私は愕然とした。頭頂部が、少し薄くなっていたからだ。髪を掻き分けると、完全に地肌が見えてしまっている。マジか、これ…。
いやいままでも、オヤッと思うことはあったのだ。「大野教室ブログ」には指導対局の風景が載るが、そこに写っている私の頭が、少し薄いのでは…と不審に思っていたのだ。
私の顔は、目はド近眼、鼻は鼻炎、口は歯槽膿漏、耳は耳鳴りで、いいところが何もない。髪は白髪が混じっているが、幸いハゲにはならず、そこだけは完全に安心していた。しかし私の抜け毛は、確実に進行していたのだ。
この世の終わり――。私は目の前が暗くなった。
17日(土)午前2時すぎまで、スマホで投稿画像を見る。ダメだ、こんなのを見ていたら、また眠れなくなってしまう。いまの時間なら温泉も空いていると思ったが、もう部屋を出る気力はなかった。
軽くシャワーを浴び、3時に就寝した。
「スーパーホテルCity熊本」の朝食は、バイキング形式で、無料だった。ホテル代が3,980円だから、これはかなりおトクである。
焼きサバやソーセージのほかに熊本名物「太平燕(タイピーエン)」もあり、すべてのおかずが上品な味で、うまかった。
大いに満足して、熊本駅に向かう。きょうの予定は、長崎県・大村線の某駅前にある喫茶店で、マスターのサイキックマジックを拝見することである。この店は完全予約制で、飛び入りはできない。私も夕方5時に、予約を取ってある。
以前もチラッと書いたが、私がこの喫茶店に初めて訪れたのは1999年12月18日(土)である。サラリーマン時代、営業先の社長から「こんなおもしろい喫茶店がある」と聞かされたのが、1996年だか97年だった。
その喫茶店のマスターが大した人物で、喫茶店を訪れた客に「余興」という形でさまざまなマジックを披露するのだが、それがマジックの域を越えた、凄まじいものだという。
いわく、客のフルネームを当てる、両親の名前を当てる、生年月日を当てる…などなど。「○○さん、いらっしゃいませ」とかマスターがふつうに言うので、初めての客は仰天するという。
俄かには信じがたいが、そんな喫茶店があるなら一度行ってみたいものだと考え、それが実現したのが、1999年12月18日だったというわけだ。
その日私は某駅に降り、駅前の右手にある喫茶店に入った。店の名前は聞いたのだが忘れてしまい、適当な喫茶店に入ったのだ。しかしここがサイキック喫茶店には見えず、私は軽食を摂ると、店の女主人に「実は…」と聞いた。すると女主人は、「それはバスターミナルの向かいにあるよ」と教えてくれた。
とんだ回り道だったようだ。ただこのロスタイムが、私のその後の人生を微妙に変えることになる。
喫茶店は2階にあったが、その前に、マスターのご両親が経営している1階のお菓子屋で「整理券」をもらう必要がある。
しかしお父さんは、今回のショーは満員になったので、夜7時の回に参加してほしい、という。いま、時刻は午後3時半である。3時間半待ち――。けっこうな時間だが、私はマジックショーを見に来たのだ。承服するしかない。近辺にこれといった観光地もないので、私は沿線を散歩し、ひたすら時間をつぶしたのだった。
満を持して、7時に喫茶店に入った。しかしほかに客はいない。私はコーヒーを頼む。ここで本当にマジックショーが行われるのか? 疑念が生じる。男性客が2人来た。カレーとコーヒーを頼んだようだ。彼らもショーを見に来たのだろうか。
東京の社長の話では、この喫茶店はたいへんな人気で、かつては店の前に、朝6時から長蛇の列が出来ていたという。しかしいま、店内は3人である。あまりにも人が少なくないか?
