神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 38

2024年03月11日 20時42分57秒 | 甲越軍記
 今井市郎は駿府を発ち、急ぎ甲府館に馳戻り、信虎と対面して義元からの返書をうやうやしく渡した。
そして申すには「某が今川家に書をたまわりましたところ、今川公は『長子に家を継がせるのは世の道理である、特に晴信の人となりは仁に優れていると聞く、しかるにこれを廃嫡して二男に家督を譲るとはいかなることか』と仰せになり、はなはだご不満の顔をなされましたので、某は、様々な利害を説いて典厩御曹司(信繁)の徳は晴信君より優れている旨を申し上げると、ようやく納得されて、『そうと決まれば一日も早く晴信を駿河へ遣わすように、晴信が他国へ逃亡せぬように厳重に監視せよ』と申されました、仔細は返書に書いてあるとの仰せでございます」
信虎は大いに喜び、返書を開いてみると今井の申す通り、一つの相違もなく満面の笑みを浮かべて、今井市郎に褒美の太刀一腰を与えた。
今井は館を出ると、その足で穴山伊豆守の家に出向いて、義元から老臣たちに送られた返書を渡した。
そして義元公が信虎の押し込めを承諾して旨を伝えると、穴山は大いに喜んで、早速板垣以下の老臣を招いて閑談していたところに、信虎から至急まいる
ようにとの使いが来たので、早速出向いた。

信虎は一刻も早く老臣たちに吉報を伝えたくて待ちかねていた
皆が揃うと、義元からの返書を皆に見せて「汝らの謀が旨くいき、義元も予に同意した、この上は急ぎ晴信めを駿府へ送らねばならぬ、しかし晴信は病気と称して一歩も外に出る気配がない、これをいかにして計って駿府へ送るか、なにか良い知恵はないか」と問う。

板垣は頭を傾けながらも「あまり何度も催促をいたせば晴信公は他国へ出奔の恐れもあるやもしれません、今は諏訪、小笠原、村上、木曽など輩が隙あらば当家に攻め込もうと企んでおります
これらの元に晴信公が身を寄せて、その先鋒となって道案内をいたせば当家にとっては大いに脅威となるでしょう
某の愚案を申せば、御屋形がまずは駿府に参られて、今川殿と膝突き合わせて善後策を熟談なさるが宜しいかと、示し合わせて晴信君に「急用ある故、駿府に参れとの書状を甲州へ遣わせれば、君他国にあればこそ晴信公は孝心あるため必ずや駿州へ参るでありましょう。われらも声を揃えて晴信公が出向くよう仕向けます
かの地に晴信公が到着したら、打ち合わせ通り直ちに押し込めて、君は速やかに帰国なされば宜しいかと思います、これが晴信公の嫌疑を解く最善策かと思いますが如何でしょうか」と言うと
信虎は手を打ち、「まさにこれである、この手段の通りにいたそう、甲府館の留守居は左馬之助信繁を置き、万事は穴山に任せる
甲州から駿州までの間は敵の領分に近いので少しの油断もならぬ、精兵2000騎を率いて参る」と申され、同年三月九日、甲府を旅立った
老臣たちは皆、国境まで見送ると。そこに至るまでも晴信を駿州に送るための密計を何度も信虎は老臣たちと示し合わせた。
別れの地に至り、わが身が廃去されるとは夢にも思わず、信虎は彼らに盃を巡らせて駿州へと向かっていった。






大相撲大阪場所始まる

2024年03月11日 13時50分33秒 | 大相撲
横綱と2大関が敗れる波乱の初日だった
貴景勝は朝乃山に、琴ノ若は熱海富士に勝ったが、豊昇龍は宇良に、霧島は阿炎に敗れ、照ノ富士は錦木に敗れた。
まだ初日だから何とも言えないが、今場所も幕内上位から横綱まで横一線と思わせられる初日だった。
こんな中で堂々の勝ち相撲を取ったのは、新大関琴ノ若、大関貴景勝、若元春、大の里、豪ノ山、新入幕尊富士だった。

豊昇龍と朝乃山と霧島は相手ペースで簡単に負けてしまった、豊昇龍は出ていくところを相手の宇良が得意の肩透かしで破ったが、後の二人ははたき込みに簡単に倒れてしまった。

ようやく実力派の横綱、大関が5人そろったが、個性的な業師が金首、銀首を取ってやろうと手ぐすね引いて待っている
今場所も何をやるか目が離せない個性派は、高安、翠富士、翔猿、阿炎、宇良の5人、さらに突き、押し、一気の寄りの正統派もひしめいている、玉鷲、豪ノ山、大の里、平戸海、熱海富士、朝乃山、北勝富士、土俵を盛り上げてくれるだろう

