2日(金)のLPSA芝浦サロンは、松尾香織女流初段の担当だった。金曜日の香織女流初段は久しぶり。私の調べに間違いがなければ、5月27日以来の金曜登板だった。
香織女流初段とはもちろん「マッカラン勝負」を継続中で、この対決のために、私はサロンに出向いたのだった。私との指導対局は、7月4日の「LPSAジャンジャンマンデー」以来となる。
午後5時すぎに入ると、S夫(おっと)氏と、サロンでよく見かける方が、指導対局を受けていた。
しばらくしてS夫氏の対局が終わった。感想戦も終わり、私がその席につく。
「松尾先生がやっと金曜担当になったので、きょうは来ました」
「ありがとー。でも、ジャンジャンマンデーにも来てよー」
「機会があったら伺います。きょうは『マッカラン勝負』ですから」
「2年に亘ることになっちゃったわねー」
という会話を経て、指導対局開始。と、そこへHon氏が顔を見せた。
これは意外だった。というのは、きょうは駒込で「ジョナ研」を開こうか、という話もあったのだが、事前のリサーチでは、Hon氏は欠席の意を示していたからだ。アンタ、2日はサロンに来る予定だったのか!?
抜け駆けをした??Hon氏に、自分のことはそっちのけで、私は苦笑したのだった。
先に指していた方の将棋も終わり、香織女流初段VS.Hon氏と私の2面指しとなった。
私の将棋が先に終わり、ひき続きおかわり対局を行う。Hon氏の将棋は相振り飛車。香織女流初段が△2四飛・△2七歩の形から、△2八銀と打ち、必勝形。きょうは竜王戦七番勝負の第5局が行われていたが、渡辺明竜王の攻め手と偶然にも同じだった。
これはいくばくもなく終わり、Hon氏もおかわり対局となった。
しかし2局目は、私の将棋が泥仕合となり、Hon氏の将棋が先に終わってしまった。もっともこの将棋は、香織女流初段の飛車落ち。ふたりの手合いは平手が妥当だから、これはおかしい。Hon氏、そこまでして指導対局に勝ちたいのか。
Hon氏は気分よく、表へ煙草を吸いに行く。これで香織女流初段と私、ふたりきりである。この状況は、いつもドキドキしてしまう。意外と目立たないが、「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」で、香織女流初段は、同じ人妻の岩根忍女流二段を抑えて、堂々の5位である。60余名いる女流棋士の中でこの数字は香織女流初段、大いに誇っていいことである。
やがてHon氏が戻ってきた。私はホッとしたような、残念なような、複雑な気持ちになった。
私の将棋は、160手を越える熱闘になった。香織女流初段とここまでねっとり指したのは初めて。たっぷり香織女流初段を堪能してしまった。
この機会に香織女流初段との思い出を書けば、香織女流初段に初めて指導対局をいただいたときは、角落ちの手合いだった。その前の週に私は「金曜サロンデビュー」を果たしたのだが、藤森奈津子女流三段(当時)との角落ち戦では私が快勝し、大いに自信を深めていた。
しかし香織女流初段はさすがの指し回しで、私の玉に詰めろを掛けられてしまった。前回の勝利で、角落ちは私のものという思いが強かったから、この詰めろには驚いた。
結果は私が幸いしたが、上手には何度も勝ち筋があり、私は女流棋士の強さを身をもって感じた。感想戦も論理的かつ的確で、私はすっかり香織女流初段に魅せられてしまったのだった。
なぜ私のココロの姉弟子が香織女流初段なのか。それはこのようなことがあったからである。
ところがきょうの香織女流初段は終始自信がなさそうで、当時の面影はまったくなかった。これはどうしたことだろう。香織女流初段を応援している将棋ファンはいっぱいいる。もっと心身を鍛えて、いい将棋を指してもらいたい。
そんな香織女流初段を、思い切って飲みに誘ってみる。香織女流初段は酒の飲み方が綺麗で、酔ってくると目がトロンとする。そこが妙に色っぽい。
しかし残念ながら、香織女流初段の答えは「NO」だった。ホントかウソかは分からぬが、翌朝は早いらしい。それならやむを得ないが、のんべえの香織女流初段すら酒に誘えぬようでは、Ayakoさんとの飲み会など、夢のまた夢である。
時刻はまだ7時40分だが、いまさらHon氏と将棋を指してもしょうがない。
Hon氏と私はサロンを辞し、近くのコーヒー店に寄った。もし棋友とサシで話すとしたら、私は迷わずHon氏を選ぶ。そのくらい、Hon氏と話しているときは楽しい。
今回もまたHon氏から、凄絶な話を聞いた。いや以前も聞いたことはあるかもしれないのだが、私はヒトの話は記憶に留めないので、いつ聞いても話が新鮮なのだ。
Hon氏はいつもニコニコしているが、実は冷徹に、人間と世の中を見ている。その評論はためになり、可笑しくもある。私たちはゲラゲラ笑いまくって、10時すぎに店を出たのだった。
香織女流初段とはもちろん「マッカラン勝負」を継続中で、この対決のために、私はサロンに出向いたのだった。私との指導対局は、7月4日の「LPSAジャンジャンマンデー」以来となる。
午後5時すぎに入ると、S夫(おっと)氏と、サロンでよく見かける方が、指導対局を受けていた。
しばらくしてS夫氏の対局が終わった。感想戦も終わり、私がその席につく。
「松尾先生がやっと金曜担当になったので、きょうは来ました」
「ありがとー。でも、ジャンジャンマンデーにも来てよー」
「機会があったら伺います。きょうは『マッカラン勝負』ですから」
「2年に亘ることになっちゃったわねー」
という会話を経て、指導対局開始。と、そこへHon氏が顔を見せた。
これは意外だった。というのは、きょうは駒込で「ジョナ研」を開こうか、という話もあったのだが、事前のリサーチでは、Hon氏は欠席の意を示していたからだ。アンタ、2日はサロンに来る予定だったのか!?