8時半を過ぎた。まだマジックショーはやらないのか。今夜は9時から、テレビ朝日系で「混浴露天風呂連続殺人」がある。いまからなら、まだ間に合う。店を出て、宿に入っちゃおうか。
と思った時、マスターがカウンター越しに現れた。丹波哲郎の息子、丹波義隆に似ていた。そして待望のマジックショーが始まったのだが、その展開は、私の想像をはるかに越えたものだった。いま目の前で起こっていることが、信じられなかった。何か、別の世界に迷い込んだような、不思議な感覚に捉われた。
客が3人しかいないという「贅沢感」も、その衝撃を増幅させた。もし私が1回前のショーを観戦していたら、30人の中で見ることになり、それほど有難味も感じなかったかもしれない。
私はこの喫茶店が大いに気に入った。それから私は、12月の第3土曜日は毎年、この喫茶店にお邪魔しようと決めたのだった。
熊本からは、熊本港からフェリーに乗り、長崎県の島原半島に出る。「SUN Qパス」は、一部の船も利用可能なのだ。そこからバスを乗り継ぎ、目標の最寄り駅まで行くつもりである。
2日をかけて長崎に行くのだったら、最初から長崎空港に降りればよかったじゃないか、という人もいるだろうが、こうやって時間をかけて、じっくり高揚感を高めていくのがいいのである。
駅のみどりの窓口で、フェリーの時刻を確認する。いまからなら11時00分発があるようだ。
バスターミナルに出るが、熊本港行きのバスは、9時06分が出てしまった。「旅では午前中の時間を有効に使うこと」は、トレック石垣島ユースホステルのオバチャンの訓話だが、どうも朝はのんびりしてしまう。次のバスは10時22分である。もう少し早い便を利用するべきだったと思う。
駅のまん前に、「森都心プラザ」なるものが完成していた。とりあえず中に入り、学生の後をついていくと、3階が図書館になっていた。
また図書館かと思うが、まあいい。ためしに将棋コーナーを探すと、あった。中野英伴氏の「棋神」が立てかけられているが、これは珍しい。これは棋書も充実しているだろうとフンだら案の定で、ここ5年以内に発行されたと思しき棋書が、書棚にビッシリ収められていた。数えてみると、110冊もある。
これは将棋ファンにとって、宝の山である。ここで半日楽しんじゃおうか、とも考えたが、私はそんなに将棋は好きではないのだった。
駅前に戻ると、10時25分の港行きシャトルバスが来たので、こちらに乗る。10時45分、港着。
熊本港では、11時00分発のフェリーは九商フェリーで、「SUN Qパス」の使用は不可だった。だが11時10分発の超高速フェリーは、熊本フェリーの運航で乗車可とのこと。で、こちらに乗った。
船内では、四ツ葉のクローバーの、ネームプレートキーホルダーが売られていた。とりあえず「Minami」を探したら、あった。ほかに「Hiroe」「……」「……」も探したが、ない。「Minami」だけ購入する。
11時40分、高速フェリーは島原外港に着いた。
ここから、島原半島の付け根である諫早に向かう。ルートは、島の左回り、右回り、山越え、の3つがあるが、私は山越えルートを選ぶ。雲仙温泉で一浴、と考えていたからだ。
次の雲仙経由諫早行きは、12時26分。しかしその次のバスは14時56分である。このバスの諫早到着が16時52分。これでは温泉に入る余裕などない。島原半島は、私のイメージより、はるかに大きいのだった。
12時26分、数人の客を乗せて、バスは発車した。バスはくねくねと山道を登る。鉄道でこの急勾配を登ることは不可能で、これはバスに軍配が上がる。私は、運転手のドライブテクニックを堪能した。
雲仙温泉着。ここですべての客が降り、私ひとりだけになった。鉄道ならともかく、バスに乗りながら諫早まで乗り通す客も珍しいと思うが、私の目的はその先の先にあるのだから、しょうがない。
雲仙温泉の湯けむりを瞥見して、14時28分、島鉄バスは諫早バスターミナルに到着した。