今日は元大関が三番連続で出場、御嶽海、正代は一方的な勝利、高安もうるさい北勝富士に手を焼いたが最後は一方的に料理した。
十両では私が14連勝で千秋楽決戦を期待している若隆景、伯桜鵬はどちらも危なげなく貫禄相撲で勝利した。
まだ初日、まったく予想がつかない、大の里の三役挑戦を楽しみにしている。
王鵬、湘南の海、豪ノ山は、まだ甘さが解消していなかった。



パリ五輪、女子マラソン代表3名決定 名古屋ウィメンズ

2024年03月11日 13時25分57秒 | マラソン/駅伝
パリ五輪代表はMGCで1,2位になった鈴木優花、一山真緒の二人が決定していたが、3人目は大阪で日本記録を出した前田穂南か、3月10日の名古屋で前田の日本記録を破って日本人1位のいずれかになる。

そして今日、名古屋ウィメンズが開催された
有力選手は東京代表の鈴木亜由子2.21.52、加世田梨花2.21.55、安藤友香2.21.36
、MGC3位の細田あい2.21.42はケガで欠場となった。
外国人招待はゲブレシラシェ(エチオピア)2.18.11、チュンバ(バーレーン)2.20.02、メリンガー(ルーマニア)2.20.49など

レースは序盤から日本記録を狙う展開になり、ペースメーカーの一人が15km持たずに脱落するなど、パリに執着するレース運びとなった。
しかし20km過ぎから日本選手は遅れ始めてゲブレシラシェ、チュンバの二人が先行、日本選手は安藤、鈴木、加世田が前を追う展開、メリンガー遅れる
26km
外人二人がスパート、日本選手はついて行けず離される、この時点で前田穂南の日本記録より遅れ始める、日本選手3人の中で鈴木が遅れ始める
30km
ゲブレシラシェ、チュンバが並走、31秒差で安藤と加世田が並走、鈴木が10秒差で続く、パリ五輪の為の日本新記録には届かない通過時間になって来た。
34km
安藤が追い上げて来た、外人2選手との差は21秒、加世田が8秒差、そこから鈴木が11秒差
36km
ゲブレシラシェが立ち止まった、体調が悪いようだ、安藤が追い抜いて2位に
36.7kmでゲブレシラシェは棄権
37.5km、安藤はますます追い上げてチュンバに2秒差
39.2km ついに安藤がチュンバに追いついて並走、鈴木も加世田を抜いて3位に上がる、誰に余力があるのか優勝争いは安藤かチュンバか、しかし終盤一番ペースが速いのは鈴木だ
そしてゴール前200mほどで安藤がスパート、チュンバも猛追するが差が開く
そのまま安藤がゴール、マラソン7回目で初めての優勝
2.21.19は安藤の個人新記録(初マラソンが最高記録だった=初マラソン日本最高記録)
2位はチュンバ2.21.25 3位鈴木亜由子2.21.33(自己新記録)
4位加世田梨花2.22.11 5位夏雨雨(中国)2.25.45
6位メリンガー2.26.09 7位大西光2.26.12 8位大森菜月2.26.54

安藤は前田の記録を破れず、前田のパリ代表が決定した。





アルビレックス新潟 ホーム 初戦  勝利で飾る

2024年03月11日 13時24分47秒 | サッカー J1 J2
J 1 新潟アルビレックスは、難敵(直近5試合勝てていない)名古屋グランパス を新潟に迎えた
ただ 今年の 名古屋は無得点の 2連敗中、 アルビレックスは 今シーズン 1勝 1分け 勝ち点 4 、ビッグスワンに集まった 観客は 23000人 ここは何が何でも勝ちたいところ 
前半は 互いに 得点なく 後半に入る 、後半はアルビが 押し気味に 試合を進めているが 得点できない 、ボール支配率は65%近い、シュート数は最終的には 新潟が17本 名古屋 が10本 、新潟の ボール支配率61% しかし 得点は入らず 
名古屋は 、新潟ボールをカットして カウンター攻撃 、再三のピンチを GK小島享介が ファインセーブ いよいよ終盤になって 78分高木に代えて j 2 甲府から 入った 長谷川元希を投入
 心配していた通り 今日の新潟は 時折 激しい雪が舞う 最悪のコンディション その中で 88分 ついに 試合に入ったばかりの長谷川が ゴール前からミドルシュートを決めた長谷川にとってJ1で初得点 大金星 今シーズンの 新潟の 新エースに なりそうな はつらつとしたプレイだった 、ルックスも良い
観客数ではJ1でも有数な新潟、活躍すればすぐにスターになれる、新潟はこれで 勝ち点6の5位、敗れた名古屋は三連敗で最下位。

