一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第4回 中井広恵の将棋合宿(第3手)・幻の浴衣

2012-05-27 00:05:35 | 将棋イベント
「詰んだ!」
R氏が頓狂な声を上げる。やったか、R氏! 植山悦行七段も対局に戻り、ほどなく投了。R氏、大殊勲の指導対局2連勝となった。
さて、ここからいよいよ将棋三昧である。この旅館は持ち込みはヤバイのだろうが、私たちは飲み物とお菓子を、恐る恐る持ち込んだ。
私はHon氏とリーグ戦。Hon氏は自他ともに認める将棋バカだが、仕事のほうが忙しく、将棋の勉強に時間を割けないはずだ。それなのにHon氏は、戦うたびに強くなっている。これはどういうわけだろう。
Hon氏の後手変態三間飛車穴熊に、私は玉頭位取りに出る。中盤、Hon氏は△5五歩▲同歩△3六歩。私は▲同歩の前に▲2四歩だが、これが疑問。Hon氏に△同角と取られて参った。ここで予定の▲3六歩は、△同飛▲3七歩△7六飛(と銀を取る)▲同金△5七角成(と銀を取る)で先手敗勢。
やむなく私は▲2四同飛△同歩▲3六歩△同飛▲1七角(△4四金取り。金が逃げれば▲3七歩)だが、こんな角を打つようではつらい。以下もずぅっとむずかしい戦いだったが、最後は私が幸いした。
キリのいいところで温泉に行く。浴室はそれほど大きくはないが、綺麗だった。
体を洗っていると、Hon氏も入ってきた。私は頭を洗うが、鏡に映った頭髪がひどいことになっている。また薄毛が進行したんじゃないか!?
「Honさん、どうしよう!」
湯船につかり、Hon氏にわが窮状を訴える。Hon氏は、この歳になれば誰にでも起こりうること、と前置きしたうえで、養毛剤を使うなりすれば、まだ改善の余地はある、と慰めてくれた。
助からないと思っていても、助かっているのだろうか。
脱衣所で浴衣を着る。廊下で、きらびやかな女性とすれ違った。奥を見ると、そんな女性が何人もいる。となりの部屋の某企業が雇った温泉コンパニオンであろう。そんな身分になってみたいが、私たち将棋仲間には、コンパニオンは不要だ。
大広間に入る。時刻は9時半。今度は大野八一雄七段に角落ちで教えていただく。
居飛車でスタートしたが、△6四歩に▲6六歩と受けなかったため、△6五歩と位を張られて苦しくした。私は6筋の歩を切り、矢倉城を構築する。
これで持ち直したと思ったのだが、▲3七角と上がったのが悪手。すかさず△3五歩と突かれ、今度こそホントに苦しくなった。以下も頑張ったが、形勢を挽回することはできなかった。
感想戦では、私がずーっ作戦負けだと思っていたのに、大野七段は自分が悪いと思っていたそうで、それが意外だった。▲3七角に換わる正着は▲4六歩。これで徐々に盛り上がっていけば、下手が十分とのこと。指摘されれば当たり前の手だが、まったく浮かばなかった。要するに、これが私の実力ということだ。
中井広恵女流六段が温泉から上がってきた。しかしふつうのトレーナーを着ているので、肩透かしを喰った。スポーツ選手がグランドに出るときはユニフォームを着る。海に入るときは海水パンツを履く。温泉旅館に泊まったら、浴衣を着るのがスジというものだろう。
