9月26日は社団戦第2日目。異例の土曜日開催である。12時集合で、3分前に産業貿易センター台東館・4階に入った。Kan氏がいて、挨拶される。今日はアカシヤ書店も出店していて、星野氏も健在だ。
現在我が将棋ペンクラブは3組で3勝1敗。同星はほかに5チームあるが、勝数の関係で、我がチームは14チーム中、6位につけていた。もちろん今日は4連勝するつもりでいた。
対局は12時30分からだったが、12時過ぎには対戦相手の「こりゃ英和」さんが、すでに対局席に着いていて、焦った。こちらはほかに誰もいない。
何となく人が集まったが、今回は木村晋介会長とAbe氏が休み。監督はKan氏になった。
1回戦は私、藤原息子君、山本氏、藤宮氏、山野氏が対局予定だったが、山本氏の到着が遅れ、藤原父氏が三将に入った。藤原息子君は研修会員、藤宮氏は東大卒の俊英で、どちらも勝ち星が計算できる。
「私と藤原親子で2勝、四将と五将で1勝を目指して頑張りましょう」
と私。チームに5勝0敗は必要ない。3勝すればいいのだ。
対局前に、主催者から一言。コロナに注意、の話だ。
いよいよ対局である。振ってもらって私の後手となった。私は、知己の対局者なら先手番がほしい。相手の棋風を知っているからだ。だが初顔合わせは相手の作戦を事前に知りたいので、後手でも歓迎である。
▲7六歩△3四歩▲5六歩。これには△8八角成▲同銀△5七角で馬を作れるが、どうするか。ふだんならノータイムで角成だが、社団戦だから考えてしまう。しかし結局、馬を作った。
英和氏は中飛車に振り、私は慎重に駒組を進めるが、うかつに歩を突きあげると馬を消される筋が生じるので、意外に神経を遣う。
私は△8六歩▲同歩△同飛の局面があったのだが、そこで▲7七桂というふつうの手を恐れ、躊躇する。結果慎重になりすぎて、却って作戦負けに陥ってしまった。
そのうち英和氏に▲8九飛~▲8六歩から逆襲されて、8筋の受けがなくなってしまった。
第1図以下の指し手。▲8三歩△6二飛▲7一角△6一飛▲8二歩成△6五歩▲7五歩(第2図)
▲8三歩から▲7一角と打たれ、私が相当苦しい。ただ▲7一角では▲8二角から桂香を取りに来られるのもイヤだった。私は△6一飛と引き、最悪、この角と刺し違える形ができたのが大きい。
私は△6五歩と、飛車の可動域を広くする。しかし英和氏は▲7五歩と銀取りに打ち落ち着いたものだ。
第2図以下の指し手。△6六歩▲同歩△同飛▲同飛△同馬▲6七歩△5七馬▲5九飛(第3図)
ここで△6三銀は私は△6六歩。もし▲7四歩なら△6七歩成で先手も気持ち悪かろう。そこで▲6六同歩と取ったが、△同飛▲同飛△同馬で飛車交換になっては、気分的に互角になった。
▲6七歩△5七馬には、▲5八歩を読んでいた。以下△5六馬▲7四歩は、やはり駒損の後手が悪い。
しかし英和氏は▲5九飛。なるほどこれもいい手か。もう戦意が失せそうだった。
第3図以下の指し手。△5四飛▲7四歩△8四馬▲5四飛△同銀▲7二と△8九飛▲5九歩(第4図)
私は戦意を奮い立たせて△5四飛と打ったが、これは粘り強い手だった。そこで▲5七飛△同飛成▲7四歩がイヤだったが、先手も飛車を渡すのは抵抗があるだろう。よって英和氏は▲7四歩と銀を取ったが、私も△8四馬で銀を取り返す。これは後手が大きな得で、完全に後手ペースとなった。
飛車交換後英和氏は▲7二とと寄ったが、これはありがたかった。ここは▲8一とで、▲4四桂を見せられるほうがイヤだった。
しかし△8九飛に▲5九歩の局面で、次の指し手が分からなかった。
第4図からの指し手。△4八銀▲同金△同馬▲4九銀打△5九馬▲7九飛△同飛成▲同金△7七馬▲6二と△4二金寄▲8二飛△5五馬▲4六歩△同馬▲4七銀打△7九馬▲5一と△同金▲5三角成(第5図)
私は歩を持つのが好きなので、第4図では△7四馬なんて手を考えた。しかしこれは馬筋が逸れて悪手。そこで閃いたのが△4八銀である。昔木村一基九段が竜王戦で、ここに銀を打ち快勝した将棋があったのを思い出した。
以下▲4八同金△同馬▲4九銀打で金銀交換だけのようだが、そこで△5九馬といけるのがミソである。
数手後△7七馬~△5五馬と転回し、よほどのヘマをやらない限り、私が勝つと思った。
英和氏は▲4六歩から▲4七銀打と徹底抗戦だが、△7九馬と金得しては、後手が悪いはずがない。
▲5三角成に、次の手は当然。