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 37

2024年03月10日 19時31分48秒 | 甲越軍記
 天文七年二月十五日、義元は庵原(いおりはら)、朝比奈の武功の老臣を相手に兵法の討論をしているところに、甲州より今井市郎という使者が来たことを告げられた。

義元が対面すると、今井はまず甲州の情勢を話し、それから穴山伊豆守ら老臣の書簡を差し出し、次いで信虎からの書状をもさし出した。
義元は、それら二通を見比べてから左右の者どもを下がらせて、今井を膝元に招いて「これについて、もっと事細かに話して見よ」と言った。

市郎は老臣たちの謀を事細かに告げて「もし信虎公を欺いて貴国へ遣わした時に、貴館に押し込めて隠居させることが出来れば、武田家の断絶は免れるでしょう
そうなれば晴信君はもちろん老臣たちも当家の厚恩を感じ、甲州の民も苦しみから逃れることこれ天の道理であります
みなみな今川公の広大な仁恩に感謝いたすでありましょう」
聞き終えて義元は今井の聡明と老臣たちの心計を感心して、「予は日頃から信虎公の残忍なる所業と忠臣を殺害するとのことを風の便りに聞いていて、実は武田家の前途を危ぶみ嘆いていたのだ
長臣らの思い着いたところは至極当然のことである、たとえ千里離れていても、老臣たちの思いと予の思うところは一致しておる
義元、老臣等の謀計に加担して、信虎公を押し込め隠居させて他国へは決して出すことはない、速やかに信虎公を謀って当国へ送ってよこすがよい」
穴山、板垣には謀の実行を書いた書簡を、また信虎にも晴信押し込めの偽書簡を書いて今井市郎に持たせて甲州に帰した。

市郎は勇んで馬に鞭をあてて急ぎ甲州に駆け戻った
義元は今度の話を聞いて大いに歓喜した、庵原安房守を呼び寄せて
「真に信虎を、当国に隠居させると言うことは当国にとっての幸いである
それは武田家がいま危急の時であり、晴信や老臣の頼みを聞き届けてやれば
予が上洛の兵を挙げた時には、晴信も今度の恩義があればこそ援軍を出すことは当然である。
其の二は、たとへ不和とはいえ、晴信に孝心あることは疑いない、その父を当家に質としてあるに等しく、当家に背くことはないであろう
即ち、武田家はわが家の旗下に等しい」
庵原安房守、義元の遠計を知ってその知謀に感心した。




1945年3月10日

2024年03月10日 08時11分59秒 | 日本史
 毎年、毎年3月10日「東京大空襲」記事を書いている
昭和20年3月10日の東京大空襲は、半年後の広島や長崎への原爆投下の伏線で、降伏しなければ日本人は一般人でも皆殺しにするぞというメッセージだったのだ。 現在進行中のパレスチナ戦争に似ている。

先日、例の如しで映画を見た「戦場の教室」ナチスが占領地のユダヤ人(当時は国家無き放浪の民)を集めて来ては集団虐殺する映画、その中でペルシャ人に成りすまして生き延びた男の話(実際には600万人ものユダヤ人が無抵抗のまま銃や毒ガスで殺されたそうだ)
イスラエルの人々は、こうした皆殺しの危険から生き延びて国を作った
そして地域最大の軍事力を持ち、今やパレスチナ人を虐殺している
人間とは自分の痛みは当然知っているが、人の痛みに置き換えることができない生きものなのか? 考えさせられる

広島、長崎の被爆を知らない人は少ない、若い人でも知っている、けれども東京大空襲も広島、長崎と同じ10万人以上が犠牲になったことを知っている人は割と少ない。
現在の東京23区の東半分、日本橋、上野、浅草、両国、 本所、深川、亀戸、砂町一帯にサイパン、テニアン、グァムから325機のB29爆撃機が1665トンの焼夷弾を投下して焼き尽くした。
焼夷弾とは爆発の破片で破壊や殺人をする爆弾と違い、家を焼き尽くすための油と火の爆弾だ。

1万mを飛べるB29は僅か2000mまで下って、確実な命中精度で爆撃した
日本軍も迎撃機を発進させたが、数も少なく高度が低いのが逆に災いして、高射砲も効果が薄れた、そのため確実に撃墜されたB29は2機だけだったと言われる。(被弾したり、海上に不時着した機は数十機あったようだが)

この時、19歳の父は調布の高射砲陣地から真っ赤に燃えている東京を見ていた
その下には自分の家があり、両親がいるのだ
行くに行けず、ただ見ているしかないその気持ちは、どうだったのだろうか。