温泉といえば中倉宏美女流二段だが、宏美女流二段ならどうだったか。髪をアップにして、浴衣を着てくれたのではないだろうか。そんで私たちがヒューヒュー、とやってスマホを構えたら、オホホホ、と笑って、おずおずとポーズを取ってくれたような気がする。
いずれにしても中井先生、ガッカリであった。
その中井女流六段に、再び教えていただく。この合宿では、限度はあるが、何局教わってもいいのだ。風呂上がりの中井女流六段と将棋。この瞬間、たしかに私は幸せだった。
将棋はひねり飛車模様。しかし中井女流六段に△7四歩とされ、むりやり▲7五歩と動いたが、以下角を圧迫され、気がついたらこちらの指す手がなくなっていた。無念の投了。
続いてR氏とのリーグ戦。R氏とは私が香か角を引く手合いなのだが、R氏は平手を望む。その代わり持ち時間にハンデを持たせ、R氏の35分に対し、私の5分切れ負けになった。
将棋は私の後手四間飛車。R氏の急戦表示に私は△3二飛だが、▲4六歩にまた△4二飛と戻した。後手番のうえに2手損を重ねては、さすがに悪い。R氏に仕掛けられ、早くも私が指しづらくなった。
ここで迎えた終盤、R氏▲4八銀、▲5九金、▲8八玉、私△1九竜、△4六馬・持駒角、金の局面で、私は2分の考慮時間を使い、△7九角。以下▲7七玉△6八角成▲同金△7九竜で、私の勝ちになった。
しかし5分切れ負けは厳しい。ほとんど考えることができなかった。…と弱音を吐くと、中井女流六段が異議を唱える。プロから見ると、5分切れ負けはそれほど厳しくないらしい。
それならと、私と中井女流六段が、そのルールで指すことになった。本日中井女流六段と3局目である。もう、こんな幸せがあっていいのかと思う。
対局開始。5分で切れる中井女流六段は文字どおりノータイム指し。私も少しは考えるが、やはり指し手は早い。将棋は矢倉模様に進み、中井女流六段は△5三銀と上がった。
中井女流六段は後手番のとき、あまりガップリ四つの矢倉にはしない。私は流れ矢倉の布陣になったが、相手の早指しにつられ、私もノータイム指しになっていた。これはよくない。
△8六歩▲同歩△8五歩▲同歩△7三桂。ここで私は自信を持って▲8七歩と打った。△8五桂なら、▲8六角と出て下手も戦える。
ところがこの瞬間、周りから悲鳴が上がった。
「(▲8七歩は)二歩!!」
「ああっ!!」
何をやってるんだナニを!!
「二歩」は昨年6月、LPSAマンデーレッスンSで、植山七段相手にやって以来。そのときは2枚の歩は離れていたが、今回は一間飛びである。これはヒドイことをやったものだ。
もちろん歩を戻して再開したが、二歩をやるようでは先が見えている。中井女流六段に端を攻められ、攻防ともに見込みなし。私は潔く投了した。
それにしても…である。同じ負けるにしても、もう少し中井女流六段を苦しめてもいいのではないか。私は中井女流六段に、泣きの再戦を申し込む。実に本日、4局目である。
今度の戦形は横歩取り。中井女流六段は△8四飛型に構える。中井女流六段は意外とこの型が多い。
序盤はまずまずだったが、徐々に形勢が傾き、順当に私の敗勢。最後、中井女流六段がわざと危険なところに逃げてくれたので、見せ場を作ることができた。その最終盤が下の局面である。

