森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ずぶぬれの木曜日」と「音叉」

2024-10-07 02:29:51 | ユーモレスクを聴きながら(book)

8月にエドワード・ゴーリーの本を知ってから、他の作品も気になって仕方がありませんでした。(横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展」 )

それで何冊か読み始めました。

彼の作品は、心にやすりがかかるような何かザラっとする感覚があったり、ちょっとした怖さがあったりすると思い込んでいましたが、案外そうでもないなと思えてきました。

特に今から紹介する「ずぶぬれの木曜日」などは、なんて言うか、読後感がさわやかです。

ある終日雨の木曜日。

ブルーノと言う犬は、飼い主がどこかに忘れてきてしまった傘を探しに街に出ます。

 

絵本でありながら、ちょっとした群像劇。

奥様達は雨の中で立ち話。

傘屋では、男がずっとイチャモンをつけてます。

子供はふらふら水遊びで溺れかけ、だけど・・・・・(ちょっとネタバレ回避)

一日の終わり、傘を見つけた犬は飼い主に褒められて、そしてそれぞれの木曜日も終わるのです。

成るようになって。

ある意味、ハッピーエンドだと思います。

―ゴーリーをいち早く評価した文芸評論家の大家エドマンド・ウィルソンはゴーリーにあてて「『ずぶぬれの木曜日』は君の最高傑作の一つだと思う。素晴らしい掘り出し物だ。」と書いています。―とあとがきにありました。

読後感を思うと頷けます。

 

 

もう一つの作品は、先に紹介したものとは違って、それこそまさに「心にやすりがかかるような何かザラっとする感覚があったり、ちょっとした怖さがあったりする」作品だと思います。

「シオーダみんなの鼻つまみ、ただいるだけで不快の極み」で始まる物語。

服も話し方も嫌われて、見ても聞いても、みんなが嫌悪で頭を抱えます。

世を嘆いて海に飛び込むシオーダ。

だけど彼女は死にませんでした。

海の底に潜む怪物が、彼女の話に聞き耳を立てます。

怪物は彼女の声にも見た目にも、何にも嫌悪の感情を抱きませんでした。価値観が違うのです。

嫌われない世界にたどり着いたシオーダはホッとして、今までの嘆きを語るのでした。

怪物はシオーダの話に驚愕。

 

そして地上では、シオーダが居なくなってホッとし幸せに暮らし始めた家族が居ました。

だけどその家族は一人また一人と不幸が迫って来て、みなお風呂場で順番に溺れて死に絶えてしまうのでした。

 

家族が死に絶えたことを知っているのかいないのか、それでもシオーダは自由な気持ちに解き放されて、髪をカールしパールで飾るのです。そして時には夜に沖に出没して、地元の人を震え上がらせたのでした。

なんか奥が深いお話だと思いませんか。

それにこの物語は、ちゃんと韻を踏んだ詩の形で成り立っているのです。私が書いた雑なあらすじでは申し訳ないと思います。

 

 

ルート君が言うには、美術館に展示された絵の中には、怪物にしっかりとお風呂場に引きずられていくお父さんの絵もあったそうです。

 

それは勘違いと考えることも出来るのですが、別の作品で美術館にあって本にはなかったと言うのが他にもあったので、一概に勘違いとは思えないのです。

原画はあっても、残酷さ回避ゆえに編集の時点で外したのかも知れませんね。

 


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ありがとう、そしてさようなら

2024-10-06 14:00:32 | 同じ時代の船に乗る

4輪で終わりかと思っていた我が家の朝顔でしたが(9月の4枚☆2024)、なんと翌日も咲き、昨日は3輪もいっぺんに咲きました。

我が家のベランダは、猛暑の夏は本当に地獄のようで、そんな真夏にひょっこりと芽を出し期待もしてなかったのですが、途中で一度はケアしたものの、思った通り花など無縁な朝顔だったのです。涼しくなったので、きっと朝顔もホッとしたのでしょうね。

 

 

だけど・・・・

いつも素敵な朝顔がたくさん咲いていた庭の住人は、逝ってしまわれたのですね。

4日の日は、少し時間に余裕があったのでブログ周りをしていました。

そこで知ったある方の訃報。

今はコメント欄も閉じていますので、特別に深いお付き合いがあったわけではありません。

それでもブログの行き来はありました。

私はブログのお付き合いで一番大事なことは、お互いの記事を読みあうことだと思っています。

私もその方のブログに行きましたが、その方もよく来てくださいました。

 

ただ、バタバタしている時、または自分の体調がイマイチの時は来てくださった方のブログ訪問がやっとになることも多いのです。8月9月はまさにそれでした。

それで4日の日に他の方のブログで知ったのです。

その時、その方のブログに行ってみても、なぜこの記事で訃報が分かったのか分かりませんでしたが、その方と親しかった方がコメント欄に書き込んでくれたのです。

ショックでした。

同じマンションに同じくらいのお歳の方がいて、私のあこがれの人なのですが、その方のピンシャンと立っている佇まいが素敵なんです。

なんでかその方とイメージが重なっていました。

過去に娘さんを先に亡くしてしまった悲しみを抱えているというのに、それでも強く美しく生きている様に惹かれていました。

 

