神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 34

2024年03月07日 20時32分08秒 | 甲越軍記
「そのわけは、君、晴信君を駿河に追いやり、ひとえに国家の安泰を願い、典厩御曹司(信繁のこと)に家督相続の一心であります
されど世間は二男への愛着により嫡子を追い落としたと騒ぐでありましょう、それはやがて今川公の耳にも届き、彼にも迷いが生じるでありましょう

御屋形様がご健在のうちは何事もありませぬが、百年の後(余命とは言えぬから)信繁君の時代になった時、今川義元公が晴信君の後ろ盾となって晴信君を取り立てて甲州に攻め寄せぬともかぎりません、そのときになって信繁君を裏切って晴信君に寝返る者も出てくやもしれません
そのようにならぬよう今川殿の心を固くつなぎとめて、彼の家に厳しく押し込め置きいただき他国へ一切出さぬよう固くお伝えいただく必要があります
これが出来なければ当家の災いの元となりましょう
されど、このことは御屋形様お一人では成就いたしませぬ、老臣らが心を結び、次に今川殿の心底を探り、その後初めて廃去の計議を成すべきです
余人は知らず、この信形は君に同意いたします
某、試しに小山田、甘利、飫富、別して穴山信行の心底を探り、同意しない者には利害を解いて君に従うよう促します」
板垣がまことしやかに話すので、信虎は疑い深き人であるが信形の弁舌についつい乗ってしまい「この計略はそなたに任せる」と言って数刻に渡る密談を終えて二人は別れた。

板垣はさっそく小山田、甘利、飫富を穴山家に集めて会議を開いた。
二日後、板垣は再び信虎を訪ねて「四老臣、いずれも御屋形様と某の考えに異議なく、御屋形様の御威光のもとでそれに従うことを誓いました
この上は彼らも交えて話し合いを設けるべきです」と言うと、信虎は満面の笑顔で「急ぎ、彼らをここに集めよ」と呼びつけた。
信虎は古老の面々に向かい、「信形に余の存念を伝え、そなたらにも伝えたところ早速に同意してくれたこと喜ばしい次第である
是より、いかなる方法で晴信を駿河に追いやるか、そなたらの意見を聞かせてくれ」



退屈しのぎ

2024年03月07日 08時03分02秒 | どうでもいいこと
 今日、一つ発見した
家の階段を後ろ向きで上がるのだ、そうすると何が起こるか
やって見て意外なことに気づいた、後ろ向きで階段を上がるとカカトから上がると思ったが、それは無理で、つま先から上がるのだった。
すなわち、つま先立ちは内臓系への健康法である、これは面白いことに気づいた
これからは時々後ろ向きで階段を上るだろう、たぶん家族は不審がるだろう

2月は春のような日が続き20度越えもあったのに、3月に入ったらずっと雨、曇り、雪の寒い日が続いている、これはいったいどうしたことだ
気分も上がらないし、体調も何とは知れず不具合が多い
5月生まれの私は、寒いも暑いも嫌いで、寂しげな秋もあまり好きではない
やはり芽生えの春が一番好きだ、柔らかな色合い、薄桃色、緑、草色、黄色
そんな花開く春
「もう少しの辛抱だよ」



「春だったね」吉田拓郎(広瀬すず)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 33

2024年03月06日 19時43分37秒 | 甲越軍記
 武田左京太夫信虎、忠功の臣を軽んじて土くれのように滅ぼしてしまう、貴重な進言を取り上げず、さらに嫡男晴信を廃して自分が愛する二男の信繁に家督を譲る企み、すべて驕慢で残忍な性格がなする技であった。