上手・中井女流六段:1一香、1三歩、2二銀、3四玉、4三歩、5三歩、5四香、5六銀、6二金、6三歩、7四歩、8九馬、9一香、9三歩 持駒:飛、角、桂、歩6
下手・一公:1六歩、1九香、3六桂、3七桂、3八銀、4七歩、4九金、5七桂、5八玉、6七歩、7六歩、7八金、7九銀、8一竜、8七歩、9七歩 持駒:金

ここで私は▲2四金の形作りに出る。△3五玉▲2五金△3六玉に、万策尽きて私は投了した。
ところが…。
(つづく)
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第4回 中井広恵の将棋合宿(第2手)・贅沢な話

2012-05-26 00:17:17 | 将棋イベント
「越後屋」は街道沿いにあり、かなり年季の入った、純和風の建物だった。玄関を上がり廊下に出ると、壁に日本将棋連盟のカレンダーが掛けられていた。5月は三浦弘行八段だ。ちなみに6月は、清水市代女流六段ら女流棋士4人だった。
その先に大部屋が2つあり、そのひとつが私たちの将棋部屋となる。団体名は「W様」となっていたが、これはいかにも味気なかった。次回以降は、何か気のきいた名前にしなければならない。ちなみにもうひとつの部屋は、某企業が入っていた。
宿泊部屋はその奥にあり、2人部屋、3人部屋、5人部屋がまとまっていた。5人部屋に入ると、畳を張り替えたのか、蓬の香りがした。ひとり旅ならのんびりするところだが、今回は将棋合宿。ここへは寝に来ることしかないだろう。
まだ午後3時前である。宿に来る途中、郵便局があった。今回は旅行ではないが、記念に貯金をしようと思う。私はリュックを背に、宿を出た。
宿の向かいに羊羹屋がある。情報によると、街では有名な和菓子店らしい。店に入ると、日曜日も営業しているとのこと。誰に買うわけでもないが、ここは最終日に寄ろうと思う。
先ほどまで厚い雲がかかっていたが、いまはすっきりと晴れ、汗ばむくらいだ。
知らない街をぶらぶら歩くのは、旅の醍醐味である。沿道に「小鹿野歌舞伎」の文字が躍っている。ここは小鹿野(おがの)という地名らしい。
路線バスが通じている。これは西武秩父駅に向かうようだ。条件反射で乗りたくなるが、それをやったら、中井広恵女流六段と盤を挟むことができなくなる。今回は将棋合宿なのだと、自分に言い聞かせる。
宿から約1キロ、かなり大規模の郵便局に着いた。「小鹿野郵便局」518円。
まだ先へ行きたいが、引き返すよりない。お茶の専門店がある。こじんまりした造りで好感が持てるが、店主は奥に引っ込んでいる。翌日にまた寄ろうか。
宿に戻った。植山悦行七段ら数人は玄関横の囲炉裏部屋でくつろいでいた。色紙が何枚か飾られてあり、囲碁棋士数人に混じって、小倉久史七段のサインがある。「一歩千金」。確認できなかったが、ほかに及川拓馬四段の色紙もあったらしい。
中井女流六段らもサインをするのはやぶさかではないが、自分から「私たちはプロ棋士です」とは言えないだろう。どうなるのだろう。
大広間の将棋部屋に入る。若女将は、松尾香織女流初段に似た美人だった。緑茶と和菓子が美味かった。