抜け駆けをした??Hon氏に、自分のことはそっちのけで、私は苦笑したのだった。
先に指していた方の将棋も終わり、香織女流初段VS.Hon氏と私の2面指しとなった。
私の将棋が先に終わり、ひき続きおかわり対局を行う。Hon氏の将棋は相振り飛車。香織女流初段が△2四飛・△2七歩の形から、△2八銀と打ち、必勝形。きょうは竜王戦七番勝負の第5局が行われていたが、渡辺明竜王の攻め手と偶然にも同じだった。
これはいくばくもなく終わり、Hon氏もおかわり対局となった。
しかし2局目は、私の将棋が泥仕合となり、Hon氏の将棋が先に終わってしまった。もっともこの将棋は、香織女流初段の飛車落ち。ふたりの手合いは平手が妥当だから、これはおかしい。Hon氏、そこまでして指導対局に勝ちたいのか。
Hon氏は気分よく、表へ煙草を吸いに行く。これで香織女流初段と私、ふたりきりである。この状況は、いつもドキドキしてしまう。意外と目立たないが、「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」で、香織女流初段は、同じ人妻の岩根忍女流二段を抑えて、堂々の5位である。60余名いる女流棋士の中でこの数字は香織女流初段、大いに誇っていいことである。
やがてHon氏が戻ってきた。私はホッとしたような、残念なような、複雑な気持ちになった。
私の将棋は、160手を越える熱闘になった。香織女流初段とここまでねっとり指したのは初めて。たっぷり香織女流初段を堪能してしまった。
この機会に香織女流初段との思い出を書けば、香織女流初段に初めて指導対局をいただいたときは、角落ちの手合いだった。その前の週に私は「金曜サロンデビュー」を果たしたのだが、藤森奈津子女流三段(当時)との角落ち戦では私が快勝し、大いに自信を深めていた。
しかし香織女流初段はさすがの指し回しで、私の玉に詰めろを掛けられてしまった。前回の勝利で、角落ちは私のものという思いが強かったから、この詰めろには驚いた。
結果は私が幸いしたが、上手には何度も勝ち筋があり、私は女流棋士の強さを身をもって感じた。感想戦も論理的かつ的確で、私はすっかり香織女流初段に魅せられてしまったのだった。
なぜ私のココロの姉弟子が香織女流初段なのか。それはこのようなことがあったからである。
ところがきょうの香織女流初段は終始自信がなさそうで、当時の面影はまったくなかった。これはどうしたことだろう。香織女流初段を応援している将棋ファンはいっぱいいる。もっと心身を鍛えて、いい将棋を指してもらいたい。
そんな香織女流初段を、思い切って飲みに誘ってみる。香織女流初段は酒の飲み方が綺麗で、酔ってくると目がトロンとする。そこが妙に色っぽい。
しかし残念ながら、香織女流初段の答えは「NO」だった。ホントかウソかは分からぬが、翌朝は早いらしい。それならやむを得ないが、のんべえの香織女流初段すら酒に誘えぬようでは、Ayakoさんとの飲み会など、夢のまた夢である。
時刻はまだ7時40分だが、いまさらHon氏と将棋を指してもしょうがない。
Hon氏と私はサロンを辞し、近くのコーヒー店に寄った。もし棋友とサシで話すとしたら、私は迷わずHon氏を選ぶ。そのくらい、Hon氏と話しているときは楽しい。
今回もまたHon氏から、凄絶な話を聞いた。いや以前も聞いたことはあるかもしれないのだが、私はヒトの話は記憶に留めないので、いつ聞いても話が新鮮なのだ。
Hon氏はいつもニコニコしているが、実は冷徹に、人間と世の中を見ている。その評論はためになり、可笑しくもある。私たちはゲラゲラ笑いまくって、10時すぎに店を出たのだった。