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ジュビロ磐田のホームタウン活動12

2019-12-12 00:01:09 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 リスペクトコラムです。
 タイトル名が微妙ですが、気にしないで下さい。先日のJ1リーグで磐田さんのJ2降格が決まってしまいました。以前にJ2時代(確か名波監督)にCスタで拝見していますが、また来てしまうのですね。何度も書いていますが、磐田さんは元々J1の強豪で、ゴン選手がいた頃はチーム内でバチバチ火花を散らして、競争が激しかったのを覚えています。今回の磐田さんの降格についてはコラムが多かったですね。
   
【必然だった2度目の降格】
〔昨年12月に出始めていた名波体制のほころび〕
「リーグ優勝3度の名門は、序盤から低迷。1シーズンではクラブ史上最多となる4人が指揮を執る異常事態に陥った。」
「J2降格の大きな原因は、名波体制での不振。崩壊の予兆は18年12月に出始めていた。昨年12月1日。リーグ戦最終節の川崎戦に敗れ、16位となり昇格プレーオフ(PO)出場が決まり、名波監督は辞意を固めた。しかし木村稔前社長と服部年宏強化本部長(46)の説得で、PO(8日)勝利後に続投することを決めた。この1週間の遅れが、チーム作りに影響を及ぼした。補強で出遅れたのだ。」
「名波監督はJ2時代の14年9月に就任。生え抜きでない加藤久GMが強化の責任者だったが、J1昇格後の16年限りで退任。17年からはジュビロで名波監督の後輩にあたる服部氏が責任者となったが、次第に指揮官の持つ権限が大きくなっていった。」
「名波監督の続投が決まらず、素早く補強に動き出せなかった強化本部の責任も大きい。複数のクラブ関係者は「名波さんに頼りすぎていた」と語った。
 カウンターで勝機を見いだすスタイルで17年にJ1で6位と躍進したが、将来的にJ1で優勝争いするために18年から戦術を増やすことに取り組んだ。今季も鹿児島キャンプからバイエルンなどを手本に、高度なポジションチェンジを特訓。だが、ある選手は「MF山田(大記)、松本(昌也)ら数人しかできなかった」と振り返る。戦術面の熟成も進まなかった。」
引用:スポーツ報知


〔指揮官3度変わるも低迷のまま〕

「名波監督の後任が発表されたのは7月1日。強化本部が選んだのは、鈴木秀人ヘッドコーチ(45)だった。」
「4年9か月、名波監督が築いたベースは変えずに、最下位からの反攻を目指した。」
「結果は芳しくなく、鈴木監督は5試合目で1勝4敗となった時点で「体調不良」を理由に退任。在任期間はわずか45日だった。暫定的に指揮を執った小林稔コーチ(43)を挟み、ようやくスペイン人フェルナンド・フベロ監督(45)の就任が発表されたのは8月19日だった。1シーズンで4人が指揮を執るのは、J史上4例目。」
「15年のパラグアイ・グアラニー時代には南米王者を決めるリベルタドーレス杯で4強に導いた指揮官が就任し、これまでは選手個々のアイデアに任せていたサッカーが、決めごとの多い攻撃サッカーに変わった。重視したのはサイドチェンジを多用するサイド攻撃だった。
 練習でもこれまで以上の激しさを求めた。選手からは「練習の強度が前と全然違う」という声が相次いだ。荒療治による改革が始まったが、新監督が未経験のJリーグで自軍の選手たちの特徴を把握するには時間がかかった。8月24日のC大阪戦から始まったフベロ体制のジュビロは3連敗。指揮官を変えても、結果はすぐには出なかった。」
引用:スポーツ報知