しかし用意されていたチェスクロックはアナログで、秒読み機能がなかった。これは大誤算である。また温泉も、夜10時半までの入浴とのこと。24時間入れると聞いていたから、これも痛い。まあ、リサーチ不足と思って諦めるよりない。
3時45分、全員が大広間に揃った。Fuj氏お手製の対戦表(リーグ戦)がホワイトボードに貼られる。結局、持ち時間は35分切れ負けとした。ただし指導対局は、その限りではない。
私はR氏とともに、中井女流六段に教えていただくことになった。ほかの対局は、植山七段-W・Hon、大野八一雄七段-His・Is・Fuj。
駒を並べ終えると、ナナメ向かいの植山七段が、「平手ですか」と言った。
植山七段や大野七段との手合いは角でお願いしているし、実際中井女流六段との平手対戦成績も、私の1勝14敗である。しかしLPSAのほかの女流棋士とは平手の手合いでいい勝負なので、ここで中井女流六段に駒を落としてもらったら、ほかの女流棋士に失礼なことになってしまう。私もつらいところなのである。ちなみにR氏は飛車落ちだった。
一礼して対局開始。平日の昼間、温泉旅館で、女流棋士ファンランキング1位の中井女流六段に将棋を教えていただく。将棋ファンにとって、これ以上の贅沢があろうか。私は現在の境遇を必ずしも幸せに思っていないが、実はとても幸せなのかもしれない。
私の四間飛車に、中井女流六段は△5三銀から△3二飛。相振り飛車になってしまった。私の苦手な戦形だ。
△3五歩とされるのを嫌って私は▲3六歩だが、すかさず△3五歩から歩交換をされた。
私は▲3七銀から▲3八飛。しかし△6二玉に、▲3六銀と立ったのはマズかった。中井女流六段にすかさず△5五角と飛びだされ、▲1八飛では▲3六銀がタダだから泣く泣く▲3七歩だが、これでは下手大損である。
以下も中井女流六段に存分に捌かれ、完敗。まったくいい所がなかった。局後の検討では、▲3六銀で▲2八銀と飛車交換を迫るのがよいとされた。飛車交換なら、すでに△5二金左と上がっている上手が面白くない。といって上手が飛車交換を避けるのも気合が悪い。下手はこう指すべきだった。
とはいえ下手は▲3八飛と戻すべきではなかった、と中井女流六段の意見だ。たしかにそうで、相振り飛車で指し続けるのだった。これからは相振り飛車の感覚も身に付けたい。
左のR氏は善戦している。終盤に入り、いつものスットコドッコイな手が出るかと思いきや堅実な指し手が続き、ついに中井玉を仕留めた。R氏、殊勲の銀星だった。
順次対局が終わり、私は植山七段に角落ちで教えていただく。序盤で二歩を交換し、まずまず指せると思ったが、焦って攻めたのが無理だった。以下惨敗に終わる。
注目のR氏は、植山七段(飛車落ち)相手にまたも善戦。▲6一銀の好手を交え、上手玉をあと一歩のところまで追い詰めている。指導対局で下手が勝つことはむずかしい。中井女流六段に続いて植山七段からも白星を獲得すれば、これはR氏、早くも今合宿の最優秀選手となる。
しかしもうすぐ夕食の時間だ。同じ大広間の別テーブルに、すでに夕食が用意されている。キリがないので対局を中断し、夕食に入った。ではここで、席の配置を記そう。