第5図以下の指し手。△4三金打▲5四馬△同金▲5五歩△同金▲5三銀△5二金打▲同銀成△同金直▲8一飛成△5四金▲3一金△4三玉▲2一金△5七馬▲1一金△3九角(投了図)
まで、一公の勝ち。
△4三金打は当然。以下▲5四馬△同金でまた駒得になり、さすがにこれは私の勝ちである。
だが▲5五歩に△同金は▲4四桂の筋を与えて、調子に乗った。ここはじっと△5三金だった。
▲3一金には△4三玉と上がって勝負あり。△5七馬に▲1一金だったので、△3九角まで、英和氏の投了となった。△5七馬には▲4八桂で先手玉はまだ息が長かったが、仮にそうなっても、先手に勝機はない。
ただ△3九角の局面でも、英和氏はすぐに投げなかった。他者に影響を与えるのを嫌ったのかもしれないが、それなら▲1一金では▲4八桂と打つべきだった。
ほぼ同時に藤原息子君も勝ち、2勝。あとは、藤原父氏が惜敗したが、2勝を上乗せし4-1。まずはうれしい1勝となった。
休み時間もほとんどなく、すぐに2回戦である。私はどこかで抜けることも考えたが、意外に控え選手もいない。相手は「丸紅OKI3」で、私は引き続き大将で出場。以下藤原息子君、山本氏、藤宮氏、Kan氏の布陣だ。
振ってもらって、また私の後手になった。相手の副将氏は、テーブルにコンデジをセットしている。動画で棋譜を記録するのだ。ちなみに私は、この頭がすべてである。記憶に残っていれば、ブログに「再生」するまでだ。
▲7六歩△3四歩▲2六歩。ここで△4四歩なら振り飛車になる。でも本局は指す気にならなかったのと、指したい作戦があったので、△8四歩とした。
▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金。このあと△2五角戦法か△4五角戦法をやってやろうと考えたら、▲1六歩と来られた。
これはなかなか油断のならない手で、先手が逆を持って△4五角(▲6五角)戦法)をやってきた時、変化の△2五飛に▲1七桂と跳ぶ手があるのだ。
また私が△9四歩と待ち△2五角戦法に持ち込んだとしても、この▲1六歩は働いている。単なる様子見ではないのである。
それでもこの局面になった以上、私が横歩を取らざるを得なかった。するとOKI氏は▲2二角成から▲6五角。こっちがやりたい戦法を、先にやられてしまった。
以下定跡通り進み、▲7七桂まで(第1図)。ここで定跡はどうだったか。
(つづく)
現在我が将棋ペンクラブは3組で3勝1敗。同星はほかに5チームあるが、勝数の関係で、我がチームは14チーム中、6位につけていた。もちろん今日は4連勝するつもりでいた。
対局は12時30分からだったが、12時過ぎには対戦相手の「こりゃ英和」さんが、すでに対局席に着いていて、焦った。こちらはほかに誰もいない。
何となく人が集まったが、今回は木村晋介会長とAbe氏が休み。監督はKan氏になった。
1回戦は私、藤原息子君、山本氏、藤宮氏、山野氏が対局予定だったが、山本氏の到着が遅れ、藤原父氏が三将に入った。藤原息子君は研修会員、藤宮氏は東大卒の俊英で、どちらも勝ち星が計算できる。
「私と藤原親子で2勝、四将と五将で1勝を目指して頑張りましょう」
と私。チームに5勝0敗は必要ない。3勝すればいいのだ。
対局前に、主催者から一言。コロナに注意、の話だ。
いよいよ対局である。振ってもらって私の後手となった。私は、知己の対局者なら先手番がほしい。相手の棋風を知っているからだ。だが初顔合わせは相手の作戦を事前に知りたいので、後手でも歓迎である。
▲7六歩△3四歩▲5六歩。これには△8八角成▲同銀△5七角で馬を作れるが、どうするか。ふだんならノータイムで角成だが、社団戦だから考えてしまう。しかし結局、馬を作った。
英和氏は中飛車に振り、私は慎重に駒組を進めるが、うかつに歩を突きあげると馬を消される筋が生じるので、意外に神経を遣う。
私は△8六歩▲同歩△同飛の局面があったのだが、そこで▲7七桂というふつうの手を恐れ、躊躇する。結果慎重になりすぎて、却って作戦負けに陥ってしまった。
そのうち英和氏に▲8九飛~▲8六歩から逆襲されて、8筋の受けがなくなってしまった。
第1図以下の指し手。▲8三歩△6二飛▲7一角△6一飛▲8二歩成△6五歩▲7五歩(第2図)
▲8三歩から▲7一角と打たれ、私が相当苦しい。ただ▲7一角では▲8二角から桂香を取りに来られるのもイヤだった。私は△6一飛と引き、最悪、この角と刺し違える形ができたのが大きい。
私は△6五歩と、飛車の可動域を広くする。しかし英和氏は▲7五歩と銀取りに打ち落ち着いたものだ。
