ノートパソコンの調子が悪く、メールを開けない。きのうの午後はNTTサポートセンターやメーカーに電話を掛けて、仕事にならなかった。しかもまったく直らない上に、現在はほかにも不具合が出てきた。憂鬱だ…。
4日(日)は前日に続いて、「大野教室」に行った。2日続けて将棋を指す。せっかくの週末、ほかにやることがないのかと自己嫌悪に陥る。
きょうはきのうとうって変わって、いまにも泣きだしそうな曇天だ。ちょっと肌寒く、今年の冬は本当に長いと思う。
教室には午後1時50分に入った。玄関の廊下には新聞紙が敷かれている。スタッフのW氏は来ているようだ。
部屋に入ると、講師の大野八一雄七段が、W氏、Sat氏、某氏、Ho君、Akiちゃん、Minamiちゃんに指導対局を行っていた。W氏が将棋を指しているとは珍しい。
奥の部屋では、植山悦行七段が、Fuj氏とMa君に指導対局を行っていた。
私は植山七段に指導を仰ぐ。少し経ってSai氏も来て、対局に加わった。
手合いは何にしますか? と一応聞かれたが、もちろん角落ちでお願いする。プロ棋士は指導対局で、平手戦を拒否する、許容する、の2パターンに分かれるが、植山七段、大野七段とも後者だ。だが私は、指導対局はあくまでも駒落ちでと思っている。平手戦を指導いただくなら、いまの倍の授業料を払っても全然足りないと思う。
対局開始。植山七段は△5三銀~△6二金から、きょうは金のほうが△7三~6四と進出してきた。これは植山七段においては、珍しい指し方だ。
△7五歩▲同歩△同金に、私は少考して▲2五飛。ふつうに▲7六歩と受けないで、何かないかと探すのが私流だ。
数手後、私は▲5九金と寄せる。
「中原囲いですか」
と、植山七段が絶句する。「この囲い、固いんだよな…。ちょっと形は違うけど…」
私はその後も突っ張った指し方を続けたが、結局は△7五金(と銀を取る)▲同歩△同飛と1歩損をしてしまった。
しかしここでクサらず、▲7八金と引いて自陣を引き締めたのが辛抱強い一手だった。
「しかしこの形。薄いよなー」
と、植山七段が自陣を見やる。△2二銀、3二王、3三桂、4三金、5三銀…。下手からは広い布陣に見えるが、上手からは、見るのもイヤな陣形らしい。
では中盤からのハイライトを記そう。
上手・植山七段(角落ち):1一香、1三歩、2二銀、2三歩、3二王、3三桂、3四歩、4三金、4五歩、5三銀、5五歩、7四飛、8一桂、8四歩、9一香、9三歩 持駒:銀、歩2
下手・一公:1七歩、1九香、2九飛、3五歩、3七桂、4七歩、4八銀、5六歩、5九金、6六歩、7八金、7九玉、8六角、8七歩、8九桂、9七歩、9九香 持駒:金、歩2
(△4五歩まで)
▲6五金△4四飛▲5五金△7四飛▲5三角成△同金▲7五歩△同飛▲3四歩△5七歩▲3三歩成△同銀▲4五桂△5八銀▲7九玉
まで、一公の勝ち。
▲3五歩に△4五歩と飛車の横利きを通したところ。ここで私は▲6五金と打った。1973(昭和48)年9月3日に指された第12期十段戦リーグ・大山康晴九段対加藤一二三八段戦で、大山九段が▲5五金と厚く打った手を参考にした。
植山七段は、いったんは△4四飛だが、私は▲5五金と寄る。△7四飛には▲5三角成から▲7五歩とし、△同飛に▲3四歩と、狙いの手を実現させた。
植山七段には△5七歩から△5八銀と迫ったが、私の▲7九玉にしばらく考えた後、負けました…と投了してしまった。
上手から見ればもうやる手がない、ということなのだろうが、下手から見れば、ここからの攻防が面白いのである。
投了以下、上手が粘るとすれば△4二銀打で、▲5三桂成△同銀▲4五桂には△6七桂がある。これは以下▲6八玉△7九角▲同金△同飛成▲5七玉で詰まないが、いずれにしても、もう少し終盤戦を楽しみたかった。
局後そんなことをいうと、
「ほらあ、(大沢さん、角落ちなら余裕で)楽しんでるでしょ」
と苦笑いされてしまった。
