今井市郎は駿府を発ち、急ぎ甲府館に馳戻り、信虎と対面して義元からの返書をうやうやしく渡した。
そして申すには「某が今川家に書をたまわりましたところ、今川公は『長子に家を継がせるのは世の道理である、特に晴信の人となりは仁に優れていると聞く、しかるにこれを廃嫡して二男に家督を譲るとはいかなることか』と仰せになり、はなはだご不満の顔をなされましたので、某は、様々な利害を説いて典厩御曹司(信繁)の徳は晴信君より優れている旨を申し上げると、ようやく納得されて、『そうと決まれば一日も早く晴信を駿河へ遣わすように、晴信が他国へ逃亡せぬように厳重に監視せよ』と申されました、仔細は返書に書いてあるとの仰せでございます」
信虎は大いに喜び、返書を開いてみると今井の申す通り、一つの相違もなく満面の笑みを浮かべて、今井市郎に褒美の太刀一腰を与えた。
今井は館を出ると、その足で穴山伊豆守の家に出向いて、義元から老臣たちに送られた返書を渡した。
そして義元公が信虎の押し込めを承諾して旨を伝えると、穴山は大いに喜んで、早速板垣以下の老臣を招いて閑談していたところに、信虎から至急まいる
ようにとの使いが来たので、早速出向いた。
信虎は一刻も早く老臣たちに吉報を伝えたくて待ちかねていた
皆が揃うと、義元からの返書を皆に見せて「汝らの謀が旨くいき、義元も予に同意した、この上は急ぎ晴信めを駿府へ送らねばならぬ、しかし晴信は病気と称して一歩も外に出る気配がない、これをいかにして計って駿府へ送るか、なにか良い知恵はないか」と問う。
板垣は頭を傾けながらも「あまり何度も催促をいたせば晴信公は他国へ出奔の恐れもあるやもしれません、今は諏訪、小笠原、村上、木曽など輩が隙あらば当家に攻め込もうと企んでおります
これらの元に晴信公が身を寄せて、その先鋒となって道案内をいたせば当家にとっては大いに脅威となるでしょう
某の愚案を申せば、御屋形がまずは駿府に参られて、今川殿と膝突き合わせて善後策を熟談なさるが宜しいかと、示し合わせて晴信君に「急用ある故、駿府に参れとの書状を甲州へ遣わせれば、君他国にあればこそ晴信公は孝心あるため必ずや駿州へ参るでありましょう。われらも声を揃えて晴信公が出向くよう仕向けます
かの地に晴信公が到着したら、打ち合わせ通り直ちに押し込めて、君は速やかに帰国なされば宜しいかと思います、これが晴信公の嫌疑を解く最善策かと思いますが如何でしょうか」と言うと
信虎は手を打ち、「まさにこれである、この手段の通りにいたそう、甲府館の留守居は左馬之助信繁を置き、万事は穴山に任せる
甲州から駿州までの間は敵の領分に近いので少しの油断もならぬ、精兵2000騎を率いて参る」と申され、同年三月九日、甲府を旅立った
老臣たちは皆、国境まで見送ると。そこに至るまでも晴信を駿州に送るための密計を何度も信虎は老臣たちと示し合わせた。
別れの地に至り、わが身が廃去されるとは夢にも思わず、信虎は彼らに盃を巡らせて駿州へと向かっていった。