だけどこの日、私は今頃で本当に申し訳なかったのですが、別の方の訃報も知ったのです。

かつては所謂企業戦士でした。その後、アルコール依存に陥ってしまいました。きっと現役時代の過激さと必要に迫られた飲酒の習慣に、そこに導かれてしまったのかも知れません。

断酒後、コロナ前は自らゴミなどを拾い、街の浄化に努めていました。

病気になられても頑張っていらっしゃいましたが、これが最後の更新とその方がブログに投稿された後も、私が新しく記事を更新すると訪問してくれていたのです。

きっとあまり自由に動けなくなったお体で、それでも読んで応援してくれているのではないかと思っていました。

それならばもっと寄りそうな記事が書けないものかと思いつつ(美しい風景や花などの写真や、優しい詩の紹介とか)、結局何もしなかった私。ちょっと悔いの想いが残ります。

 

9月3日。私は何をしていたのでしょう。

呼吸器外来に行って、その帰り道に小さな秋を見つけていたと思います。

9月15日。私は何をしていたのでしょう。

姑を買い物に連れて行って、そして自分のうちの買い物。それだけでクタクタになっていたのではないかしら。

 

  

 

もうブログを通しての触れ合いが途絶えるのかと思うと、寂しい限りです。

ある時は頑張って、ある時はイキイキと生きていらっしゃった事を忘れはしません。

どうぞ安らかにお眠りください。

今までありがとうございました。

そしてさようなら。

 

※    ※    ※

素敵なブログです。

めんどりおばあの庭 (goo.ne.jp)

ヒゲジイのアル中よもやま話 (goo.ne.jp)


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名刑事コールマンの捜査と子育て両立奮闘記

2024-10-03 23:05:46 | 海外ドラマ

9月に見た海外ドラマの紹介と感想です。

ミステリーチャンネルの第1話の紹介文をそのままお借りします。

「パリで潜入捜査の名手として知られるシモン・コールマン警部はオシャレで気楽な独身者。長期潜入を終えた彼のもとに妹夫婦の交通事故死の報が届く。遺言状はシモンを3人の子供の保護者に指名していた。子供たちの住むエクサン・プロバンスの警察に異動した初日にベンチャー起業家殺害事件が発生。3人の子供たちの世話と犯罪捜査を両立させなければならないシモンの悪戦苦闘の日々が始まった…。」

あまりにも簡潔に書いてあるのを読んでしまうと、なんか自分の言葉で紡ぐのが嫌になる時ってあるじゃないですか。

そんな感じです。

補足して書くと、3人の子供と言うのは高校生・中学生・そして小学生と様々で、その時代時代の子育ての悩みや問題が起きて来て、奮戦するコールマンも微笑ましいのです。それでいてミステリー部分も、決してつまらなくなく、言うなればホームドラマ+サスペンスと言うドラマ。

だからそれなりに刑事物語として引込まれても、疲れを感じることもなく、お気楽な気持ちで見ることが出来るのが良いなと感じました。

これはフランスで放送された時、プライムタイムで視聴率トップを獲得したのですって。

 

と言っても、まだ3話。評判が良ければシーズンを重ねていくことは間違いのないことなので、その最初から見られたことは、私的には珍しい事だったかもしれません。

たった3話でも、彼女さんが出来たりその彼女さんと・・・・・

相棒との関係も気になります。次のシーズンが待たれます。

 

このシーズン1は、「ミステリーチャンネル」にて以下の放送予定で再び放映されますよ。

11月21日(木)16:00
第1話 Simon Colemanシーズン1第 1 話
字幕HD
11月21日(木)18:00
第2話 Le saut de l'angeシーズン1第 2 話
字幕HD
11月21日(木)26:30
第1話 Simon Colemanシーズン1第 1 話
字幕HD
11月21日(木)28:15
第2話 Le saut de l'angeシーズン1第 2 話
字幕HD
11月28日(木)16:00
第3話 Derniere Danseシーズン1第 3 話
字幕HD
11月28日(木)26:25
第3話 Derniere Danseシーズン1第 3 話
字幕HD

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9月の4枚☆2024

2024-10-02 21:50:48 | 梢は歌う(日記)

いつまでも猛暑の夏が居座っていました。

だけどそっと次の季節が近づいてきています。

もうすぐ行ってしまうのかと思ったら、なにげに

「本当に行ってしまうのですか。」などと、お名残り惜しくもなってくるのです。

アッ、いやいや

「猛暑」と言うのはお断りです。

名残の夏を探してしまう・・・

9月はいつもそんな時

 

夏は向日葵はたくさん見たけれど、朝顔ってあまり見なかったなって

昼顔見ながら思い出しました。

 

空を見上げて、

夏のモクモクの雲、まだまだあったけれど

なんだかあの雲、鯨さんみたいだな。

 

朝顔をあまり見なかったのは、家のベランダの朝顔が、ほとんど咲かなかったからです。

こぼれ種の朝顔。

こぼれ種でも、こんなに咲かなかったのは今までにはなかったよね。

全部で4輪。

それでも私は嬉しくて・・・💛


名残の夏を探していたら、

小さな秋を見つけたよ。











 
9月の4枚《夏の終わりの線香花火》
9月9日は「山下清展」に行ったわけですが、その帰りに真っすぐに実家に帰りました。予定では4時ごろには家に着いていて、3人で夕食を食べに行き、そして暗くなったら、姉妹だけで......
 

