リスペクト(事例紹介)コラムです。
訃報が入りました。木之本さんが亡くなられたという事ですが、普段余り聞かないお名前ですが、確かあの時「プロジェクトX」で登場した人だよなと、ピンときました。その時観た記憶は、川淵チェアマンよりも更に大きなJリーグの功労者。かなりご苦労をされた方ですが、Jリーグ及び日本サッカーに残した功績は甚大と記憶していました。まずは、今朝の山陽新聞の記事から、抜粋して紹介。
【山陽新聞】
木之本興三氏(元Jリーグ専務理事、元日本サッカー協会常務理事)。15日にうっ血性心不全で逝去。68歳。千葉市出身。古河電工(現J2千葉)の選手だった26歳の時に致死性の病気で腎臓を全摘出して引退。余命宣告も人口透析を続けて、JSL(日本サッカーリーグ)の事務長、総務主事を歴任。アマチュア至上主義だった日本サッカーのプロ化や地域密着の理念づくりに尽力し、「命懸けでJリーグを作った男」として知られた存在。'03年のJリーグ専務理事退任後は、難病で両足を切断したが、日本サッカー界への提言を続け、'13年に「日本サッカーに捧げた両足」を出版。
【ウィキペディア】
現役引退後は、森健兒氏と共に、Jリーグ創生のほとんどを担う。Jリーグ発足後は理事及びジェイリーグ映像㈱、ジェーリーグフォト㈱、㈱ジェイリーグエンタープライズ社長を兼任。日本サッカー界では'02年W杯に向けた強化推進本部副本部長を務め、本大会では日本代表団長に就任。大会期間中、ホテルで意識を失ったり、バージャー病に冒されたことが判明。'03年、当時の川淵日本サッカー協会会長、及び鈴木Jリーグチェアマンに解任されたが、'04年以降、㈱エス・シー・エス代表取締役、フクダ電子アリーナ名誉会長、アブレイズ千葉SC代表に就任。'09年からは、サッカーからマネージメントと地域連携を考えることを目的として、千葉大学と連携で教育課程普遍講座の講師となり、サッカーのマネージメント地域との関わりについて授業を展開。
すごい経歴ですね。川淵チェアマンどころじゃないです。まさにJリーグ誕生の恩人。よくわかりました。そのプロジェクトXですが、調べたらある程度情報が出てきました。その説明文は以下のとおり。抜粋して紹介。
国内最大の競技人口を誇るサッカー。全ては、10年前に誕生したプロリーグ「Jリーグ」に始まった。かつて日本サッカーは、五輪、W杯の予選に勝てず、嘲笑を受け続けていた。選手の所属する企業は、スポーツを宣伝と考え、社員選手の身分は不安定で、会社を追われる者もいた。サラリーマン選手が頂点のサッカーに、夢を抱く子供は殆どいなかった時代。
「企業スポーツから脱却して、老若男女、地域密着のプロリーグを作りたい」立ち上がったのは、不治の病に倒れ、夢破れた元サッカー選手・木之本興三。奇病・グッドパスチャー症候群にかかり、腎臓を切除。数年の命と宣告されていた。木之本の情熱に、高校からマネージャー人生一筋の男や、日本サッカー界に絶望し、一度はサッカーを捨てた男たちが集結。
しかし、その道は、困難を極めた。スポーツのアマチュアリズムを掲げる日本サッカー協会は反対。しかも、チーム名から企業名を外すことに、スポンサーの大企業が猛反発した。「100年かかっても無理だ」。周囲の目は冷たかった。しかし、木之本は、週三回、人工透析を続けながら、執念で説得を続けていく。地域密着のプロリーグ・Jリーグ創設に命を賭けた男たちの、情熱と友情のドラマを描くとありました。
電子書店パピレス該当ページ:http://www.papy.co.jp/act/books/1-20939/
たぶん、レンタルショップを探せば、DVDがレンタルできるのではないかと思います。観たくなったので、今度TSUTAYAかどこかで探してみようかなと思いました。川淵日本協会最高顧問と村井チェアマンにコメントを紹介して終わりたいと思います。
川淵三郎・日本協会最高顧問:
「言葉で言い表せないほどのショックを受けている。病と闘いながら不屈の精神でプロ化に取り組んだ功績は誰もが認めるところ。彼がいなかったらプロ化の機運が起こり得たか。そのことを思うと心からの敬意と感謝をささげなければならない」
村井満・Jリーグチェアマン:
「一昨年に対談取材でJFAハウスにて、Jリーグや日本サッカーの未来について熱く語り合った記憶がまだ鮮明に残っている。木之本氏はJSL時代から日本サッカーのプロ化の先鞭をつけ、最前線で奔走された。木之本氏がいなければ今のJリーグの姿は無かった。木之本氏が安心してお休みになられますよう、全ての関係者が力を出し合い、Jリーグの理念の実現と日本サッカーのさらなる発展に尽くしたいと考えている」
Jリーグ公式HP該当ページ:http://www.jleague.jp/release/post-47784/
当ブログのサッカーとの関わりは'93年開幕の前年くらいからですが、木之本さんはその前の時代に生きた功労者ですね。そのJリーグも数年前には首をかしげるような価値観で覆われていましたが、村井チェアマンの手腕で、再び木之本さんの意志を活かせてくれると信じております。伝説の功労者の領域に、当ブログも少しでも近づけたらと思っています。ご冥福をお祈り申し上げます。
と書いていたら、J1柏の公式HPに「木之本 興三氏 ご逝去に際しまして」と出ていました。さすがです。こういう価値観がJ1にふさわしいクラブなのではないでしょうか。他のJ1クラブはどうなんだろ。
J1柏公式HP該当ページ:http://blog.reysol.co.jp/news/2017/015278.html