は午後9時40分。実に2時間半にもおよぶマジックショーが終わった。
大小数えて、約50のマジックを見せてもらった。繰り返すが、それでこのマジックショーは無料である。言うまでもなく、先に払ったおカネは、飲食代だったからだ。
グニュグニュ曲げたスプーンとフォークは何本か用意され、それは300円で売ってくれる。買う、買わないは私たちの自由だ。冒頭に使ったESPカードも販売されており、私が11年前に買ったときは、1,800円だった。
ショーが終わっても、みんな立ち去り難く、マスターと次々に握手を交わす。そのたびにマスターは、客の頭に中指を触れ、疲れを取ってくれる。あるいは元気を注入してくれているのだろうか。
「今年も、ありがとうございました」
「だんだんいいオーラになってきてますよ」
私が御礼を言うと、マスターはすかさず返してくれた。昨年は、私に癒しのオーラが出ていると言ってくれたが、それからオーラの質が変わったのだろうか。
私は、いまさらという気もするが、本日聞きたかったことを、あらためて問うた。
「私…この歳になって失恋しちゃったんですけど、どうやって克服すればいいでしょうか。やっぱり、いまを充実して生きる、ということでしょうか」
マスターは何か言ったが、私のセリフが長かったのでかぶってしまい、言葉がよく聞き取れなかった。ただし最後に、
「いい人が現われますよ」
と言った。この言葉に、どれくらいの重みがあるのだろう。そもそも数年前に言われた私の結婚の運命は、まだ生きているのだろうか。自分の行動が消極的すぎて、結婚の運命が変わってしまった、ということはないのだろうか。
まあいまは、マスターの言葉を信じて、前向きに生きていくしかない。
ここで、マスターの主張をまとめておく。
・過去なんて生ゴミだ。くよくよ考えない。
・いまを充実して生きる。
・物事は何でもいいほうにいいほうに考える。
・物事はイメージしてみる。
・努力は、とりあえず3ヶ月続けてみる。
・夫婦仲が悪くなったら、奥さんをヨソの女性と考える。
・物事をひとつの方向から見ない。多角的に見る。
・固定観念に捉われない。
・自分には出来ない、とハナから否定しない。
・「願望」の言葉は使わない。「完了形」にして使う。
さて、私もマスターを真似て、予言をしておこう。
このブログを読んで、あんでるせんに行く人が何人か出るであろう。
そしてこのブログのコメント欄に、新規の読者からの御礼のコメントが、2012年12月31日までに、一通は来るだろう。また、男性棋士・女流棋士・将棋ファンなど、古参の読者からも、一通は御礼のコメントが入るだろう。
さらに、私に直接会って、あんでるせんに行ってきましたと報告する人が、ひとりはいるだろう。
あんでるせんへの予約は2ヶ月前から、電話にて受け付ける。このブログを読んでいる人なら、電話番号を調べることは容易だろう。予約が取れたあとで早割の飛行機便を決めれば、安くあがる。
なお、第1、第3日曜日は休みだから注意。ショーは1日2回だが、夜の部は遅くなるので、電車利用の人は注意したい。
――マスターの予言どおり、今夜ショーを見た人は、らんらんと目を輝かせて、あんでるせんを後にした。
私が川棚駅前に戻ると、21時57分発の長崎行きがあった。今夜の宿は諫早に取ってある。一度通った路線を引き返すのは旅のポリシーに反するが、やむを得ない。
でも、今年も楽しかった…。店に入る前は傷心だったけれど、少しだけ生きる勇気をもらった。快速電車の中で私は、年に一度の、夢のような出来事を思い返していた。
(27日につづく)
いまはやっていないが、以前はポラロイドカメラを使って、念写をやっていた。客のひとりに1枚のカードを憶えさせ、客を写真に撮る。すると、現像された写真に、そのカードが心霊写真のように写っている、というものだ。
驚くのはこれだけではない。写真の中にはもうひとつ、何かが写っているのだ。
それは人のときもあったり動物のときもあったりする。私が12年前に撮ってもらったときは、かわいらしい女性が写り込んでいた。撮影の瞬間、被写体の脳内のどこかから、記憶の画像を取り込んでしまうのだと言う。
マスターは「彼女」を、高校時代の同級生ではないか、と言ったが、確かにウチの高校にいそうな雰囲気があった。
人は、一瞬目にしたものでも、脳のどこかにそれを記憶するという。この女性は、確かに私のタイプだった。
3の女性が、整理番号を引く。当たった番号の女性にマスターが、あなたは将来結婚します、と言った。マスターには、これから結婚する人、もしくは結婚した人の横には、伴侶となる人の影が見えるという。ちなみに私は、39歳と42歳のときに言われた。