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「海のアリア」と「AWAY-アウェイ-」

2024-10-02 01:57:01 | 漫画・マンガ・まんが

9月に読んだ漫画の記録です。

萩尾望都作品がたくさん♪」と言う記事に書きましたが、9月はフラコミにて萩尾氏の漫画が大量無料放出がありました。その時、2作品を読みました。

一つは「海のアリア」です。この作品の初出は1990年。私の子供たちがまだ小学校に上がる前の作品です。

如何に萩尾望都氏の漫画が、今の私を作ってきたと言っても、やはり読んでない作品があるのです。

それは主に子育ての頃。

その頃は子供に合わせて「コロコロ」とか「少年ジャンプ」とか読んでいましたから(笑)

 

嵐の朝、海に投げ出され遭難してしまったアベルは記憶を失い、遠く離れた沖縄で発見される。

その後彼は音楽教師のアリアドに「君はベリンモン、私の楽器だ。」と言われてしまう。

不思議でしょう、このあらすじ。これはSF。

楽器になってしまうという発想、凄くないですか?

 

ただアベルが発見された沖縄でのエピソードが、素敵だったがゆえに逆に中途半端なような気がして、ちょっと寂しく思いました。

優等生だったアベルとその家族の物語も描き切れていたのかと思ったし、悪魔のように変化したアベルの学園物語は面白かったのですが、登場人物がもったいないような気がしました。

それでもアリアドの物語になると、切なさが倍増。何となく萩尾節が花咲いたという感じ。

そして、あれっ、こんな日常的なシーンで終わるのっていう感じも良かったです。

だけどこのアベルは、本当のアベルと言うわけではないよねと、思わず考えてしまいました。

 

 

もう1作品は「AWAYーアウェイー」。こちらは2014年からの作品で、もう子育て世代ではなかったけれど、父の闘病や仕事などで、漫画などを読む余裕がなかったのだと思います。

だけど2014年は「王妃マルゴ」とか読んでいました。ブログって、やっぱり便利ですね。感想を書いてないのに、書こうと思ったのか下書きで記事が残っていました。

 

「AWAYーアウェイー」はある朝突然に、世界から18歳以上の大人たちが消えてしまうのです。

徐々に分かってくるのですが、もう一つの別の世界があって、そこには18歳以下の子供がみな消えてしまった「HOME」と言う世界があるのです。

ちょっと大人が消えた世界と言う所で、「未満都市」を思い出してしまったのですが、あちらは細菌で20歳以上になったら死んでしまうという世界でしたね。

こちらは18歳になると、判で押したように子供たちは「HOME」に行ってしまうのです。

大人のいない世界がいかに大変かと、本当に感じます。即死亡者が出てしまう案件もありました。それにいち早く気がついた子供たちは凄いなと思いました。

それは何かと言ったら乳幼児たちの世話です。

彼らは持てる力を助け合ってのレベルではなく、誰かの世話がなければ、すぐに死んでしまう存在なのです。

赤ん坊たちの世話をしながら、大人に近い年齢の者たちがリーダーになって他の子供たちも支えます。だけれど、そんな彼らも18歳になると消えてしまうのです。

 

じゃあ、大人の世界は良いのかと言ったら、そうでもありません。18歳になって親の元に帰った子供たちは、確かに待ち構えていた親たちからみたらホッとできる出来事かも知れませんが、自分の子供が帰ってこない親たちからすれば、それは羨望からか、または自分の子供の情報を聞き出そうとしたいが故なのか、付きまとったりして、戻った子供たちはまともな生活さえ送れなくなることもあったのでした。

それに子供を出産しても、つかの間の時間しか手元にはいなくて、あっという間にAWAYに去って行ってしまいます。

大きなストレス社会としか言えないと思います。

そしてそんな世界になってしまってから、数年がたち・・・・

なぜかというのも説明されますが、なんでかちっとも頭に入ってきませんでした。

お馬鹿になってしまったのだと思いますが、かなり他のエピソードが印象的だったからかもしれません。

「とにかくそういう世界になってしまった。」で、私的にはokだったのかも。

 

この子供だけ住む世界に、なぜか取り残されて「HOME」に行けなかった人が出てくるのですが、子供たちからは頼りにされても暴君とかにはならず、取り残されたことに震えます。この人の孤独は計り知れないなと、私はそう感じました。

 

この漫画には原案がありました。小松左京の「お召し」です。読んでみたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 


