きょう平成24年3月18日は、私の46歳の誕生日である。
「46歳」というと世間ではオッサンで、私が若かったころはピンと来なかったが、改めてこの数字を目にすると、もう初老の域に達してしまった、という事実に愕然とする。
肉体的には、年齢以上にガタがきている。もう、だましだまし仕事をする毎日だ。その代わり精神的には全然成長しておらず、自己嫌悪に苛まれる毎日だ。
私の人生設計は誤算だらけだったが、その最たるものは独身だったことだろう。10代のころは、いくら何でもこの歳になれば結婚して、子供のひとりやふたりはいると思った。
これは知人に話す定番の笑い話なのだが、私が新卒で入社したとき、他社のサラリーマンと合コンをしたことがあった。
その中に、33歳で東大卒、34歳で早大卒の独身男がいた。
私はその自己紹介を聞いたとき、腹を抱えて大笑いした。アンタ、その高学歴でその歳まで独身なんて、何をやってたの? と思ったわけだ。
ところがいまとなっては、そのときの彼らを笑えない。彼らの歳を10歳以上も上回ったのに、まだ私はひとりだからである。ヒドイ話だ。
まあ結婚はいいとしても、こんなに収入が少ないとも思わなかった。というか、こんなに転職を繰り返すとは思わなかった。
だが、46歳にして、志半ばで没してしまった友人がいるように、私がこの歳まで大過なく生きてこられたのは、それだけで十分幸せなことなのかもしれない。世間を恨むのは筋違いというものである。
そして将来のことを考えてみるに、近い将来私は、無職になる可能性が高い。これは5手の読みをすれば容易に分かることで、修正も利かないようである。
そこまで分かってるなら破滅を回避すべく努力をしろ、ということになるのだが、それができないのが私の怠惰なところなのである。
結局、そのときさえ楽しければいいという、刹那的な生き方しかできないのだ。だから私は人間のクズなのだ。
まあ、毎日を精一杯生きていくしかない。
ところできょうは日付が変わってすぐ、私のスマホに、ある女性から「おめでとうメッセージ」をいただいた。女性からお祝いのメッセージをもらうなんて、我が人生で初めて。最近はいたずらメールが多いから着信の確認が遅れ、夜中の3時ごろにそのメールを見たときは、大いに感激して、うるうるしてしまった。
私もまだ捨てたものではないらしい。ありがたいことである。
さて、これから将棋を指しに行こう。
「46歳」というと世間ではオッサンで、私が若かったころはピンと来なかったが、改めてこの数字を目にすると、もう初老の域に達してしまった、という事実に愕然とする。
肉体的には、年齢以上にガタがきている。もう、だましだまし仕事をする毎日だ。その代わり精神的には全然成長しておらず、自己嫌悪に苛まれる毎日だ。
私の人生設計は誤算だらけだったが、その最たるものは独身だったことだろう。10代のころは、いくら何でもこの歳になれば結婚して、子供のひとりやふたりはいると思った。
これは知人に話す定番の笑い話なのだが、私が新卒で入社したとき、他社のサラリーマンと合コンをしたことがあった。
その中に、33歳で東大卒、34歳で早大卒の独身男がいた。
私はその自己紹介を聞いたとき、腹を抱えて大笑いした。アンタ、その高学歴でその歳まで独身なんて、何をやってたの? と思ったわけだ。
ところがいまとなっては、そのときの彼らを笑えない。彼らの歳を10歳以上も上回ったのに、まだ私はひとりだからである。ヒドイ話だ。
まあ結婚はいいとしても、こんなに収入が少ないとも思わなかった。というか、こんなに転職を繰り返すとは思わなかった。
だが、46歳にして、志半ばで没してしまった友人がいるように、私がこの歳まで大過なく生きてこられたのは、それだけで十分幸せなことなのかもしれない。世間を恨むのは筋違いというものである。
そして将来のことを考えてみるに、近い将来私は、無職になる可能性が高い。これは5手の読みをすれば容易に分かることで、修正も利かないようである。
そこまで分かってるなら破滅を回避すべく努力をしろ、ということになるのだが、それができないのが私の怠惰なところなのである。
結局、そのときさえ楽しければいいという、刹那的な生き方しかできないのだ。だから私は人間のクズなのだ。
まあ、毎日を精一杯生きていくしかない。
ところできょうは日付が変わってすぐ、私のスマホに、ある女性から「おめでとうメッセージ」をいただいた。女性からお祝いのメッセージをもらうなんて、我が人生で初めて。最近はいたずらメールが多いから着信の確認が遅れ、夜中の3時ごろにそのメールを見たときは、大いに感激して、うるうるしてしまった。
私もまだ捨てたものではないらしい。ありがたいことである。
さて、これから将棋を指しに行こう。