しかしそれもいよいよ廃れる時が近づいていた、臣子に疎まれて今度は自分が廃される計画が進んでいるなどつゆ知らず、いよいよ晴信へ駿河入りする催促は増えるばかりである。
ところが晴信は、病気を盾にして駿河行きを断固として断り続けているので信虎は怪しみ、(奴は儂のたくらみを察しているのではないだろうか、ならばいよいよ謀を持って、なんとか晴信めを駿河に贈らねばならぬ)と阿諛(おべっか使い)の家臣を呼び寄せて「いかにして晴信を追い払うか」と聞けば、「国の一大事につき、我らよりも長臣の方々を呼び寄せて晴信君廃嫡と申されれば、御屋形様の御威光に彼らもひれ伏して背く者などおりますまい」

信虎は、まさにその通りであるとさっそく2月11日に板垣を呼び寄せて小声で
「我は未だ壮健であり、年齢も十分余りあるが若い時から長い年月、戦に明け暮れて最近疲れが抜けることが無くなり、物忘れもするようになった
それで早いとは思うが早々に隠居して、三人の息子の内の一人に家督を譲ろうと考えて居るが、未だ誰にするか思い迷っておるのだ
誰であれ、この国を守り、隣国の敵を撃ち払う力を持つものに譲ろうと考えて居るが、そなたは誰がふさわしいと思うか、そなたは我が家において一番の古老であるから忌憚なく、意見を申すがよい」と日頃とは打って変わって物腰柔らかく言うので、板垣は
(これは家嫡廃去の密談であろう、下手なことを言えば我らの密儀が明るみに出る、これを逆手に取れば我らの思い成就させる渡りに船となろう)と思い
謹んで言うには
「これはまた御屋形様の御言葉とは思えませぬ、『子を見ること親にしかず』と申します、子の善悪は親がもっとも知るところであります、まして眼力高い御屋形様であれば、御子らの器はすでにお見通しであられましょうし見誤ることなど決してございませぬ、御心のままにお決めになるのが宜しいと存じます」
板垣の殊勝な言葉に信虎は嬉し気な顔となり「わが数子の中で抜きんでている者はただ一人、左馬之助信繁である、この者に家督を譲ろうと思う、予の心中はさように決まっておるが、世間は長子あるのに二子に譲るのは不条理と申すであろう
晴信は嫡子であり武勇にも優れているから、すんなりとは信繁の家督に納得せずひと悶着起こるのは必定と見ゆる、そこでまず家督を定める前に、晴信を今川家に送り、晴信を廃去してのち家督を信繁に定めようと思って居るが、晴信めもこれを薄々気づいておるのか、ああこう言ってなかなか腰をあげようとしない
いかなる計略で彼を今川に行かせるか、汝は家の為に熱く計略を巡らせるべし」
板垣はこれに答えて「諺に『智者も千慮すれば一失を生じ、愚者も千慮に一得を生ずる』と申します、君は明智と言えども御身にかかる事故に智術心策を失い給う、某のような下愚であっても晴信公を欺き、今川家へ送ることは何の知謀もめぐらすまでもありません
世の諺に『目を塞いで燕雀を捕らんとするときは、燕雀も是を欺く』と申します、小畜と言えども慢心をもっていれば欺くことはできません、まして怜悧の晴信公では欺こうとすればたちまち見破られてしまいます
某の考えは、まず今川殿の方に使者を送り、晴信公を駿河に遣わせたら長くそこにとどめ置かれるように、他国へも出さぬように、よくよく示し合わせておかねば成就しません、それはなぜかと申しますと・・・・」




映画とドラマ

2024年03月06日 09時33分50秒 | 映画/ドラマ/アニメ
 この一週間は、ずっと天気が悪くて寒い、一日おきには歩いているが、ほのぼのとしない。
その代りブログ更新とテレビでの映画、ドラマを見る回数がぐっと増えた
最大15本から始めた春ドラだが、面白くない物を削って行ったので、今は
「春よ来い」「ブギウギ」「大奥」「おっさんのパンツ・・・」
「新空港占拠」「光る君へ」「さよならマエストロ」「Eye love you」
「不適切にもほどがある」の9本になった。
そうだ「舟を編む」も見だして10本だ
病院物は3本あったが、すべて途中棄権した、先週はついに「院内警察」もやめた、謎が無い、謎が薄っぺらい、謎が支離滅裂なミステリーは飽きてしまう
残ったのはどれも面白い。