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お馬さん日和 その2

2024-10-01 00:01:25 | お出掛け日記

・「お馬さん日和 その1」の続きです。

初めての競馬場体験のお話です。

「競馬体験」と言わないのは、昔、2・3回は友人に頼んで馬券なんかを買ったことがありますよ。

名前だけで決めて、まったくかすりもしませんでした。結婚する前のことです。

あまりギャンブルの才能は無いんです。今回も、それを身に染みて実感しました。

私は締まった馬の姿と、その馬たちが目の前を走っていくのが見たかったと言うのが今回の一番の理由です。

それでもやっぱり、競馬新聞を買うくらいですから、馬券を買う楽しみも少しはあったのです。

だけどその前にですね、凄く納得したことがあったので、そこから書きますね。

 

11レースの「スプリンターズステークス(GI)」は午後3時40分くらいからなんですよ。

第1レースは10時5分くらいから。

座席券の抽選に外れて、入場券のみを買った私たち。

そんなに早く行けないよと言ったら9時過ぎの入場チケットになりました。私のイメージでは最初の方のレースは捨てて10時くらいにのろのろと行けばいいのかななんて思っていたのですが、どうもその場所での楽しみ方のイメージが分かりません。それで妹の名都さんに任せることにしました。

それで8時半の待ち合わせになりました。

久しぶりの早起きです。6時半に目覚ましをかけて7時半に家を出ました。

なんか丸一日なのね。

そんなに長くて気持ちはモツの・・・・なんて思ってしまったのですが、そこは全く関係はなく、一日は楽しくあっという間に過ぎてしまいました。

確かに第1レースから楽しもうとなったら、その時間で行くのは正解ですが、8時とか8時半とかの入場でチケットを買うことの意味が、また別にもあるのだと、私は悟りました。要するに場所の確保です。

座席券がゲットできなかった場合、みな競馬場の中のベンチを確保するのですね。

9時入場でその事をまったく知らなかった私たちに、空いている席など見つけられるわけもなくがっかりしました。

 

でも外のレース場に行ってみると、芝生のいい場所を確保することが出来たのです。

この日のお天気は、

まったく暑くなかったのです。風も気持ちが良くて、ベンチは確保できなくても何も問題はなかったのです。

「なんてラッキーなんでしょう。」と私と名都さんは語り合いました。

だって涼しくなったのは、この2,3日前からだったし、27日の日はまた凄く蒸し暑く汗がダラダラと流れました。

素晴らしいお馬さん日和だったのです。

 

と言うわけで、また馬券の話に戻ります。

遠い昔、名前だけで馬券を頼んでかすりもしなかった私に、会社で隣に座って居た女性が、「私は馬の何々を見る。」と言ったのです。

彼女の言った「何々」って何だっけなぁと思いながら、お馬さんを見たら何かが分かるのかと、もう先に馬券は買ってしまったのですが、パドックにお馬さんたちを見に行きました。

やや、なんかやたらはしゃいでる馬がいるぞ。

なんかスキップしているじゃん。きっとああいうのはダメなんじゃないかな。

あら、あのお馬さん、やたらしょげている。

あのお馬さんもダメなんじゃないかしら。あのお馬さん、買っちゃったのよね。先に見に来ていたら、買わなかったかも・・・・なーんて事を思っていたのですが、トンデモナイ事でしたよ。

はしゃいでいた馬が3位だったと思います。そしてしょげていたように見えたシホリーンは1位だったのですよね、たしか。

きっとはしゃいでいて、まるでスキップしていたように見えたお馬ちゃんは、気持ちが高揚していたのですね。

そしてしょんぼりしていたように見えたお馬ちゃんは、「やったろう」と言う気持ちゆえに緊張していたのかも知れませんね。

 

と言うわけで、お馬さんたちを目の前で見ても全く分からない私なのでした。

 

3連複って、けっこう難しいなと思いました。2頭までは当たったりしますが、あと1頭がね。で、配当に拘っていないので、単勝で買ってみると言うのはどうかしらと思いましたが、申し込みチケット(?)の書き方が分かりません。それで近くにいるおじさまに聞いてみました。

その方は丁寧に教えてくださって、そして11レースの予想も教えてくれました。

ボックスで買う方法も教えてもらい

「これを買えば概ね間違いがない。」とおっしゃったので、その予想に乗ることにしました。

 

帰り道、私と名都さんは、「あの人、私たちに教えちゃって、ちょっとまずかったかなくらいなことを思ったかもね。」と言い合いました。

もちろん私たちは、外れたって何も思ってません。むしろ親切にして頂けて、その触れ合いが嬉しかったです。

その時、第4レースの馬券を単勝で3頭選んだ私。

すこぶる手堅いものを選んだので、1頭くらい来るのではないかと思いました。が、それも甘かったのです。

私の目の前をゼッケン12のダンツティアラがトップで駆け抜けていきました。

「そのままイケー!!」と言う応援の声が飛び交いました。

そのまま行くのだと思ってワクワクしました。

が、・・・・そうはならなかったのです。

でもまあさ、数秒、私の目の前で夢を見させてくれたのだから良いんじゃないと、私は思いました。

 

