映画公開前、「どろろ」について熱く語っていた私。実はしっかり映画館で見ていたんです。
熱く語っていた記事はコチラです。
前に姪に会った時に、
「『どろろ』は、弟が見て良い事言っていなかったので、見なくても良いかと思ったの。」などというものだから、
「いや~ぁ、それはだね、小林君。」と、
姪は小林君ではないけれど、またまた熱く語ってしまい、もうこれで良いかみたいに書き損なってしまっていました。でも、つい先日家の前にこんなものがいました。
これって、「オオミズアオ」っていうんですって。はねの雰囲気がなかなか色っぽいですね。この蛾を見ていたら、「そうだ、『どろろ』を書こう。」と思い立ったと言うわけです。
姪の弟ー要するに甥の感想を聞いていないので推理なのですが、巷で言われていた妖怪がチャッチィとか、変な映像があるとか、又はストーリーが気に入らなかったのかも知れません。
でも、そんな事どーだって良いんですよ。もう、これでオールO.Kなんです。
かっこよくなければ百鬼丸ではありません。それまで妻夫木聡は、私にとっては東京ガスのガスパッチョの人だという程度でした。でも、一番の感想は、「やるなぁ、ガスパッチョ、かっこいいじゃ~ん。」でした。それで、私のミーハーリストに加わってしまいました。
かっこいい妻夫木聡は、本当に百鬼丸に見えました。「百鬼丸に見えた」と言う言い方は、大して褒めていないようにも感じますが、百鬼丸に対しても思い入れが深いので、かなり褒めたつもりです。
そしてこの少女、
柴咲コウも、良かったです。私はこの、いつもthis is ワンパターンの演技のように見えてしまう、この猫目の少女を、初めて好きだと感じました。
どろろが子供でなかったことは、感想としての述べなくてはいけない所かなと思うので、正直に言ってしまいますが、どろろは子供でやって欲しかったと言う思いはあります。見ていてもそう思ってしまいました。
でも、ストーリー半ばで、私は不思議な感覚におそわれました。あの原作の中の子供がそのまま大人になり、共に旅を続けていたら、こんな二人になったかもしれないと言う錯覚です。
この映画の中の百鬼丸はパーフェクトに強いわけではなく、それをどろろが共に戦い、かなりの比重で百鬼丸を助けているのです。軽妙な音楽と共に、妖怪退治の旅が続きます。その時百鬼丸は、孤独ではありません。見ている私も単純に楽しいのです。
私は、もしかしたらこんな「どろろ」を子供の時から見たかったのかもしれないと思ってしまいました。あの時、道を分けずに共に旅を続け支えあう二人。
本来手塚氏の漫画は、残酷なシーンでもユーモラスな雰囲気が漂い、漫画という世界観が崩れることがありません。この映画の中でも醍醐景光の背中に刺さった矢の数、醍醐を目撃してしまった和尚の斬られ方などは、それを意識したのではないかと思われます。
ワイヤーアクションも良かったですよ。
ただ、原作に思い入れがあると、どろろの過去やラストの父や弟の対決の結末などは、非常に甘っちょろく感じて、もっと辛口であって欲しかったとは思ってしまいました。
で、この映画の最大の収穫は、妻夫木クン、カッコイイ~なのでした。