翌日、特別休暇をもらって行ったが、亀戸は焼け野原になっていて、いたるところに死体が転がっていた。
十間川では浮いている遺体を竿にひっかけて陸に上げる作業が行われていた
焼け残った浅草松屋近くの防空壕には遺体が折り重なって、苦悶の表情で天を見上げていた
高熱で窒息あるいは蒸し焼きになったようだ、父の生涯で一番怖い光景だったと言っていた。

自宅もわずかに柱が残って、まだくすぶって煙を上げていたという
この空襲で、亀戸両親、浅草の叔母さん、帝劇で働いていた隣家の美人おねえさんも亡くなった
遺体は見つからなかった、たった2時間で10万人以上を殺した空襲
人間とはいったい何者なのだろうか? 
                                                                    合掌





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 36

2024年03月09日 20時11分30秒 | 甲越軍記
 今川義元のこと

我が国、応仁以来足利家の武威は地に落ち、国内いたるところで戦乱が起きた
豪傑の諸侯が兵をもって隣国に攻め入って併合する
戦は絶えることなく、中でも東海道の内、駿河、遠江二か国の守護、今川治部大夫源義元は系図をさかのぼれば、清和天皇より六代の後胤、鎮守府将軍兼陸奥守義家の三男式部大夫義国という人あり、是新田足利の祖である。義国の三男足利蔵人義康下野国(栃木県)足利に住み、これを足利家の元祖とする。
その子、上総介義兼、その子足利左馬頭義氏に男子多数あり、一男上総介満氏を吉良と称す、二男四郎国氏を今川と称す、これが今川家の元祖である
それより三代に至り今川範氏という人あり、等持院殿尊氏卿に従い忠義抜きんでる活躍により駿河国を賜った。
範氏より五代上総介氏親という人あり、是義元朝臣の父君である
氏親の一男氏輝が父の家督を継いだので二男義元は幼少より善徳寺という禅寺に入り出家された。
元来、今川家は禅家を崇信して代々の人々は隠居の後は剃髪していた
これにより義元公も禅僧となって修行に励んでいたのである
しかし氏輝公が若くして亡くなったため、後を継ぐ男子が無く、僧籍にあった義元公が還俗して今川家を継いだ。
是より今川治部大夫義元と号した。

この時、天下は大いに乱れ日本中が戦乱絶えることなかった
僧籍から武門の家に戻ったとはいえ、義元公は常に武を呉起、孫子に学び極め、文武兼備の良将となられた
志は高く、衰退した足利家を盛り立て再興させるべく、まずは隣国三河、尾張をわがものにして、次に義の旗を帝都に翻さんとの大望を持った。
されども大望果たすには良き同士を得ることが肝要と思い、周囲を見ると同じ源氏の流れをくむ甲斐の武田信虎こそ甲斐、信濃にまたがり武威を見せている
この人の婿となり縁家の親しみを重ねて大望を果たそうと思い、信虎の長女を申し付けて室に迎えた。
更に親しみを深くするため、嫡子晴信の元服を取り持ち、任官のことまで世話したが、信虎は常人ではない狂気人であることに次第に気づき、おのれの大望を語ることをためらったまま年月を重ねていた。


夏目漱石「こころ」 文学と本のこと

2024年03月09日 08時41分04秒 | 読書
ドラマ「舟を編む」だったと思うが、夏目漱石の「こころ」のことが語られた
キーワードは「三角関係」それで興味を持って読み始めた、文字が細かくて難儀している
調べたら漱石の「それから」「行人」などいくつか三角関係の小説があるらしい、「行人」も収録されているから読んでみよう、きっと漱石さんは体験をもとに書いたんだろうな。
私も22歳ころに三角どころか四角関係を体験したことがあるから、その頃の心境になるのか?
「甲越戦記」訳もまだ始めたばかりだし、しかもまた別の長編を書きたくなって、これは忙しくなるぞ。

実は「新潮日本文学」全60何巻かのうち「石原慎太郎」「夏目漱石」「大江健三郎」「安倍公房」「北杜夫」「遠藤周作」「三島由紀夫」「川端康成」「井上靖」の9冊だけ買って未だに持っている
夏目漱石は昭和44年(1969年)に買った本で、9冊の中では最も厚くて重い
1050ページほどあって、本の厚さは6cmある、定価は1000円(消費税なし)
一番薄いのは石原慎太郎で厚さ3cm、450ページほどで700円だ。


これは昭和38年初版で。重版を42年に買ったもの、約680ページと厚い「石坂洋次郎」しっかりしたケース入り、これがびっくりの「サービス価格390円(消費税なし)」



値段と厚さとページ数ばかり書いて、肝心の内容を書いてない、それもそのはずで、この中で完読したのは北杜夫だけで、井上靖は半分くらい、あとは買っただけでほとんど読んでいない。
本棚の中で55年間ずっと立ち続けているだけだったのだ、読まないと申し訳ないと思うが視力が落ちてきて細かすぎる文字はキツイ、ルーペが必要だな。
でも集中できるのだろうか?