第7レース。

このまま箸にも棒にもひっかからないと言うのは嫌だなと、ちょっとだけ思っていました。

だって今日は、私的には競馬場見学会なのですから、このままでいったらアレを経験できないじゃん。

アレって払い戻しです。

パドックでゼッケン1のトライデントスピアってかっこいいなと思いました。それで単復で買ってみたのです。

3位でした。

アッ、これ払い戻し体験が出来るじゃんと、イソイソと払い戻しの機械を見つけ、やってみようとしたのですが、「どうやってするの、これ」状態になってしまいました。すると後ろにいたお兄さんが親切に教えてくれたのです。

そしてその人が名都さんに「勝ったのですか。」と聞いていましたが、すっごく恥ずかしかった、私。

「思ったよりいっぱい出て来たね。」と名都さんが言いました。

「うん、10円玉がね。」と私。

きっと後ろの人は、どうやったらそんな金額を出す掛け方が出来るんだろうかと、逆に謎を残したと思います。

でもこれで払い戻しの使い方も分かったし、さあこの先の不安もなくなったわと強気の私。この先、この場所には縁がなかったのですが(笑)

 

ここ数年でおばさん度が増した私。

見知らぬ人に話しかけるのに抵抗がなくなってきたわけですが

だから馬券の買い方から、払い戻し機の使い方も、親切に教えて戴けたのだと思います。

そしてたまたま隣に座られた気になる方ともお話が出来ました。

 

その方は一人で来ていた女性でした。家からだいたい私と同じ時間かかる埼玉の方でした。

レース場に来なくても馬券は時々買うとおっしゃっていました。

私は8・9・10レースは買いませんでした。2時間近く何をしていたかと言うと、ただ走ってくる馬を見ていたのです。なんか馬券を買ってしまうと、私は数字ばっかり見ているような気がしたのです。

「かっこいいな。可愛いな~ !!」と言っていたら、その人が

「そう可愛いんですよ、馬って。」と私の大きめな独り言に応えてくれました。

 

この日、途中で小雨がぱらつきました。

大した雨ではありませんが、ほんの少しだけ傘を差しました。

するとその方は、ちょっとかっこいい河童型のレインコートを着ていました。

出来るなお主ってな感じでしたよ。

 

帰る時、その人に

「またどこかで。」と言って戴けました。

「またどこかで。」と私も言って、ふと「勝ちましたか?」とにっこりしながら聞いてしまいました。

すると彼女は、とても可愛らしく指でジェスチャーをしながら「ほんのチョーっとね。」と、やはり微笑みながら言いました。

 

そして私は思いました。畑でも陶芸でも、そしてお馬さんのレースでも「ローマは一日にはならず」だなと。

 

お昼。

 

中山から船橋法典まで地下道で真っすぐ繋がっていました。

途中には歴代の優勝馬のパネルが飾ってあったり、絵が描かれていたりしました。

 

 

 

 

 

楽しい一日でした。

 

「お姉ちゃん、12月までに少しだけ勉強しておくね。」と、私は名都さんに言いました。

 

有馬記念、行けたら良いなって思っています。

 

 


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お馬さん日和 その1

2024-09-30 10:51:36 | お出掛け日記

ワタクシ、かねてより、馬がドドドと走っていくレースを見に行きたいと思っていました。

中山で「スプリンターズステークス(GI)」が29日にあると言うので、予定に入れて楽しみにし出掛けてまいりました。

競馬場体験は初めてなので、実はそのレースがどのようなものかなんて、実際にはさっぱり分かりません。ただ大きなレースなのねと言う感覚です。

少し29日前に競馬のお勉強をして行こうかと思いましたが、その余裕もなく、出掛けた朝に、地元の駅前のコンビニで「競馬エイト」を買いました。

コンビニのお姉さんが
「エイト・・・ですね。」と確認しました。

心の中で、「なんで?」と思いました。

普通の新聞と間違えてると思ったのかしら。

 

でも私もですね、この新聞を、電車の中で出して読む勇気はなかったです。

お馬さんファンに方には、ちょっと嫌な感じって思われてしまうかもしれませんが、なんたってやっぱりお馬さんレースはギャンブルですからね。

馬にはドウドウって言っても(私が言うチャンスはないけれど)、私は堂々とは出来ないことでした。

 

だけど途中で読まないのであれば、競馬新聞は中山競馬場の前で売っているおじさんから買えば良かったと思いました。

別料金だったかもしれませんが(もしくはサービス)、赤鉛筆が横にたくさんあったからです。

競馬新聞に赤鉛筆ってセットじゃない ?

この日に限って、いつも持って歩く3色ボールペンを忘れてしまったのです。

私はペンと紙(手帳など)を忘れると、スマホを忘れたくらいテンションが下がってしまうのです。

今思うと、そこからチョイ負けでしたね。

 

初めて体験なので、書きたいことはたくさんあるのですが(主にドタバタ体験)、やっぱり最初は、この「スプリンターズステークス(GI)」の事を書きますね。

なんとこのレースの勝利者は、ゼッケン13番ルガルでした。

このお馬さん、なんと後から知ったのですが9番人気だったのですね。

私もノーマーク。チョイ愚痴ると、このお馬さんが勝たなければ、3連複、実は勝てたのですよ~(ノД`)・゜・。

 

でももとより、ギャンブルの方は、実はおまけの楽しみだったので、すぐに「まっ、いいか。」ってなものです。

 

それよりもレースが終わった時、大画面に勝利の馬が映し出されました。

そのルガルを見て、思わず私「俺はやったぜ。俺はやったぜ。」とアフレコを入れてしまいました。これって、家にニャンコ・ワンコがいらっしゃる人って癖になってないですか?