「おっさんのパンツ・・」はジェンダー問題とハラスメントを扱っている
「不適切にも・・・」ハラスメントと親子世代の時空と社会常識のズレを扱っている

最近見た映画「空気殺人」(韓国)は加湿器用殺菌剤で数千人の被害者が出た実話をもとにしたフィクション映画
製造会社の悪を暴く人権派女性弁護士の法廷もの。利益しか頭にない巨大企業、その弁護士は女性弁護士が尊敬していたベテラン弁護士であった。

「高速道路家族」(韓国)貧困ファミリーが転落していく社会問題提起
高速道SAで寸借詐欺をしてその日暮らしをしている家族、その後夫は警察に逮捕されて、残された身重の妻と二人の子は、どう生きていくのか。

「さびしんぼう」16歳の謎の少女「さびしんぼう」(富田靖子)実は16歳当時の母(藤田弓子)の化身、と主役の高校生(尾身としのり)が名付けた女子高生「さびしんぼう」(富田靖子)の青春ファンタジー
1985年作品で、若い富田靖子(おっさんのパンツ)尾身としのり(鬼平犯科帳)が初々しい。

だめヒモ夫(または同棲?)DVと貧困で売春に身を落す沖縄の17歳の子持ち少女を描いた「遠いところ」カルロヴィヴり国際映画祭出品作品

「雑魚どもよ、大志を抱け」主人公は平凡な小学生(池川侑希弥)、ヤクザな父を持つ隆造、小柄でドモリみんなにバカにされるトカゲ、東大を目指す変わった少年、映画監督を夢見る気弱な少年の5人グループが様々なトラブルに出会う青春ドラマ。
 
「散り椿」岡田准一主演の武士道映画 藩の悪に立ち向かう剣術の達人である側用人(西島秀俊)と。それを助ける脱藩浪士新兵衛(岡田准一)
この二人に愛された武家娘(麻生久美子)、その妹(黒木華)は新兵衛に想いを寄せる。
いずれも印象深い良い映画だった。




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 32

2024年03月05日 20時47分17秒 | 甲越軍記
 それからも晴信の元へは信虎から「急ぎ駿府へ旅立て」との催促がひっきりなしに届いていた。

2月9日、老臣5人は再び晴信の館を訪れて取次を申し込んだ
晴信は「またしても同じ話を持って来たかと」しぶしぶながら対面した
真っ先に座上の穴山伊豆守が前に進み出て「我ら何度も話し合いましたが、信虎公を廃去するほかはありません」と言い終わらぬうちに晴信は顔に怒りを見せて立ち上がり
「われ何度考えてみても不孝の子となるつもりは全くない、今後このような話をするならば二度と目通りは致さぬ」と言ってその場を去ろうとした
そこに板垣が進み出るやいなや、晴信の袴の裾をつかんで離さず
「今日、わららがここに来たのは、君の一言によっては進退を決する為であります、我らは信虎公の為に国が亡ぶのを見てはいられません、我らの意見を取り上げていただけぬ場合は我ら五人は、この場より家にも戻らず、この国を退去するつもりで妻子老少にも別れを告げ、やってきた次第であります
我らのような忠臣が国を去っても、国の安泰太平が続けば、元よりわれらは無用の長物であったことになります、君、これからも孝子の道を続けてくだされ」そう言うと、甘利、小山田は佩刀を庭先に放り出し、一同は晴信の顔を拝して「今生の拝顔、これが最後となりましょう」というと皆、目からハラハラと涙を流して急ぎ立ち去ろうとした。

