6日(水)の夜、耳鼻科の帰り道で、大沢、と声を掛けられた。振り向くと、胡散臭いおっさんがいた。銭湯帰りのようだ。
「Makabe」
とおっさんはいった。咄嗟には誰だか分からなかったが、小・中と同じ学校だったMakabeだった。会うのはそれ以来だから、31年振りだ。無精ひげを生やしているが、顔は変わっていない。
挨拶もそこそこに、Makabeがいった。
「Sumitaniが亡くなったの、知ってる?」
「エエッ!?」
私は絶句した。「Sumitaniが!? いつ!!」
「2月13日」
「ニガツジュウサンニチ!? そんなに経ってんの!?」
2月13日といえば、私が北海道から帰京した日だ。私が人生最高の1日を経験した旅行の最終日に、Suminaniは天国へ旅立っていたのだ。
Sumitaniは幼稚園からの幼馴染で、中学校まで同じ学校だった。小さい頃はよく泣かされて、あまり好きなヤツではなかったが、歳を重ねるにつれそのわだかまりも弱まり、ここ10年以上、年賀状のやりとりもしていた。
もちろん彼は既婚で、4人の子供をもうけていた。近年は小学校のPTA会長も務め、サークル活動でも率先して動いていた。
そんなSumitaniがガンだ、と知ったのは去年だった。Sumitaniのオヤジさんが亡くなった、とおふくろから聞いたときだったと思う。
しかし現代の医療の進歩は目覚ましい。他人事(ひとごと)を承知で書けば、ガンは治る病気である。Sumitaniのことだからすぐに元気になって、来年はまた私に年賀状を寄越すものと思っていた。
そこへ、まさかの訃報だったのだ。
Sumitaniは充実した日々を送っていたから、太い人生だったと思う。しかし、長い人生ではなかった。いくら太かろうと、短ければなんにもならない。享年46歳は、あまりにも早い一生だった。
そしてその一方で、生きる価値をほとんど見いだせない私が、大過もなく、無為な毎日を過ごしている。なんて、世の中は不公平にできているのだろう。
きょうは東日本大震災から1年である。未曾有の大災害は、多くの人に被害をもたらした。
しかし、生きている人はまだ恵まれているのだろう。
無念なのは、地震や津波に巻き込まれて亡くなった方々だ。どんな形でもいいから、生きたかったに違いない。自分がなんで死ななければならないのか、神を呪ったに違いない。
そんな亡くなった方々の無念を思えば、いまの私の悩みがどんなにちっぽけなものかが分かる。
パソコンの調子が悪い。
大野教室で出される詰将棋が解けない。
これからの仕事をどうしようか。
ブルーレイディスクにたまった録画ビデオを早く編集・ダビングしなければならない。
このブログを今後どうしようか。
最近頭が薄くなった。
腹周りのぜい肉をどうしようか。
最近、老眼が始まったんじゃないか。
中井先生にアタックすべきなのか。
Ayakoさんはどこへ行ったのだろう。
次の「将棋ペンクラブ」に投稿するネタがない。
彼女いない歴を更新中である。
ブタ小屋のような自室をどうしようか。
小さい。どれもこれも、なんて小さい悩みなんだ。
下を見てはいけないけれど、実はいまの私は、最高に幸せなのだと思う。
生きることは、素晴らしいことなのだ。そう思ったら、1日1日を悔いのないよう、しっかり生きていくしかない。
Sumitaniおよび、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を、あらためてお祈りいたします。
「Makabe」
とおっさんはいった。咄嗟には誰だか分からなかったが、小・中と同じ学校だったMakabeだった。会うのはそれ以来だから、31年振りだ。無精ひげを生やしているが、顔は変わっていない。
挨拶もそこそこに、Makabeがいった。
「Sumitaniが亡くなったの、知ってる?」
「エエッ!?」
私は絶句した。「Sumitaniが!? いつ!!」
「2月13日」
「ニガツジュウサンニチ!? そんなに経ってんの!?」
2月13日といえば、私が北海道から帰京した日だ。私が人生最高の1日を経験した旅行の最終日に、Suminaniは天国へ旅立っていたのだ。
Sumitaniは幼稚園からの幼馴染で、中学校まで同じ学校だった。小さい頃はよく泣かされて、あまり好きなヤツではなかったが、歳を重ねるにつれそのわだかまりも弱まり、ここ10年以上、年賀状のやりとりもしていた。
もちろん彼は既婚で、4人の子供をもうけていた。近年は小学校のPTA会長も務め、サークル活動でも率先して動いていた。
そんなSumitaniがガンだ、と知ったのは去年だった。Sumitaniのオヤジさんが亡くなった、とおふくろから聞いたときだったと思う。
しかし現代の医療の進歩は目覚ましい。他人事(ひとごと)を承知で書けば、ガンは治る病気である。Sumitaniのことだからすぐに元気になって、来年はまた私に年賀状を寄越すものと思っていた。
そこへ、まさかの訃報だったのだ。
Sumitaniは充実した日々を送っていたから、太い人生だったと思う。しかし、長い人生ではなかった。いくら太かろうと、短ければなんにもならない。享年46歳は、あまりにも早い一生だった。
そしてその一方で、生きる価値をほとんど見いだせない私が、大過もなく、無為な毎日を過ごしている。なんて、世の中は不公平にできているのだろう。
きょうは東日本大震災から1年である。未曾有の大災害は、多くの人に被害をもたらした。
しかし、生きている人はまだ恵まれているのだろう。
無念なのは、地震や津波に巻き込まれて亡くなった方々だ。どんな形でもいいから、生きたかったに違いない。自分がなんで死ななければならないのか、神を呪ったに違いない。
そんな亡くなった方々の無念を思えば、いまの私の悩みがどんなにちっぽけなものかが分かる。
パソコンの調子が悪い。
大野教室で出される詰将棋が解けない。
これからの仕事をどうしようか。
ブルーレイディスクにたまった録画ビデオを早く編集・ダビングしなければならない。
このブログを今後どうしようか。
最近頭が薄くなった。
腹周りのぜい肉をどうしようか。
最近、老眼が始まったんじゃないか。
中井先生にアタックすべきなのか。
Ayakoさんはどこへ行ったのだろう。
次の「将棋ペンクラブ」に投稿するネタがない。
彼女いない歴を更新中である。
ブタ小屋のような自室をどうしようか。
小さい。どれもこれも、なんて小さい悩みなんだ。
下を見てはいけないけれど、実はいまの私は、最高に幸せなのだと思う。
生きることは、素晴らしいことなのだ。そう思ったら、1日1日を悔いのないよう、しっかり生きていくしかない。
Sumitaniおよび、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を、あらためてお祈りいたします。