第2図以下の指し手。△6六歩▲同歩△同飛▲同飛△同馬▲6七歩△5七馬▲5九飛(第3図)
ここで△6三銀は私は△6六歩。もし▲7四歩なら△6七歩成で先手も気持ち悪かろう。そこで▲6六同歩と取ったが、△同飛▲同飛△同馬で飛車交換になっては、気分的に互角になった。
▲6七歩△5七馬には、▲5八歩を読んでいた。以下△5六馬▲7四歩は、やはり駒損の後手が悪い。
しかし英和氏は▲5九飛。なるほどこれもいい手か。もう戦意が失せそうだった。
第3図以下の指し手。△5四飛▲7四歩△8四馬▲5四飛△同銀▲7二と△8九飛▲5九歩(第4図)
私は戦意を奮い立たせて△5四飛と打ったが、これは粘り強い手だった。そこで▲5七飛△同飛成▲7四歩がイヤだったが、先手も飛車を渡すのは抵抗があるだろう。よって英和氏は▲7四歩と銀を取ったが、私も△8四馬で銀を取り返す。これは後手が大きな得で、完全に後手ペースとなった。
飛車交換後英和氏は▲7二とと寄ったが、これはありがたかった。ここは▲8一とで、▲4四桂を見せられるほうがイヤだった。
しかし△8九飛に▲5九歩の局面で、次の指し手が分からなかった。
第4図からの指し手。△4八銀▲同金△同馬▲4九銀打△5九馬▲7九飛△同飛成▲同金△7七馬▲6二と△4二金寄▲8二飛△5五馬▲4六歩△同馬▲4七銀打△7九馬▲5一と△同金▲5三角成(第5図)
私は歩を持つのが好きなので、第4図では△7四馬なんて手を考えた。しかしこれは馬筋が逸れて悪手。そこで閃いたのが△4八銀である。昔木村一基九段が竜王戦で、ここに銀を打ち快勝した将棋があったのを思い出した。
以下▲4八同金△同馬▲4九銀打で金銀交換だけのようだが、そこで△5九馬といけるのがミソである。
数手後△7七馬~△5五馬と転回し、よほどのヘマをやらない限り、私が勝つと思った。
英和氏は▲4六歩から▲4七銀打と徹底抗戦だが、△7九馬と金得しては、後手が悪いはずがない。
▲5三角成に、次の手は当然。
第5図以下の指し手。△4三金打▲5四馬△同金▲5五歩△同金▲5三銀△5二金打▲同銀成△同金直▲8一飛成△5四金▲3一金△4三玉▲2一金△5七馬▲1一金△3九角(投了図)
まで、一公の勝ち。
△4三金打は当然。以下▲5四馬△同金でまた駒得になり、さすがにこれは私の勝ちである。
だが▲5五歩に△同金は▲4四桂の筋を与えて、調子に乗った。ここはじっと△5三金だった。
▲3一金には△4三玉と上がって勝負あり。△5七馬に▲1一金だったので、△3九角まで、英和氏の投了となった。△5七馬には▲4八桂で先手玉はまだ息が長かったが、仮にそうなっても、先手に勝機はない。
ただ△3九角の局面でも、英和氏はすぐに投げなかった。他者に影響を与えるのを嫌ったのかもしれないが、それなら▲1一金では▲4八桂と打つべきだった。
ほぼ同時に藤原息子君も勝ち、2勝。あとは、藤原父氏が惜敗したが、2勝を上乗せし4-1。まずはうれしい1勝となった。
休み時間もほとんどなく、すぐに2回戦である。私はどこかで抜けることも考えたが、意外に控え選手もいない。相手は「丸紅OKI3」で、私は引き続き大将で出場。以下藤原息子君、山本氏、藤宮氏、Kan氏の布陣だ。
振ってもらって、また私の後手になった。相手の副将氏は、テーブルにコンデジをセットしている。動画で棋譜を記録するのだ。ちなみに私は、この頭がすべてである。記憶に残っていれば、ブログに「再生」するまでだ。
▲7六歩△3四歩▲2六歩。ここで△4四歩なら振り飛車になる。でも本局は指す気にならなかったのと、指したい作戦があったので、△8四歩とした。
▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金。このあと△2五角戦法か△4五角戦法をやってやろうと考えたら、▲1六歩と来られた。
これはなかなか油断のならない手で、先手が逆を持って△4五角(▲6五角)戦法)をやってきた時、変化の△2五飛に▲1七桂と跳ぶ手があるのだ。
また私が△9四歩と待ち△2五角戦法に持ち込んだとしても、この▲1六歩は働いている。単なる様子見ではないのである。
それでもこの局面になった以上、私が横歩を取らざるを得なかった。するとOKI氏は▲2二角成から▲6五角。こっちがやりたい戦法を、先にやられてしまった。
以下定跡通り進み、▲7七桂まで(第1図)。ここで定跡はどうだったか。
(つづく)