 His Hon    R 大野 Is

中井 W Fuj   植山 一公

中井女流六段の向かいが最上だとは思うが、ビールを飲むテーブルと飲まないテーブルに分けられ、飲まない私は中井女流六段と対極の位置になってしまった。
残念ではあるが、横とナナメ向かいには男性棋士がいる。その状況だけでも、ありがたいことである。
夕食は一品一品手が込んでいて、美味かった。ひとり旅なら、絶対にありつけないごちそうであった。
食後の談笑もそこそこに、R氏が将棋盤の前に戻り、こんこんと考えている。勝ちは見つけられるのか?
(つづく)
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第4回 中井広恵の将棋合宿(第1手)・秩父へ

2012-05-25 00:06:47 | 将棋イベント
中井広恵女流六段企画、植山悦行七段・大野八一雄七段協力の将棋合宿が、今年も行われることになった。
2012年春の日程は5月11日(金)~13日(日)を第一候補にしたのだが、要の生徒の都合がどうしてもつかず、別の日を探すことになった。となれば翌週18日(金)~20日(日)が第二候補となるが、19日(土)は中井女流六段が女流王座戦の一次予選を戦うやもしれず、大野七段もこの週は将棋教室がある。
しかし中井女流六段はどうやら二次予選からの参加となり、大野七段も教室を1週ズラす措置を取ってくれたので、春の合宿は18日~20日と決定した。
ところがその日は、毎回お邪魔している「信濃わらび山荘」が満室だった。となれば別の宿を探すことになるが、そもそも将棋合宿は、中井女流六段が蕨市の教育委員をしている関係で、その関連施設である同所を利用することが絶対条件だった。今回その原則を破ることになるが、支障はないのか。それを中井女流六段に質すと、問題ない、の返事だった。
そこで代替の宿として、Kun氏がかねてから推していた、埼玉県秩父郡にある某旅館に予約を取ることにした。結果はOK! ここは囲碁と将棋が指せる(打てる)宿として有名で、対局専用の大広間があるうえ、チェスクロックも完備している。温泉が湧いているのもよかった。
信濃わらび山荘は、秋までのお楽しみである。
18日は午前10時に、埼玉県のK駅とW駅から、クルマで出発することになった。今回は場所も近めなので、集合時間も遅い。私はK駅に向かう。前夜は雷が鳴っていたからどうなることかと思ったが、当日は雨も上がり、まずまずの天気であった。
9時56分、K駅着。先着していたのはR氏、His氏、Hon氏(運転手)、Fuj氏。その3分後、中井カーに乗った中井女流六段、植山七段も到着した。久しぶりに拝見する中井女流六段は、以前と雰囲気が変わって、いつにも増して魅力的だった。
K駅組は以上の7人。中井カーにHis氏とFuj氏、HonカーにR氏と私が乗って出発した。なおW駅からは、Wカーに大野七段、Is氏が乗って出発していた。また翌19日には、Kun氏とKaz氏が鉄路で合流することになっている。このルートも味がいい。
車内でのおしゃべりは楽しい。閉所の状況がそうさせるのか、「ここだけの話」がポンポン出てくる。俎上に乗るのは中井女流六段をはじめプロ棋士全般。もちろん将棋仲間も入っている。もうこのまま一日ドライブをしてもいいんじゃないかというくらい爆笑したが、まずは高坂パーキングエリアで小休止である。ここでWカーと合流し、同乗者をシャッフルするのだ。
高坂PAが見えてきた。Hon氏はウインカーを出して左によろけていくが、中井カーと思しきクルマが、追い抜き車線を猛然と走り抜けて行った。むむ??
11時ちょうど、高坂PA着。Wカーと合流し、中井女流六段に連絡を取ると、やはり乗り過ごしたとのことだった。中井女流六段、早くも「うっかりママ」の本領発揮である。
大野七段・Is氏、R氏・私がクルマを乗り換え、11時10分発。次の嵐山PAでようやく中井女流六段と合流した。
さて、そろそろ昼食を摂りたい。私たち3台は高速を下りるが、目当てのファミレスがない。幹線道路から外れると、西武鉄道の小駅に出てしまった。これがなかなか鄙びていて、ひとり旅なら缶コーヒーでも飲みながら、ローカル線の到着を待つところである。
幹線道路に戻ると、反対側にガストがあった。結果論だが、先ほどの道を直進していれば、この店にぶつかっていた。無駄に回り道をしたが、まるでわが人生みたいだ。
ガストではランチメニューを頼む。しかし長居はしないので、ドリンクバーの注文はなし。
美味しくランチを食べて、午後1時15分、ガストを出た。
W氏がウェイトレスさんに教えてもらった、近所のスーパーマーケットに向かう。ここで将棋合宿恒例の、飲み物とお菓子の買い出しをするのだ。
スーパーに着いた。飲み物はまだしも、お菓子は毎回買いすぎて余らせてしまう。自分の懐からの出費がないと思うと(実際は出している)、ついついカゴの中に入れてしまうのだ。
今回はセーブしたが、私はそれでも「うまい棒(24本入)」や柿の種をカゴに入れた。
私はひき続きHon氏のクルマに乗る。Hon氏の運転は「実践的」で、安心感がある。
ここからは宿までノンストップとなる。クルマは峠にさしかかる。埼玉県にもこんな山奥があったのかと思う。今回の宿は信濃わらび山荘とは違い、少しは開けた場所にあるとフンでいたが、こんなところに下ろされたら良くも悪くも、将棋に専念せざるを得ない。
幸いクルマは、峠を越えた。ちょっと開けた集落に出る。道が一直線になっている。なにかの街道みたいだ。
突然、といった感じで、右手に、宿の看板が見えた。2時35分、私たちは駐車場にクルマをすべりこませる。
「天然温泉高根の湯 囲碁・将棋の宿 越後屋」。
ここが今回、私たちがお世話になる宿である。
(つづく)
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祝・東京スカイツリー開業