だってルガル、そんな顔をしていました。

アッ、今気になって確認したのですが、牝でしたね。

じゃあ、「ふふーん。私やってやったわ。」だったでしょうか。

でもその時、西村騎手が目を腕で覆いました。泣いているのです。そしてルガルによくやったねと言うように、その首筋をポンポンと叩きました。

 

思わずもらい泣き。

 

表彰式でも、子供を抱いたご婦人が泣いていました。馬主さんでしょうか。

ドラマチックです。ここに至る道には、様々なドラマがあったに違いありません。

 

良いものを見たなと思いました。

 

 

ファイルを貰いました。妹のと2枚分写しました。

続きますが、次回は「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめての競馬場体験」で、上にも書いた通りドタバタ体験記です。


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「終わりに見た街」

2024-09-29 01:53:38 | テレビ・ラジオ

夏シーズンのドラマが終わってしまって、次のドラマが始まるまで、ドラマ好きにとっては一番夜がつまらない毎日ということになりますが、最近の私は9時頃から11時頃まで、昼寝ならぬ夜寝タイムでグーグーと寝ていることが多いのです。

何となくブログ更新から遠ざかってしまっているのも、そんなこんなが理由です。

 

ゆえにタイムリーには書けないことが多いわけですが、少しずつ追いつくように書いていきたいと思っています。

あまり熱くは語らずあっさり目になると思います。

 

先日大泉洋主演の「終わりに見た街」を見ました。

タイトルを見て、ああアレだなと思いました。

アレと言うのは、この山田太一原作のドラマは過去に2回映像化されていて、細川俊之主演の1982年版と中井貴一主演の2005年版があって、私は中井貴一主演の2005年版を見たことがあるのです。(もしかしたら両方とも。2005年度版は最後の方だけだったかも。)

その時も衝撃的なかなりインパクトの強い内容に感じました。

正直言って、お話の重さから再び見たくなるようなものではありませんでした。それでも主演が大泉洋でシナリオがクドカンなら、何か違ったカラーで見せてくれるかもしれないと思って見てみたのです。

主演以外も吉田羊・堤真一・三田佳子などのいい味を出していて、ドラマ全体が重すぎることもなかったです。

また脇を固める人たちの俳優陣が豪華でした。

神木隆之介・田辺誠一・塚本高史・西田敏行・橋爪功・勝地涼などなど。中にはほんのちょっとと言う方もいて、クドカン組の力だなと感じました。

このドラマの衝撃的な部分は、もちろん主要な訳の分からないSF部分、つまり家族で過去にタイムスリップと言う所だと思うのですが、なぜ彼らだったのかと言う謎は解明されません。でもそれは・・・・・って後で書きますね。

 

意外と驚きだったのが、若い人たち、つまり子供たちの反応です。

大人はこの戦争のあとに、何が来るかを知っています。何としても生き延びなければ、生き延びることが、最初の1歩です。

だけど子供たちは、今目の前の現実と向き合って、それが過去の事だからとは思うことが出来ません。彼らにとっては、今が現実だからです。

かつての国民たちがそうであったように、国の為に国を信じて自分なりに頑張ろうとします。そして「こんな戦争」という親に反発するのでした。

だけど1982年、2005年を含めて、その親たちもみな戦争経験者ではないはずです。実は子供たちと同じなのです。

戦争を歴史の時間で習い、誰かの話で知り、さらに映像などで体感していた・・・・。

だけど親と子供で、なぜその反応に違いが生まれたのか・・・・?

たぶんそれは、子供たちは純粋だったからと言うより、空っぽとは言い過ぎかもしれませんが、かなりの容量の隙間があったからじゃないかなと思いました。

ここに出てきた子供たちが、今までで一度たりとも、前の戦争について思いをはせたり考えた事なんかあったのでしょうか。

隙間、もしくは真っ白。だから簡単に染まった、または詰め込まれたのだと思うのです。

もっともらしいことを言って、さながら、もしかしたらそっちが正義なんじゃないかなと思わせるような顔をして、親に反論してくるけれど、この子供たちの思考のからくりが分かっていれば、親は揺るぐこともなく子供たちと対話が出来ていくと思うのですが、何せ時間と言うものがなかったのでした。なぜなら東京大空襲が迫っていたからです。

 

が、最大の衝撃は、ラストシーンですよね。

主人公が見た終わりに見た街は、未来または現在の核によって破壊された東京だったのでした。

過去に飛ばされた時、何かが窓の外で光ったのです。

あれは何だったのか。

これは彼が核の爆風に飛ばされてしまうまでの間に見た夢なのかもしれないのです。

だから思いがけずに再会したばかりの遠い親戚の男親子もまた過去に飛ばされて、また直前までスマホに出てきていたプロデューサーの男が様々な場面で出てきたりしたのではないでしょうか。