晴信は驚いて、これまた涙を流しながら「そなたらの諫言は用いらぬことはないのであるが、子としての分を思うと諫言を拒まざるをえないのだ」と言った
小山田備中と飫富兵部少輔が声を揃えて言うには
「父に背く子を不孝として、君に背く臣を不忠の臣と申せば、我々が御屋形を廃去しなければ、天下の人は君だけを不孝として、臣らを忠臣というであろう
われらも同じく不忠の臣と罵られるべきである
たとへ不忠と言われようと国の荒廃には代えられない」と

晴信は「それでは各々方はいかなる方法で御屋形を廃去させるつもりか」と問うと、穴山伊豆守が「某ども評議して考えたのは、いかにかして信虎君を欺いて駿府に行かせ、今川殿に頼んで駿府に押し込めるかであります
このことは内々にして進めないと露見してしまうので、我ら以外の者には一人として話すことはできません」と言うと
晴信は「もはや儂は天罰をも怖れぬ境地の中に入ってしまった、この上は右であれ左であれ、そなたたちの計らいに全て任せることとする」
ようやく同意を得て、五人は各々家路についた。



戦国英雄イレブン データー

2024年03月05日 13時16分57秒 | 戦国時代
 テレビで近頃、最強の城ベスト**、最強の戦国大名**などの番組が増えた気がする。
「歴女」「刀剣女子」などの言葉が流行り、若い女性の間にこうしたブームが起こったのは嬉しい限りである。
今、「甲越軍記」を現代語に書き直す作業をしているが、考えてみれば戦国大名というのは今の我々が住む日本国の原型を作った人たちなのだ。
長い平和な貴族社会平安時代が平氏、源氏の武士の台頭で終わり、それ以後、徳川家康が日本を平定した1615年までの四百数十年間、様々な大名が出てきて戦いに明け暮れ、滅び去った大名の方が多い。
その中で1570年頃には勝ち抜いた大名のベストエイトが出そろったと言って良いだろう。
それは上杉、武田、北条、織田、徳川、(豊臣)、毛利、島津だ
豊臣は織田の家臣で、後継者となったが日本統一という偉業を達成したから、外すことはできない。 これがベストエイト
この他に力及ばずベストエイトに入れなかったが、やはりエイトに準ずる業績を上げた三家がある。
伊達、今川、長曾我部である。 彼らは同じ時代を生きたが、その年齢差は大きい、各家は代々続いた家が多いが、ここで言う英雄は、その家をもっとも大きくした当主の事である。
年齢が若い順に書いてみるが、伊達政宗は一人はるかに若いので、二番目に若い徳川家康の1歳時を基準とする(家康が1歳の時、他の英雄は何歳だったかということ) 名前は知っていても年齢差を考えることはあまりないと思う。


           戦国英雄イレブン
(最大領土=現代の都道府県、北海道、沖縄は除く)
伊達政宗マイナス24歳(宮城県、福島県)
*徳川家康にもっとも警戒された男、秀吉の台頭が無ければ奥州、北関東一円を領土にした可能性あり) 

徳川家康1歳(日本全国平定260年の徳川幕府を作った)
75歳の長寿を保ち、ついに日本を平定した

長曾我部元親3歳(高知、徳島、愛媛、香川)
*四国統一を成したが、財力、兵力で織田、豊臣には太刀打ちできず)

豊臣秀吉5歳(日本全国統一、朝鮮に侵攻して一時占領)
*信長の死後、家臣団同士の戦いに勝ち抜いて主役に躍り出る、抜群の知恵と勇気で百姓出身ながら日本を統一した。

織田信長8歳(岡山、兵庫、鳥取、京都、大阪、奈良、三重、滋賀、福井、石川、富山、岐阜、愛知西部、長野、山梨、群馬北部)
*本能寺で家臣明智光秀のクーデターで殺害された、もしここで生きていたなら秀吉以前に日本統一を完成させた筈、秀吉、家康の出番なく、日本の歴史は大きく違っていたはず。 世界観を持っていたのでフィリピン、インドまで進出した可能性がある。

島津義久9歳(鹿児島、熊本、宮崎、長崎、佐賀、福岡、大分一部)
秀吉に対抗して敗れたが日本の最果てと言う立地が幸いして、勢力を持ったまま生き延びて明治維新の立役者となる