2012-05-24 00:06:51 | プライベート
22日、東京スカイツリーが開業した。以前もチラッと書いたが、拙宅の2階からは東京スカイツリーが見える。ある日オフクロが、「あっ」と頓狂な声を上げたので行ってみると、街並みの向こうに、スカイツリーの先端が見えていたのだった。
マンションに住んでいる方ならスカイツリーが見えるのはよくあることだろうが、2階から見えるというのは珍しいと思う。
22日の開業初日は一日雨で、スカイツリーが見えなかった。きのう23日は快晴だったので、それはそれはクッキリ見えた。
その写真を撮ったので、このブログでは珍しいことだが、アップしてみよう。

拙宅2階から見た景色。

ズームするとこうなる。

何と言っても、話題の東京スカイツリーである。自宅から気軽に拝めて、毎日がトクした気分だ。自宅から東京タワーや富士山が見える家庭も、こんな気分なのかもしれない。
私はスカイツリーには上る気はしないので、これで十分である。
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将棋ペンクラブ・第一次選考会余話

2012-05-23 01:13:30 | 将棋ペンクラブ
毎年この時期は東京・将棋会館にて「将棋ペンクラブ・第一次選考会」がある。前年4月から今年3月まで発表された観戦記や記事、書籍の中から、会員の推薦があったものを幹事が読みこんで、ふるいにかけるのである。
私は幹事ではないが、機関誌「将棋ペン倶楽部」に何度か投稿が掲載された縁で、ここ2年は第一次選考会に参加させていただいている。
今年も幹事からメールが来たが、ちょっと様子が違っていた。今年は将棋会館4階の大広間がなかなか借りられず、結局19日(土)に、地下1階での選考作業になったという。ただしスペースが狭いので、そこで推薦作を読むことは無理。各自があらかじめ自宅で読みこんでから、選考会に臨む形になったという。よって、今年は私の参加は不要、とのことだった。
私の不参加はどうでもいいが、なんだかなあ、という感じである。
一次選考会を将棋会館で行うのは、長年の慣例である。当然日本将棋連盟側も、日程を把握していたと思う。しかるに地下での作業を促すとは、なんたる措置か。
また毎年5月4日に関西将棋会館で行われる関西交流会も、今年は場所を借りられなかった。
そこで思い出すのが昨年、某男性棋士と某女流棋士が、将棋ペンクラブの名誉会員の地位を要求したことである。棋士の皆さんは勘違いしているかもしれないが、将棋ペンクラブは「将棋と文章を愛する者」の集まりであって、名誉会員になることに将棋の強さは何の意味も持たない。それが証拠に、冬の通信号に載る会員名簿では、棋士と将棋ファンが、一緒くたになって掲載されている。名誉会員を望むなら、「将棋ペン倶楽部」に投稿するなど、ちっとは将棋ペンクラブの発展に貢献し、話はそれからである。
話を戻すが、将棋ペンクラブは、この要求を拒否した。当然である。そして今回の「地下室行き」は、このときの意趣返しではないか、と私は勘繰った。
そのほかにも私は、日本将棋連盟と将棋ペンクラブ理事会が緊張関係にあるという噂も聞いた。
表では普及、普及、とお題目のように唱えていながら、裏では特定の将棋団体に(ピー)をする。将棋連盟のやり方には、(ピーーーーーーーー)。
関東交流会は今月26日に東京・将棋会館で行われるが、この様子だと、来年は同所で行われるかどうか、はなはだ怪しい。これは私の被害妄想なのか。日本将棋連盟を(ピーーー)してしまっただけなのか。その答えは1年後に出る。
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