「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 35

2024年03月08日 21時02分19秒 | 甲越軍記
 甘利備前守が口を開き「まずは今川家へ密使を立てて義元の心を計りたまうことが先決なり
晴信公の御元服、任官などすべて今川公が京都将軍家に推挙されたからで、晴信公に傾くやもしれません
今川殿の心を結び、長く心変わり無きように仕向けるには、君の御心を理解している腹心の人を遣わせるべきであります」
そう言うと一同みなこれに賛同して、あれよこれよとそれぞれが名を挙げるがまとまらず、板垣駿河守が言うには「この使者は智弁ともに優れた者でなければ勤まりません、今井市郎は若年ながら、弁舌に優れ、なお才智賢き者であります、この者を使者とすれば、まずや落ち度はありますまい」

すると信虎は「それならば、そのものを遣わすがよい」といとも簡単に聞きわけた。やがて今井を呼び出して書状を与え、さらに細々とした注意を与えた。
小山田と板垣もまた今井を呼び寄せて、信虎を欺いて今川家に押し込める密儀を重ねた。
今井は表向きは信虎の使者であるが、その実、信虎を今川家に押し込め廃去の事を頼む使者である。
老臣五人の連名の密書を渡された今井もまた是を大いに喜んで、「このままでは我が国は滅び去ることが目に見えております、某が使者となって必ずや義元公に信虎公の廃去を願い、晴信公を家督とする利害を説きます」

信虎は、このような謀議が陰で行われていることなど夢にも知らず、古老の人々の口車にまんまと乗ってしまった
「天地は推りつべし、人心は計るべからず」というが、まさにこのことである。
信虎は晴信を追いやる計画が着々と進むことに気を良くして、これら五老臣を招き、酒宴を催した、数刻に及ぶ酒宴が終わり各々信虎館を辞して、互いに目と目を合わせて家々に帰った。


聖子ちゃん

2024年03月08日 09時21分40秒 | 音楽
日本人の歌好きは戦後から多くの歌を聞いて熱狂してきたのは「ブギウギ」の通りで、戦争も終わり、敵国音楽も今や口ずさみ楽しんだ。
本格的ないぶし銀の技というのではなく、大衆向けで10年20年続くヒットメーカーと言えば、プレスリー、美空ひばり、三波春夫、ビートルズ、タイガースと和洋入り乱れ、さらに松田聖子、キャンディズが登場してくる
未だに「聖子ぶりっこ」の面影を残して時々テレビで見かける。

私は正直なところ聖子ちゃんは作られたアイドルと思って、少しも興味が無かった、ところが昨日聞き直してみれば、たちまちはつらつとした歌声に引きずり込まれて、あの昭和の華やかさが蘇って来た。
松田聖子が、こんなに歌がうまかったとはしらなかった、「聖子ちゃんごめんね」

今の日本は株式だけが「日本経済最高!」と喝采だが、多くの庶民は白けている、現実に生活保護を受けている世帯が約165万世帯、この一年で申請したのは25万5千件だという、いずれも調査開始の2013年以降最多だという。
しかも若年層にまで広がってきているということだ
原料費(仕入れ)の高騰に経営が圧迫されている新潟県の企業は9割にのぼるそうで、解決策は値上げしかなく、すでに動き始めているという
そうなればますます物価が上がる、政府は高収入企業に賃金値上げを要請し、景気の良い賃上げが新聞をにぎわしている。
しかし地方の零細企業は上げれば経営圧迫、上げなければ社員の貧困の板挟みだ、当然ながら年金生活者の暮らしの貧しくなることは労働世帯の比ではない
老人は「食べない、出かけない」から大丈夫などと言ってほしくないが、辛抱強さで我慢しているうちにお迎えが来るか・・・。

という暗い世相ではありますが、聖子ちゃんの歌は元気づけてくれます、いまや聖子ちゃんは私のアイドルです。
聖子ちゃんも10日で62歳になるがさすがは芸能人若々しい、もと亭主の神田正輝は私と同年生まれだから、それほど違和感はない。
気持ちが落ち込んだ日は聖子ちゃんと拓郎くんの歌を聞いて元気を出します。