上杉謙信12歳(新潟、富山、長野北部、能登、関東全域の支配権獲得)
領土拡大の意欲はなく、専守防衛に徹して信州の豪族を助け、武田信玄、北条氏康との戦いに生涯を費やした。

武田信玄21歳(山梨、長野、静岡、群馬北部、愛知北部、岐阜北部)
戦国最強の男、同じく最強の男上杉謙信と前半生を戦い続け、上洛のチャンスをロスした、これが無ければ10年早く織田信長を攻めることが出来た。
武力、知謀に優れ、もし健康であったなら家康は配下に組み込まれ、織田信長も危うかった。

今川義元23歳(静岡、愛知三河地方)
*血統書付きの名族、信長に殺されるとは夢にも思わなかった
北条氏康27歳(神奈川、東京、埼玉、群馬、栃木西部、千葉北部、伊豆箱根)
*関東を占領したが息子が平凡で決断力と判断力に欠けて秀吉に滅ぼされた。

毛利元就45歳(広島、岡山、山口、福岡東部、島根、鳥取、兵庫、瀬戸内海)
長男が早世、孫は平凡であったが元就の二男、三男が毛利家を守った、家康に敗れて、260年山口県に押し込められたが明治維新の主役となって明治新政府の中核となる。

結果として、信長、秀吉、家康は一人と考えても良い経路をたどった
同盟者、主従の間柄だったからだ、秀吉と家康は一度本格的に戦ったが、信長の二男を間にワンクッション置いたのでいずれかが滅ぶ戦にならず、規模で勝る秀吉に家康が臣従したことで丸く収まった。
家康と北条氏政の人間の出来の違いがこれだった。

自らチャンスを潰したのは武田信玄だろう、信州は北信濃に構わず南部だけにして三河から尾張に進み、上洛は考えず織田信長だけに絞り、尾張の占領の為の戦なら大いに勝ち目はあっただろう。
それから上洛でも良かったはず、家康はこの時点で信玄に降参するしかなかったはず。
もっとも上洛後に何をするかと言えば、権威主義の信玄は足利幕府の再興に力を注ぎ、足利将軍の執事で満足したかもしれない。
天下統一の野心は無かったと思う、甲信は都から遠く、情報も最新のものは入らず、尾張や近畿の開けた土地に住む人間には結局敵わなかっただろう
信長が生き延びても、四面楚歌の信長であるから、いずれどこかで討ち取られる、すると秀吉がいずこかの大名に仕えて頭角を現す可能性は高い
また武田家に従属した家康も辛抱を重ね、10年後に信玄が亡くなれば、これまた頭角を現すであろう。
結局、最後は信玄より16歳から20歳若い家康と秀吉の覇者争いになっただろう。