ここからは長崎県営バスの運転になるが、某駅までの直通バスがない。というより、路線が通じていないようだ。窓口のお嬢さんに聞くと、鉄道を利用してください、とのこと。まあ、そうであろう。
私はとりあえず14時50分発の大村方面行きに乗る。大村駅前、15時23分着。
もうこんな時間になってしまった。ここからは、JRのお世話になるしかない。
私は450円の切符を買う。15時45分発の快速シーサイドライナーに乗った。16時15分、川棚着。ここが、私が毎年訪れている、サイキック喫茶店の最寄り駅である。
(つづく)
いやいままでも、オヤッと思うことはあったのだ。「大野教室ブログ」には指導対局の風景が載るが、そこに写っている私の頭が、少し薄いのでは…と不審に思っていたのだ。
私の顔は、目はド近眼、鼻は鼻炎、口は歯槽膿漏、耳は耳鳴りで、いいところが何もない。髪は白髪が混じっているが、幸いハゲにはならず、そこだけは完全に安心していた。しかし私の抜け毛は、確実に進行していたのだ。
この世の終わり――。私は目の前が暗くなった。
17日(土)午前2時すぎまで、スマホで投稿画像を見る。ダメだ、こんなのを見ていたら、また眠れなくなってしまう。いまの時間なら温泉も空いていると思ったが、もう部屋を出る気力はなかった。
軽くシャワーを浴び、3時に就寝した。
「スーパーホテルCity熊本」の朝食は、バイキング形式で、無料だった。ホテル代が3,980円だから、これはかなりおトクである。
焼きサバやソーセージのほかに熊本名物「太平燕(タイピーエン)」もあり、すべてのおかずが上品な味で、うまかった。
大いに満足して、熊本駅に向かう。きょうの予定は、長崎県・大村線の某駅前にある喫茶店で、マスターのサイキックマジックを拝見することである。この店は完全予約制で、飛び入りはできない。私も夕方5時に、予約を取ってある。
以前もチラッと書いたが、私がこの喫茶店に初めて訪れたのは1999年12月18日(土)である。サラリーマン時代、営業先の社長から「こんなおもしろい喫茶店がある」と聞かされたのが、1996年だか97年だった。
その喫茶店のマスターが大した人物で、喫茶店を訪れた客に「余興」という形でさまざまなマジックを披露するのだが、それがマジックの域を越えた、凄まじいものだという。
いわく、客のフルネームを当てる、両親の名前を当てる、生年月日を当てる…などなど。「○○さん、いらっしゃいませ」とかマスターがふつうに言うので、初めての客は仰天するという。
俄かには信じがたいが、そんな喫茶店があるなら一度行ってみたいものだと考え、それが実現したのが、1999年12月18日だったというわけだ。
その日私は某駅に降り、駅前の右手にある喫茶店に入った。店の名前は聞いたのだが忘れてしまい、適当な喫茶店に入ったのだ。しかしここがサイキック喫茶店には見えず、私は軽食を摂ると、店の女主人に「実は…」と聞いた。すると女主人は、「それはバスターミナルの向かいにあるよ」と教えてくれた。
とんだ回り道だったようだ。ただこのロスタイムが、私のその後の人生を微妙に変えることになる。
喫茶店は2階にあったが、その前に、マスターのご両親が経営している1階のお菓子屋で「整理券」をもらう必要がある。
しかしお父さんは、今回のショーは満員になったので、夜7時の回に参加してほしい、という。いま、時刻は午後3時半である。3時間半待ち――。けっこうな時間だが、私はマジックショーを見に来たのだ。承服するしかない。近辺にこれといった観光地もないので、私は沿線を散歩し、ひたすら時間をつぶしたのだった。
満を持して、7時に喫茶店に入った。しかしほかに客はいない。私はコーヒーを頼む。ここで本当にマジックショーが行われるのか? 疑念が生じる。男性客が2人来た。カレーとコーヒーを頼んだようだ。彼らもショーを見に来たのだろうか。
東京の社長の話では、この喫茶店はたいへんな人気で、かつては店の前に、朝6時から長蛇の列が出来ていたという。しかしいま、店内は3人である。あまりにも人が少なくないか?