ずいぶん私の棋力を買われたものだが、私は指導対局を余裕で楽しめるほど強くはない。
少し早いが、ここで3時休みという名の詰将棋タイム。私は外へ空気を吸いに行く。同志は大野七段、植山七段、W氏、Hon氏。私はきのうの詰将棋を引き続き解く。いままでだったら、雑談に終始しているところである。
3時半に再開し、2局目は大野七段と角落ち戦。大野七段にはひそかに2連勝中で、きょう勝てば奇跡の3連勝となる。さすがの大野七段も個々の勝敗は憶えていないだろうから、これはチャンスであった。
将棋は相居飛車で進み、私は矢倉城を築く。△6五歩▲同歩△同金に、私は▲3五歩△同歩▲同角だが、この手は少し危険だった。
大野七段の△8六歩が、当然ながら機敏だった。▲同銀は△6六歩▲6八金引△5六金と擦り込まれるので▲同歩だが、△8五歩の継ぎ歩が厳しい。
▲同歩は△6五の金をうまく消去して△8五飛の十字飛車があるので、私は▲3八飛。
以下△8六歩▲8八歩△3四歩(角を動かしての王手を防いだ)▲6八角△○○○▲6六歩△6四金▲8六銀は、結果的に私が1歩得を果たし、危機を脱したと思った。
ところが…。大野七段の△3五歩に、私は▲3七銀。数手後2五の地点で銀交換になったが、△3六銀から△4七銀成とされ、いつの間にか私が勝てない将棋になった。
結果も完敗。どこがおかしかったのだろう。
感想戦では、上手の△3五歩に▲3七銀と上がったのがマズイ、とされた。ここは上手の位に対抗せず、1歩得を主張すべく▲7七銀と引き、▲7五歩~▲7六銀~▲7七角から厚みを築くのがよかったという。
本譜▲8六銀の形は、上手が歩を突き捨てた格好になり、これでは下手がおもしろくない、とのことだった。
こういう将棋の考え方、すなわち大局観は将棋全般に通用するので、手筋を2つ3つ教わるより、はるかにためになる。
もっとも本局に関しては、△6五同金に▲3五歩と突っかけたのが疑問で、ここはきのうと同じく、▲6六銀とぶつけるのだった。
ともかく大野七段に3連勝は、やはり難しかった。
(つづく)
4日(日)は前日に続いて、「大野教室」に行った。2日続けて将棋を指す。せっかくの週末、ほかにやることがないのかと自己嫌悪に陥る。
きょうはきのうとうって変わって、いまにも泣きだしそうな曇天だ。ちょっと肌寒く、今年の冬は本当に長いと思う。
教室には午後1時50分に入った。玄関の廊下には新聞紙が敷かれている。スタッフのW氏は来ているようだ。
部屋に入ると、講師の大野八一雄七段が、W氏、Sat氏、某氏、Ho君、Akiちゃん、Minamiちゃんに指導対局を行っていた。W氏が将棋を指しているとは珍しい。
奥の部屋では、植山悦行七段が、Fuj氏とMa君に指導対局を行っていた。
私は植山七段に指導を仰ぐ。少し経ってSai氏も来て、対局に加わった。
手合いは何にしますか? と一応聞かれたが、もちろん角落ちでお願いする。プロ棋士は指導対局で、平手戦を拒否する、許容する、の2パターンに分かれるが、植山七段、大野七段とも後者だ。だが私は、指導対局はあくまでも駒落ちでと思っている。平手戦を指導いただくなら、いまの倍の授業料を払っても全然足りないと思う。
対局開始。植山七段は△5三銀~△6二金から、きょうは金のほうが△7三~6四と進出してきた。これは植山七段においては、珍しい指し方だ。
△7五歩▲同歩△同金に、私は少考して▲2五飛。ふつうに▲7六歩と受けないで、何かないかと探すのが私流だ。
数手後、私は▲5九金と寄せる。
「中原囲いですか」
と、植山七段が絶句する。「この囲い、固いんだよな…。ちょっと形は違うけど…」
私はその後も突っ張った指し方を続けたが、結局は△7五金(と銀を取る)▲同歩△同飛と1歩損をしてしまった。
しかしここでクサらず、▲7八金と引いて自陣を引き締めたのが辛抱強い一手だった。
「しかしこの形。薄いよなー」