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 31

2024年03月04日 20時30分27秒 | 甲越軍記
 小山田備中は晴信を諌めて言うには「御孝心は道理に叶うことと言えども、今信虎公を廃し、速やかに当家を治めないと申すなら忠臣は去り、百姓は恨みを抱いて他国の侵入に手を貸すでしょう、そうなれば代々続く武田家が滅ぶのは必定であります、その時に至れば御屋形はご先祖に対して不孝を働いたことになります。
それゆえにこれま忠臣が諌めましたが皆お手討ちになり、あるいは家を失うこととなりました
今や誰も御屋形に諫言する者はいなくなり、みな一様に口をつぐんでいます
某らも命を惜しんでいるわけではありませんが、諫言しても効果なく犬死するのも惜しく、国の荒廃を天命に任せてただ見過ごしていることもまた忠臣の行いとしては言えません。
某の家系は累代の御屋形様に仕え過分なる禄を賜って来た者で、いわゆる「世臣」という者であります
世臣は一代の主が無道の者であれば、その主の為とは言え、命を投げ出すことは致しません
晏子が申すところの『君社稷の為に死する時は、臣これに従う(君主が国家の存亡の為に立ち上がる時は、臣もこれに従う)』と申す是なり
無道の君の為に命を捨て、国が倒れるのを待つのは、臣らの職分にあらず
数代の家系の断絶無きよう国を守る、これが職分であります
今日、館の廃去の計略を巡らすのは恐れ多いことではありますが、国家が退廃するのは忍び難く、やむをえず致すことであります
ただいま君の申される通り孝道を守り、子の道を尽くそうとも今後他国により御父君が滅ぼされたなら御先祖代々の墳墓は荒らされ、新羅殿から続く家系は断絶し、信虎暴虐の為に国を滅ぼした、その子の晴信は才智勇気を持ちながら
ただ孝心に縛られて国を亡ぼすとは何ぞや!と後ろ指を指されるでありましょう
また我ら臣下も国家の滅ぶを雁首並べてただ見過ごすとは、武田家に忠良の臣多いと聞いたが計議も行わず、ただ滅ぶに任せたのそしりを受けるでありましょう
君、よく道理を察したまえ」と言えば、晴信は一言も発することなく不機嫌になって立ち上がると障子を荒々しく締めて去っていった。
五人の老臣は互いに顔を見合わせて、この日は仕方なく家路についた。 

その後も、五人は時々会っては話しを交わし「今一度、晴信君にお会いして奮起をうながすつもりであるが、この期に及んでも甲斐ない時は我らは職を投げうって他国に参ろうではないか」と決して目通りできる時を待つことにした。







東京マラソン パリ五輪男子マラソン代表3人決定

2024年03月04日 11時55分19秒 | マラソン/駅伝
パリ五輪の男子マラソン第三代表はMGCで三位だった大迫傑に決定した。
昨日行われた「東京マラソン」でも2.05.50を破った選手がいなかったため、MGCで三位に入った大迫に決まった。
大迫傑はマラソンでは日本第二位の2.05.29の記録を持っている
既にMGCでパリ代表が決まっていたのは小山直城、赤崎暁
小山は大阪マラソンで2.06.33の自己新で 3位に入った
一方 赤崎は 2時間9分台 少し 戦うには 心配な 数字である 日本記録保持者2.04.56の鈴木健吾も出場したがパリは遠かった、因みに奥さんの一山真緒選手は既にパリ五輪出場を決めている、女子の第三代表は10日の名古屋ウィメンズで決定する。 MGC三位だった細田あい選手はケガで名古屋の出場が取りやめになった、残念。

東京マラソンは男子はケニアのキプルトが世界歴代5位の2.02.16で優勝
上位6位までケニアとエチオピア選手で独占した、3位まで全員ケニア
世界2位の記録を持ち、今回は人類初の2時間切の世界記録を期待されたケニアのキプチョゲは20km手前で失速して10位に終わった
日本人のトップは西山雄介で2.06.31 全体の9位だった

女子はエチオピアのケべデが2.15.55で優勝、日本人の一位は新谷仁美で2.21.50、全体の6位と健闘したが自己新記録は出せなかった。




韓国映画

2024年03月04日 08時31分33秒 | 映画/ドラマ/アニメ
昨日、衛星放送録画しておいた韓国映画を見た
「高速道路家族」
「半地下・・・」「一日(ハル)」なんかもそうだが、ごく普通の人間模様で一本の優れた映画を作る技術が韓国にはあるようだ。
高速と半地下は、並の暮らしよりかなり苦しい生活者が主人公だが、そのような社会から取り残された家族が強く生きていく、そしてそれが壊れた時の脆さ
日本でも現実に貧富の差が広がり、都会と地方の収入格差や、いつ解雇になるかわからない低収入の派遣労働者、アミューズメント格差、人口問題、高齢化、医療格差も広がりつつある
いずれこのままだと、韓国映画のような題材が地方でいっぱい拾えるようになりそうだ。