39歳のときは、次に番号が当たった人は、将来結婚しますと言われ、当たった私が自分の生年月日と任意の絵を描いたのだが、その後マスターが用意した紙には、私が描いた絵と寸分違わぬ絵が描かれていた。マスターは、私が描く絵を予知していたのだ。
また生年月日のほうは、思いもよらぬ方法でピタッと当てられた。
こんなことがあったから、私は将来結婚すると信じたのだ。しかし、とんだスットコドッコイだった。繰り返すが、自分は何てピエロだったのだと思う。
今回当たった女性にマスターは、彼氏の名前を当てると言った。マスターは結婚相手の名前まで分かるらしいのだが、現在付き合っている人と名前が違うとマズイので、結婚相手の名前は言わない。付け加えれば、マスターはその人の一生も分かる、と聞いたことがある。
マスターが女性にメモ用紙を渡す。彼女が名前を書き始める。もちろんマスターからは、彼女の書く字は見えない。そのときマスターが私に、「りょうちゃん」と囁いた。
彼女の書いた字は「亮二」。マスターは名前ばかりか、漢字まで当てていた。
続いて番号が引かれ、今度は私の後ろにいる男性に当たり、彼の生年月日と姓名を当てると言った。当然、両方とも当たった。名前は漢字までピタリ。マスターは、その人を見ればだいたいの名前がイメージできるという。
マスターのパフォーマンスを見た中には、「超能力だ」と驚く客もいて、私もそのひとりなのだが、実際はMr.マリックやセロがやったのと同じネタもある。だからこのブログでも「超能力」という単語は使わず「マジック」で通しているのだが、中にはマスターの超能力を僻んで? あれはマジックだ、と反論する手合いもいるわけだ。
しかしこの、名前や生年月日を当てる能力。これらはどう考えても、マジックとは思われない。もしマリックやセロが、赤の他人の名前をピタリと当てるようなら、そのときこそマスターのマジックを、「マジック」と考えよう。
マスターがカレースプーンを出す。
「いままではメンタルでしたけど、ここからはサイキックですよ」
と言うと、スプーンをスッと曲げてしまった。さらにスッスッとやって、スプーンをグニュグニュに曲げてしまう。
五寸釘を私に渡される。曲げてみてと言われるが、曲がらない。しかしマスターは、これも軽く曲げてしまう。
「スプーンはね、食べると美味しいんですよ。軸のほうはマズイですけど」
そう言ってスプーンをかじり、バリバリ食べる。玉の部分が3分の1ほどなくなり、綺麗な歯形が残った。
先ほど出された500円玉もかじってしまう。やはり3分の1がなくなる。しかし客に返さなければいけないので、マスターがフッと息を吐く。すると500円玉は元に戻ってしまった。
ほかのお金も、いろいろやってしまう。10円玉の拡大縮小も自由自在である。狭いビール瓶の口から、ポンと10円玉を入れてしまう。
100円玉に紙を巻いて、上から爪楊枝を刺すと、そのまま貫通してしまう。それと同じことを、客の女性にもやらせてしまう。もちろん成功する。
千円札に50円玉を当てると、そのままスーッと入ってしまう。50円玉は、千円札の中を自由に泳ぐ。
カウンターの女性は口をあんぐりして、もう言葉も出ない。私は見慣れているので、まだ余裕がある。客の様子を見て、ゲラゲラ笑うだけだ。
「病気はね、自分が治すんですよ。病気を治したい。これはいけません。本人の願望が入っている。治った、と思うのです。医者が薬を出してくれるけど、それは補助的なもので、本質は自分の体が治すんです」
「お客さんの中には、背が低いことで悩んでいる人がいますね。5センチの物差しで1センチを測ると、1センチ誤差があっても大変ですね。だけど10メートルの物差しで測れば、1センチの違いは何でもありません。
身長もそうで、長い距離から見たら、人と比べて数センチ低いことなんて、なんでもありませんね」
マスターがそう言いながら、千円札から50円玉を抜き取ると、そのナニに、サインペンでサインを書いた。いままで硬貨に書いたのは何度も見たが、ナニに書いたのは初めて。もちろんこのナニを出したのは私だから、これは私の物になる。
今年はマスター、何か私に、手厚くしてくれたような気がする。
「最後にひとつ、笑い話を紹介します」
マスターが言う。おっ、これは私が初めて聞く話ではないか? それからマスターは、興味深い話をした。
「ある貧乏な親子が、海に釣りに行きました。小舟を借りて、沖に出ます。でも何時間経っても、ちっとも魚が釣れません。いよいよ陽も沈みかけてきたころ、やっと魚が釣れました。そこはいっぱい魚が釣れて、入れ食い状態です。そこで子供がお父さんに、『ねえ、竿を置いてあるこの位置に、印を付けておこうよ。そうして次もこの位置に竿を置けば、またいっぱい魚が釣れるよ!』と言いました。