〔フベロ監督の意向くんだ選手補強を〕

「練習では主力組とそれ以外を完全に分けた。紅白戦でもサブ組が主力組に入ることはほぼなかった。サブ組だった選手は「(紅白戦で)勝っても、主力に入れる気配がないのは残念」とこぼした。チームを完全に分けるのは欧州出身の監督がよくやる手法だが、入れ替えがない状況は、チーム内の競争力が低下するリスクも同時に発生。選手間に戸惑いも生まれた。
 完全非公開とされた試合前日の練習は、ベンチ入りメンバーとそれ以外の選手で開始時刻が分けられ、ヤマハスタジアムでの試合前、ベンチ外メンバーがロッカーに立ち入ることさえ禁じられた。選手からは「名波監督時代とは180度違う」「チーム内がバラバラ」という不安の声もあがった。それでも指揮官はぶれずに、自ら信じる道を進んだ。
 バルセロナのBチームで分析スタッフをしていたフベロ監督が選手に求めたのは、攻守の切り替えやサイド攻撃を徹底させる戦術だけでなく、勝利への飽くなき情熱だった。」
「フベロ体制以前は、複数得点した試合がリーグ23戦中わずか3試合。それが就任後初勝利した大分戦以降は7試合中5試合と、得点力は大幅にアップした。1試合あたりの平均勝ち点も、フベロ監督が1・3、名波元監督は0・82、鈴木元監督は0・6、暫定で指揮した小林元監督は1だった。」
引用:スポーツ報知

   
【ジュビロ磐田、J2降格への悪夢はどこから始まったのか? ブレたクラブの方向性と揺らいだ根幹】
「今シーズンが始まる前から、一部の専門誌やインターネット上などでは降格候補の1つにあげられていた。昨年はJ1で16位。J1参入プレーオフ決定戦で、東京ヴェルディに勝利し、どうにか残留を果たしたが、オフの補強はレンタルバックを含めてもわずか4人。磐田より上位のチームですら、どん欲にチーム強化に励んでいたことを考えると、客観的に見れば、この結果も仕方ないだろう。」
「小野勝社長は「今年はけがで離脱していた選手たちも、キャンプで非常にいい動きをしていた。そういう意味では去年の戦術に、その離脱した選手たちが戻ってくることで、しっかり戦えるという判断のもと、キャンプからスタートしたのですが」と試合後の記者会見で話していたが、結果的には見込みが甘かったということになる。」
「潤沢な資金をもって有力な選手を入れていける動きではなかった」と社長は話し、入れ替え戦を戦うことで補強に動くタイミングが遅れた不利もあった。ただ一方でMF中村俊輔、FW川又堅碁、MF田口泰士らビッグネームを獲得できていた、それまでのオフとは明らかに違っていた。名波ジュビロの限界を他チームの選手たち、そして代理人たちが感じ取っていたかのような動きだった。
 J2で戦う2014年シーズンの途中から指揮を取り始めた名波元監督。クラブのレジェンドとして名門復活の期待を背負っての登板だった。初年度はプレーオフで悲劇的な敗戦を喫したが、オフの補強も含めて、チームの方針をしっかり内外に示せていた。」
「練習場の敷地内にユースの寮を作るなどの下部組織強化策や、DF大南拓磨やMF藤川虎太朗らの獲得の先頭に立ち、生え抜きの若手の積極活用を狙っていた加藤久GM(当時)が2016年11月に退任。この時点で複数の視点、客観的な意見がクラブ内から出る素地は失われつつあったのかも知れない。」
引用:フットボールチャンネル

 1シーズンで4人の監督ですか、それは多い。それだけ迷走していたのですね。元代表の服部氏は強化本部長で、名波氏に頼りすぎていて対応が遅くなった強化本部の責任も重いとあります。一時期J1の6位まで上昇したのに、戦術に心配したのも大きいのか。プレーオフ出場のために、補強が遅れた事もあるようです。そして南米の強豪から来たスペイン人のフベロ監督にようやく落ち着いた矢先の降格でした。フベロ監督は続投のようですが、磐田さんの事例を観ると、やはり「監督力」かと思い直させます。
 磐田さんはやはり、J1が似合います。磐田さんといえば川又選手。J1に行かずにCスタに凱旋という事になるのでしょうか。今季は柏が無双でしたが、来季は磐田さんが無双になるかもしれませんね。
 それにしても、磐田さんといえば、昨季J1で16位のチーム。入れ替え戦でヴェルディさんに勝って残留を決めましたが、1年後にJ2へ自動降格となりました。厳しい世界ですね。
J1磐田関連⑩:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20151128
   〃    ⑨:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20131111
   〃    ⑧:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20131111
   〃    ⑦:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20121020
   〃    ⑥:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20120425
   〃    ⑤:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100628
   〃    ④:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100221
   〃    ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20090929
   〃    ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20080313
   〃    ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20060713

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