これが彼の夢ならば、彼の家族だけが過去に飛ばされた理由もそこにあると思います。

だからと言って「なんだ、夢落ちか。」とはならないメッセージの強さがそこにはあったのです。

もちろん、この「夢落ち」と言うのは、あくまでも私の感覚であって正解ではありません。

じゃあ、正解はと言ったら、それが分からない・・・・・。

なぜあの時、窓の外が光って、彼ら一家は過去に飛ばされたのか。

なぜあの男は様々な場面で出てくるのか。

なぜ記録にはない場所で大きな空襲が起きたのか。

なぜ彼は未来に飛ばされ、核のよって死んでいかなければならなかったのか。

 

だいたいあの光はなんだ !?

さっぱり分からない。

いや、この「分からない」が正解なんだと思います。

そこに描かれたものは、「理不尽」そのものだったから。

その「理不尽」と言うモンスターの正体は、戦争。

そしてそれは、ある日唐突にと言う所が、最大の恐怖なのかもしれませんね。

 

最後に、クドカンには必要なかったみたいで、過去作にはあって今回なかったシーンについて触れておきたいと思います。なぜならそのシーンが、過去作の中で頗る私には印象深く心に刻まれていたからです。

それは、家々にチラシを配って歩く主人公が、道行く人にチラシを渡しながら、「逃げてください。」と言うと、道行く人は言うのです。

「こんなチラシを配られててしまうから、逃げるに逃げられない。」と。

噂に流した言葉(「東京大空襲がある。上野に逃げましょう。」)はちゃんと効果があったのです。だけど恐怖を感じていたとしても、出どころの分からないチラシの言う通りには行動できない。人の目、特に軍部の目がそうさせていたのでした。

ビックリしがっかりする主人公・・・。

良かれと思ってやってきたのに・・・・。

そう、そこにも「理不尽」はちゃんと存在していました。

 

心に残る印象深いドラマでしたね。

あっ、なんか「さっぱり目」ではなかった・・・・・かな・・・・(;^_^A

 

 


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じわっと涙が!! ☆「虎に翼」

2024-09-27 23:15:10 | テレビ・ラジオ

最終回だけ見ても、もう胸がいっぱいになり、瞼が涙で濡れました。

特に最後に出演者たちが、カーテンコールのように皆が映し出されて、そして最後に寅子が主題歌に合わせて「さよーならまたいつか」と口が動くところに感動しました。

素敵な演出でしたね。

 

このドラマ、本当にいろいろな事をぶち込んできた内容だったなと思いました。

彼女のモデルになった三淵嘉子さんが、原爆裁判に携わったことは後から知ったことですが、それをこのドラマの後半のメインに持ってくるのかと私は思っていた節があったのでしたが、そうではなかったですね。確かに丁寧に描かれ、請求は棄却するも、原爆投下は国際法違反であったと明言したのです。

( 原爆投下国際法違反判決(東京地判昭和38年12月7日下級裁判所民事裁判例集第14巻第12号2435頁)ウィペディアより)

だけどそれを決してメインで大きく時間を割くことはなく、他にも様々な問題に向き合ってきました。

家庭内では絶大な権力を振るいながら(笑)、外に向けては自分の意見も言えず「スン」とした顔をする母を通して、その時代の女性たちを描き出し、法律の勉強をしようと進学を希望すると、その母は地獄を行く道と反対しました。

が最終回で、その母の幻影が表れ(またはnhkお得意の幽霊)、「その道はどうだったか。」と寅子に尋ねると、その寅子は「最高でした。」と答えました。

なんだかんだと言って、桂場の言葉に反発してだったと思いますが、最終的に彼女の背中を押したのはこの母でした。子が歩んだ道は最高だったと答えるとは、母親冥利に尽きる言葉だったと思いました。

それを過去を思い出すと言う形で描き、その時の寅子はやはり幽霊・・・・・(笑)

でもこの演出って・・・・と、私は思わず再放送が始まった「カーネーション」の最終回を思い出してしまいました。

(次の2行はネタバレの発言です。「カーネーション」初めて見る人もいらっしゃると思いますから。)

 

糸子の「死にました。」と言うアレです。

この時の糸子は、このドラマのナレーションの尾野真千子さん。

私は全く思わなかったのですが、巷では彼女の何らかの登場を期待する声があったのですってね。言われてみれば、登場してくれたら気持ち的に盛り上がり倍増だったような気がします。

さて、(「はて」ではないのですがw)、お話をいろいろな事をぶち込んできたと言う所に戻したいと思います。

男女不平等の社会での生き辛さから、教育の不自由さ、無能力者と言う嫁のポジション、それだけでものめり込みたくなるような内容でしたが、その後にジェンダーの問題や民族差別の問題、夫婦別姓の話題、そして尊属殺人にまで話は切り込んでいきました。(ああ、忘れてはいけないのが、常に法は正義かという問題もありましたね。まさか花岡さんがあの餓死してしまう裁判官になるとは思ってもみませんでした。)

最終回には「男女雇用機会均等法」まで。

とうとうここまで来たなと言う想いでいっぱいになりました。

少しドラマとは離れたことを言ってしまうと、私は古い水夫。この法律が私の生きてきた道に関わったことはないのです。それが残念にも感じ羨ましくも感じつつ、それでもその法律が生まれてきた社会を素晴らしい進歩と信じたいと思うのです。

追記:間違えました !!