でも、ここは海です。やっぱり子供の考えることなんだなあ、とお父さんは苦笑いしながら、子供に言いました。
『バカだなあ。次に来る時、小舟を借りられるおカネがあるかどうか、分からないじゃないか』」
みんなはちょっと考えたあと、クスリと笑った。
「アメリカンジョークですね。これは、子供が考えているほど、大人は利口じゃない、という笑い話ですね。
――ここでは2つの考え方があります。親は自分が思っているほど利口じゃないので、人生もむずかしく考える必要はない。だからおもしろおかしく生きていこう。
もうひとつは、親がこの程度なんだから、自分があとちょっと努力すれば、親を越えられるんだ、ということです。どちらを選ぶかは、あなた方次第ですよ」
一同、しんみりとする。何か私に、これからの生き方を諭されたような気がした。
時刻は午後9時40分。実に2時間半にもおよぶマジックショーが終わった。
大小数えて、約50のマジックを見せてもらった。繰り返すが、それでこのマジックショーは無料である。言うまでもなく、先に払ったおカネは、飲食代だったからだ。
グニュグニュ曲げたスプーンとフォークは何本か用意され、それは300円で売ってくれる。買う、買わないは私たちの自由だ。冒頭に使ったESPカードも販売されており、私が11年前に買ったときは、1,800円だった。
ショーが終わっても、みんな立ち去り難く、マスターと次々に握手を交わす。そのたびにマスターは、客の頭に中指を触れ、疲れを取ってくれる。あるいは元気を注入してくれているのだろうか。
「今年も、ありがとうございました」
「だんだんいいオーラになってきてますよ」
私が御礼を言うと、マスターはすかさず返してくれた。昨年は、私に癒しのオーラが出ていると言ってくれたが、それからオーラの質が変わったのだろうか。
私は、いまさらという気もするが、本日聞きたかったことを、あらためて問うた。
「私…この歳になって失恋しちゃったんですけど、どうやって克服すればいいでしょうか。やっぱり、いまを充実して生きる、ということでしょうか」
マスターは何か言ったが、私のセリフが長かったのでかぶってしまい、言葉がよく聞き取れなかった。ただし最後に、
「いい人が現われますよ」
と言った。この言葉に、どれくらいの重みがあるのだろう。そもそも数年前に言われた私の結婚の運命は、まだ生きているのだろうか。自分の行動が消極的すぎて、結婚の運命が変わってしまった、ということはないのだろうか。
まあいまは、マスターの言葉を信じて、前向きに生きていくしかない。
ここで、マスターの主張をまとめておく。
・過去なんて生ゴミだ。くよくよ考えない。
・いまを充実して生きる。
・物事は何でもいいほうにいいほうに考える。
・物事はイメージしてみる。
・努力は、とりあえず3ヶ月続けてみる。
・夫婦仲が悪くなったら、奥さんをヨソの女性と考える。
・物事をひとつの方向から見ない。多角的に見る。
・固定観念に捉われない。
・自分には出来ない、とハナから否定しない。
・「願望」の言葉は使わない。「完了形」にして使う。
さて、私もマスターを真似て、予言をしておこう。
このブログを読んで、あんでるせんに行く人が何人か出るであろう。
そしてこのブログのコメント欄に、新規の読者からの御礼のコメントが、2012年12月31日までに、一通は来るだろう。また、男性棋士・女流棋士・将棋ファンなど、古参の読者からも、一通は御礼のコメントが入るだろう。
さらに、私に直接会って、あんでるせんに行ってきましたと報告する人が、ひとりはいるだろう。
あんでるせんへの予約は2ヶ月前から、電話にて受け付ける。このブログを読んでいる人なら、電話番号を調べることは容易だろう。予約が取れたあとで早割の飛行機便を決めれば、安くあがる。
なお、第1、第3日曜日は休みだから注意。ショーは1日2回だが、夜の部は遅くなるので、電車利用の人は注意したい。
――マスターの予言どおり、今夜ショーを見た人は、らんらんと目を輝かせて、あんでるせんを後にした。
私が川棚駅前に戻ると、21時57分発の長崎行きがあった。今夜の宿は諫早に取ってある。一度通った路線を引き返すのは旅のポリシーに反するが、やむを得ない。
でも、今年も楽しかった…。店に入る前は傷心だったけれど、少しだけ生きる勇気をもらった。快速電車の中で私は、年に一度の、夢のような出来事を思い返していた。
(27日につづく)