8時半を過ぎた。まだマジックショーはやらないのか。今夜は9時から、テレビ朝日系で「混浴露天風呂連続殺人」がある。いまからなら、まだ間に合う。店を出て、宿に入っちゃおうか。
と思った時、マスターがカウンター越しに現れた。丹波哲郎の息子、丹波義隆に似ていた。そして待望のマジックショーが始まったのだが、その展開は、私の想像をはるかに越えたものだった。いま目の前で起こっていることが、信じられなかった。何か、別の世界に迷い込んだような、不思議な感覚に捉われた。
客が3人しかいないという「贅沢感」も、その衝撃を増幅させた。もし私が1回前のショーを観戦していたら、30人の中で見ることになり、それほど有難味も感じなかったかもしれない。
私はこの喫茶店が大いに気に入った。それから私は、12月の第3土曜日は毎年、この喫茶店にお邪魔しようと決めたのだった。
熊本からは、熊本港からフェリーに乗り、長崎県の島原半島に出る。「SUN Qパス」は、一部の船も利用可能なのだ。そこからバスを乗り継ぎ、目標の最寄り駅まで行くつもりである。
2日をかけて長崎に行くのだったら、最初から長崎空港に降りればよかったじゃないか、という人もいるだろうが、こうやって時間をかけて、じっくり高揚感を高めていくのがいいのである。
駅のみどりの窓口で、フェリーの時刻を確認する。いまからなら11時00分発があるようだ。
バスターミナルに出るが、熊本港行きのバスは、9時06分が出てしまった。「旅では午前中の時間を有効に使うこと」は、トレック石垣島ユースホステルのオバチャンの訓話だが、どうも朝はのんびりしてしまう。次のバスは10時22分である。もう少し早い便を利用するべきだったと思う。
駅のまん前に、「森都心プラザ」なるものが完成していた。とりあえず中に入り、学生の後をついていくと、3階が図書館になっていた。
また図書館かと思うが、まあいい。ためしに将棋コーナーを探すと、あった。中野英伴氏の「棋神」が立てかけられているが、これは珍しい。これは棋書も充実しているだろうとフンだら案の定で、ここ5年以内に発行されたと思しき棋書が、書棚にビッシリ収められていた。数えてみると、110冊もある。
これは将棋ファンにとって、宝の山である。ここで半日楽しんじゃおうか、とも考えたが、私はそんなに将棋は好きではないのだった。
駅前に戻ると、10時25分の港行きシャトルバスが来たので、こちらに乗る。10時45分、港着。
熊本港では、11時00分発のフェリーは九商フェリーで、「SUN Qパス」の使用は不可だった。だが11時10分発の超高速フェリーは、熊本フェリーの運航で乗車可とのこと。で、こちらに乗った。
船内では、四ツ葉のクローバーの、ネームプレートキーホルダーが売られていた。とりあえず「Minami」を探したら、あった。ほかに「Hiroe」「……」「……」も探したが、ない。「Minami」だけ購入する。
11時40分、高速フェリーは島原外港に着いた。
ここから、島原半島の付け根である諫早に向かう。ルートは、島の左回り、右回り、山越え、の3つがあるが、私は山越えルートを選ぶ。雲仙温泉で一浴、と考えていたからだ。
次の雲仙経由諫早行きは、12時26分。しかしその次のバスは14時56分である。このバスの諫早到着が16時52分。これでは温泉に入る余裕などない。島原半島は、私のイメージより、はるかに大きいのだった。
12時26分、数人の客を乗せて、バスは発車した。バスはくねくねと山道を登る。鉄道でこの急勾配を登ることは不可能で、これはバスに軍配が上がる。私は、運転手のドライブテクニックを堪能した。
雲仙温泉着。ここですべての客が降り、私ひとりだけになった。鉄道ならともかく、バスに乗りながら諫早まで乗り通す客も珍しいと思うが、私の目的はその先の先にあるのだから、しょうがない。
雲仙温泉の湯けむりを瞥見して、14時28分、島鉄バスは諫早バスターミナルに到着した。
ここからは長崎県営バスの運転になるが、某駅までの直通バスがない。というより、路線が通じていないようだ。窓口のお嬢さんに聞くと、鉄道を利用してください、とのこと。まあ、そうであろう。
私はとりあえず14時50分発の大村方面行きに乗る。大村駅前、15時23分着。
もうこんな時間になってしまった。ここからは、JRのお世話になるしかない。
私は450円の切符を買う。15時45分発の快速シーサイドライナーに乗った。16時15分、川棚着。ここが、私が毎年訪れている、サイキック喫茶店の最寄り駅である。
(つづく)