最終回に出てきたのは「男女共同参画社会基本法」でした。「男女雇用均等法」は1986年。この「共同参画」は1999年(平成11年)。要するに男女平等を法律化したものと言って良いでしょう。これ、みんなの意識の中にあまりないんじゃないかと、私は思う・・・・。あなたにはある?

 

一つ一つの問題を広く展開はされなかったかもしれませんでしたが、決して浅くはなかったです。

少々堅かったかなと思う部分もあったけれど、そこに主演の伊藤沙莉さんや夫役の仲野大賀さんの時にはコミカルに感じた演技が救ったかもしれません。もちろんそれは他の芸達者なキャストさんたちの力にもあったと思います。

私はこの寅子と最初の夫の優三さんがどうなってしまうのか、気になって気になって我慢が出来ずに、その頃にモデルになった三淵嘉子さんの事を検索してしまいました。

そこで知ってしまった優三さんの未来。

でもこれは私的には、知っていて良かったです。じゃなければ私は、感情移入しすぎて悲しみから立ち直れず、激しいロスに苦しんでしまったように思います。それだけ彼の事が好きでしたから。

その後、新宿の方の病院に彼が出ていて嬉しかったです、マジで(笑)

 

岡田将生さんの航一も好きでした。この方のモデルになった方も、かなりのイケメンさんなのですよね。真実の方は、彼は妻が亡くなった後、ほぼ1年後に亡くなってしまうのです。この彼をその後15年も生きさせたのは、「ほらあの時ですよ。」と思い出のシーンに導くためだったのでしょうか。

桂場に言い切った

「いつだって私のような女性はごまんといると思いますよ、ただ時代がそれを許さず、特別にしただけです。」は良かったし、その前のよねが言った

「ほんの僅かだろうが、確かにここにいる。」と言う言葉にもジーンとしました。

 

このドラマの脚本を書いたのは吉田恵里香さん。まだ36歳なんですって。

素晴らしいわ、その若さも賢さも。寅子風に言ってみました(笑)

 

でも私らしく言うと、凄く凄くお勉強しましたね。おばちゃん、そんなところにも感動しちゃったよ・・・・かな。

 

 


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ようやく秋の風が畑の上にも

2024-09-23 00:52:59 | 畑日記

21日22日と涼しい日が続いてくれたので、ホッとするのと同時に、ちょっと活動的になることが出来たのは畑生活です。

 

 これは9月10日に植えた大根です。その時はかなり暑かったのですが頑張りました。

 

21日は、耕しておいた畑に小松菜と人参を植えました。

うちの畑のナスはもう終わりです。

花は咲いても、もう実をつける力はないようです。

この葉の色からしてバレてしまうと思うのですが、手をかけてはやれませんでした。

それでも夏中、たった2本のナスなのにお店で買わずに済みました。

22日、ルート君に手伝ってもらって抜きました。しっかり根を張っていたので、私にはちょっと無理だったかもしれません。

最後の方には、小さいナスをいくつか頂きましたが、9月9日には、最後の大物が収穫できたのですよ。

あまり美味しくないのかと思ったら、そんな事は無くて、凄く美味しかったのです。

そのナスは生姜焼きにしたのですが、1個で丼いっぱいありました。

ナスを抜いて耕しました。

 

 向こうに見えるのは小松菜です。

そして人参。

人参は芽出しさえすれば成功するのですってね。

1回、種をまいた後、土をかぶせるだけで、上から押さえつけずに失敗したことがあります。ちょっと遅めの種まきになってしまいましたが、今回は頑張りたいと思います。

私の畑は猫の額。

人参のすぐ横までのところです。

ちゃんとやりだすと、なんか狭いなと感じています。

でも真夏は、それでも夏草にゼィゼィ言っていたから、あまり欲はかけないかなと思っています。

 

真夏に、あまりに草の勢いが凄いので、周りの人に悪いかなと思い、いつも会うたびに謝っていました。

するとその人たちは、いつも優しく「遊びなんだから良いんだよ。」と言ってくれたのです。

 

何をやってもへっぽこです。きっとベテランさんから見たら、なんだこれはの畑だと思います。

だけどこの遊びは楽しいです。

 

ついでながら野の花。

【ウリクサ】

【ハキダメギク】

あの~、もうちょっといい名前、思いつかなかったのかい?

 

トップ画像は【クズ】

ああ、そう言えば、「葛の葉」って昔ばなしがあったよね・・・・・と思い出しました。

安倍晴明の母と言う伝承があるのですよね。

なんか胸がキューンとしちゃいました。

葛の葉 - Wikipedia


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