街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

延永ヤヨミ園遺跡その後後後

2010-03-01 23:54:41 | 遺跡

 全体像を推し量ることが出来ないくらいに住居跡が検出されているのがよく判る。犇きあっていると言っても過言ではない。何度となく建て替えられているのではあろうが同一の場所のように見える。

 高さが異なる住居が在った様だが、複合遺跡であろうか。まだまだ手前にも向うにも拡がりを見せつける遺跡である。ますます墓地を見つけてもらいたいという気持ちがつのるのだが無理かもしれん。あの名も無い古墳とどのように結びつくのかつかないのか判明すれば面白いであろう。
 6世紀といえば継体天皇から始まり推古天皇で終る。日本の基礎が築かれた世紀でもある。また、継体天皇の世は筑紫君磐井の反乱があり、鎮圧され磐井はこの地方に落ち延びてきたという説もある。まあそれだけ天皇の力がこの九州にも及んでいたということである。
 そのような時代に突然ここに住居が出来たわけではなかろうが、それ以前から土着の人々がいた可能性もあろう。私はそれにロマンを見出すのである。
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UFO 隕石 ではない

2010-03-01 04:47:19 | Weblog

 北帰行の一陣が過ぎてゆくのを見送っているときに見えたものである。 
 以前テレビでこれと同じ写真を出して「UFO]と言った愚か者がいたが飛行機である。
 現象と言っていいのかもしれないが、夕方にはよく見かけるものである。
 読者諸氏も既に納得されているであろうから「ふーん」と言いながら見ていただければよろしいかな。
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北帰行

2010-03-01 04:40:58 | Weblog

 天気が良かったので妻と散歩に出た。妻が空を見上げている。「ほら」「おっ」
 鶴と思われる多少大型の鳥である。ニュースでは鶴の北帰行が始まっているのは知っていたが今年も見ることが出来た。 
 鶴は韓国釜山を目指し朝鮮半島を縦断しロシアへと向うのである。
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戸山原古墳その後

2010-03-01 04:30:08 | 戸山原古墳


 若い方の作業員が重機を使って駐車場を造っていた。駐車場には車3台分のスペースがある。カメラを向けると「おやっ」という表情でにこりとした。その笑顔には何か含みがあるようだったが、すぐに重機を停めて降りてきた。「よう、おつかれ。じゃまするよ」「どうぞ。足元が悪いので気をつけてくださいね」「ありがとう」
 二回目の訪問ではあるが顔見知りとなってしまった。ありがたいことだ。
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延永ヤヨミ園遺跡その後後後

2010-03-01 04:21:01 | 遺跡

 もう読者諸氏には説明も要らないであろう。霧雨に煙る中に佇む。

 住居跡が重なり合って検出されている。何度となく建て替えられたのであろう。柱穴がいくつもいくつも点在している。住居はさほどに大きくもないので3ないしは4人が住んでいたのかもしれん。この付近一帯だけでも八百人から千二百人位が住んでいたと思われる。
 居住区が広がっていく可能性が高いので住宅密集地には間違いはない。
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