投資話に騙されて借金を背負い逃げ回る家族、夫は高速道のSAで寸借詐欺を繰り返して、何とか家族を養っている・・が逮捕され
残された身重の妻と二人の子供は、訳ありの女性の家につれていかれて・・・

日本の少子化が問題視されているが、韓国はさらに上を行く少子化で50年後とかには2000万人台になると言う、北朝鮮がその頃どうなっているかはわからないが、半島もこの50年で様々な問題が出てくるだろう。

韓国ドラマは最近ほとんど見ていない、貧しい家の娘と、金持ちの息子の恋愛にイリイリさせられるワンパターンには飽きた
だが映画は秀作が多い、社会問題に向き合うドラマが面白い
何でもない日常の中のちょっとした問題が映画になる、それを面白くみられる感覚は、薄味のお吸い物を頂くような感覚である
後味がいつまも脳裏に焼き付いている。




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 30

2024年03月03日 19時31分01秒 | 甲越軍記
 この席を催した信形が前に出て、近習を遠ざけさせた。
晴信は五人の老臣に向かって言うに「信虎公、某を廃し信繁をもって家督を譲らんとすること数年に及び誰知らぬ者はいない。
この晴信、一国を治める才知が無く、信繁に我の十倍の孝心才智があったとしても、彼は二男、我は長子である、世間でも、信虎こそ長子を捨て庶子を立てるのは世間の理に適わぬのではないかなど様々に申しておる
当家の虚を伺う敵、信州に村上、木曽、諏訪、小笠原あるというのにわが武田の家では家嫡を廃し人心一致せず、この時に乗じて甲州へ乱入しようと諸方一度に蜂起して乱入すれば家の危機である
我に国の危急を救う器量が無く、この身を他国に漂泊してどこかの山野で餓死するとも、この身の不肖であれば、なんら惜しむことはない
武田の何某こそ家嫡を憎み、それゆえ国家を滅ぼすならば萬世の後まで誹謗を被るであろう、嘆かわしいことである汝らは、これをどう思うか」と問えば、五人は互いに顔を見合わせて一言も話さない

甘利備前守が進み出て「いにしえより長子を捨て二子を立て、愛に溺れて国を失った例は和漢共に少なからず、戦国の世には一歳でも長じて居れば采配柄を握り、他国の為に国を奪われるを防ぐ人に家を継がせたまわることが第一の急務と思いまする、君はまさに御惣領であり上下が帰伏し、才智武勇共に兼備されています
信繁君よりも優れているのは明白であります、ひとえに御屋形が長幼の順をあえて変えることは、他の者は知らず、某は御屋形の考えに同意するつもりは毛頭ありませぬ、この上は何かの方策を致すべきでありましょう」

穴山伊豆守は最前で頭を傾けていたが同じく進み出て「老臣たちを集め胸中を問いただされたからには、君の心中を明かして何かの術をお話しくださらなければ、身の難を招くでありましょう
御屋形の所業は天道人理、二つに背く未曽有の悪行、このままでは当家の滅亡は目に見えております、また信繁殿が家督を継げば一年とこの国を保つことはできますまい、この上は信虎公を廃し、晴信君を当主と成したまわるほか道はありますまい」と申された。
小山田、板垣、飫富もまた「穴山殿の申されること至極当たっており同意いたします」と一同意見を揃えた。
そして「こうなれば、速やかに行動なさらなければ、武田家危急存亡の時となりましょう」と皆声を揃えた。

晴信は、これを聞いて大いに驚き「これは思いがけぬ評定を聞いたものよ、父を廃するとはなんぞ、父母の恩は等しいと言うが、その中でも父の恩は大恩である
『君は至って尊しと言えども親しからず、母は至って親しと言えども尊からず、父よく尊親の義を兼ねたり』と申す
かかる大恩ある父を廃去し、不孝の働きをなしたなら神罰を被り、悪名は世間に広がるであろう、この上は進退を御屋形の心のままに任せるのがよい」と涙を流すのであった。