と、植山七段が自陣を見やる。△2二銀、3二王、3三桂、4三金、5三銀…。下手からは広い布陣に見えるが、上手からは、見るのもイヤな陣形らしい。
では中盤からのハイライトを記そう。
上手・植山七段(角落ち):1一香、1三歩、2二銀、2三歩、3二王、3三桂、3四歩、4三金、4五歩、5三銀、5五歩、7四飛、8一桂、8四歩、9一香、9三歩 持駒:銀、歩2
下手・一公:1七歩、1九香、2九飛、3五歩、3七桂、4七歩、4八銀、5六歩、5九金、6六歩、7八金、7九玉、8六角、8七歩、8九桂、9七歩、9九香 持駒:金、歩2
(△4五歩まで)
▲6五金△4四飛▲5五金△7四飛▲5三角成△同金▲7五歩△同飛▲3四歩△5七歩▲3三歩成△同銀▲4五桂△5八銀▲7九玉
まで、一公の勝ち。
▲3五歩に△4五歩と飛車の横利きを通したところ。ここで私は▲6五金と打った。1973(昭和48)年9月3日に指された第12期十段戦リーグ・大山康晴九段対加藤一二三八段戦で、大山九段が▲5五金と厚く打った手を参考にした。
植山七段は、いったんは△4四飛だが、私は▲5五金と寄る。△7四飛には▲5三角成から▲7五歩とし、△同飛に▲3四歩と、狙いの手を実現させた。
植山七段には△5七歩から△5八銀と迫ったが、私の▲7九玉にしばらく考えた後、負けました…と投了してしまった。
上手から見ればもうやる手がない、ということなのだろうが、下手から見れば、ここからの攻防が面白いのである。
投了以下、上手が粘るとすれば△4二銀打で、▲5三桂成△同銀▲4五桂には△6七桂がある。これは以下▲6八玉△7九角▲同金△同飛成▲5七玉で詰まないが、いずれにしても、もう少し終盤戦を楽しみたかった。
局後そんなことをいうと、
「ほらあ、(大沢さん、角落ちなら余裕で)楽しんでるでしょ」
と苦笑いされてしまった。
ずいぶん私の棋力を買われたものだが、私は指導対局を余裕で楽しめるほど強くはない。
少し早いが、ここで3時休みという名の詰将棋タイム。私は外へ空気を吸いに行く。同志は大野七段、植山七段、W氏、Hon氏。私はきのうの詰将棋を引き続き解く。いままでだったら、雑談に終始しているところである。
3時半に再開し、2局目は大野七段と角落ち戦。大野七段にはひそかに2連勝中で、きょう勝てば奇跡の3連勝となる。さすがの大野七段も個々の勝敗は憶えていないだろうから、これはチャンスであった。
将棋は相居飛車で進み、私は矢倉城を築く。△6五歩▲同歩△同金に、私は▲3五歩△同歩▲同角だが、この手は少し危険だった。
大野七段の△8六歩が、当然ながら機敏だった。▲同銀は△6六歩▲6八金引△5六金と擦り込まれるので▲同歩だが、△8五歩の継ぎ歩が厳しい。
▲同歩は△6五の金をうまく消去して△8五飛の十字飛車があるので、私は▲3八飛。
以下△8六歩▲8八歩△3四歩(角を動かしての王手を防いだ)▲6八角△○○○▲6六歩△6四金▲8六銀は、結果的に私が1歩得を果たし、危機を脱したと思った。
ところが…。大野七段の△3五歩に、私は▲3七銀。数手後2五の地点で銀交換になったが、△3六銀から△4七銀成とされ、いつの間にか私が勝てない将棋になった。
結果も完敗。どこがおかしかったのだろう。
感想戦では、上手の△3五歩に▲3七銀と上がったのがマズイ、とされた。ここは上手の位に対抗せず、1歩得を主張すべく▲7七銀と引き、▲7五歩~▲7六銀~▲7七角から厚みを築くのがよかったという。
本譜▲8六銀の形は、上手が歩を突き捨てた格好になり、これでは下手がおもしろくない、とのことだった。
こういう将棋の考え方、すなわち大局観は将棋全般に通用するので、手筋を2つ3つ教わるより、はるかにためになる。
もっとも本局に関しては、△6五同金に▲3五歩と突っかけたのが疑問で、ここはきのうと同じく、▲6六銀とぶつけるのだった。
ともかく大野七段に3連勝は、やはり難しかった。
(つづく)