森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

映画「どろろ」

2007-06-26 23:30:00 | 映画

どろろ - goo 映画

 映画公開前、「どろろ」について熱く語っていた私。実はしっかり映画館で見ていたんです。

熱く語っていた記事はコチラです。

前に姪に会った時に、

「『どろろ』は、弟が見て良い事言っていなかったので、見なくても良いかと思ったの。」などというものだから、

「いや~ぁ、それはだね、小林君。」と、

姪は小林君ではないけれど、またまた熱く語ってしまい、もうこれで良いかみたいに書き損なってしまっていました。でも、つい先日家の前にこんなものがいました。

 

    これって、「オオミズアオ」っていうんですって。はねの雰囲気がなかなか色っぽいですね。この蛾を見ていたら、「そうだ、『どろろ』を書こう。」と思い立ったと言うわけです。

 

 姪の弟ー要するに甥の感想を聞いていないので推理なのですが、巷で言われていた妖怪がチャッチィとか、変な映像があるとか、又はストーリーが気に入らなかったのかも知れません。 

 

 でも、そんな事どーだって良いんですよ。もう、これでオールO.Kなんです。

   

 

 かっこよくなければ百鬼丸ではありません。それまで妻夫木聡は、私にとっては東京ガスのガスパッチョの人だという程度でした。でも、一番の感想は、「やるなぁ、ガスパッチョ、かっこいいじゃ~ん。」でした。それで、私のミーハーリストに加わってしまいました。

 

 かっこいい妻夫木聡は、本当に百鬼丸に見えました。「百鬼丸に見えた」と言う言い方は、大して褒めていないようにも感じますが、百鬼丸に対しても思い入れが深いので、かなり褒めたつもりです。

 

  そしてこの少女、

 

    柴咲コウも、良かったです。私はこの、いつもthis  is  ワンパターンの演技のように見えてしまう、この猫目の少女を、初めて好きだと感じました。

 

 どろろが子供でなかったことは、感想としての述べなくてはいけない所かなと思うので、正直に言ってしまいますが、どろろは子供でやって欲しかったと言う思いはあります。見ていてもそう思ってしまいました。

 

でも、ストーリー半ばで、私は不思議な感覚におそわれました。あの原作の中の子供がそのまま大人になり、共に旅を続けていたら、こんな二人になったかもしれないと言う錯覚です。

 

この映画の中の百鬼丸はパーフェクトに強いわけではなく、それをどろろが共に戦い、かなりの比重で百鬼丸を助けているのです。軽妙な音楽と共に、妖怪退治の旅が続きます。その時百鬼丸は、孤独ではありません。見ている私も単純に楽しいのです。

 

 私は、もしかしたらこんな「どろろ」を子供の時から見たかったのかもしれないと思ってしまいました。あの時、道を分けずに共に旅を続け支えあう二人。

 

 本来手塚氏の漫画は、残酷なシーンでもユーモラスな雰囲気が漂い、漫画という世界観が崩れることがありません。この映画の中でも醍醐景光の背中に刺さった矢の数、醍醐を目撃してしまった和尚の斬られ方などは、それを意識したのではないかと思われます。

 

 ワイヤーアクションも良かったですよ。

 

ただ、原作に思い入れがあると、どろろの過去やラストの父や弟の対決の結末などは、非常に甘っちょろく感じて、もっと辛口であって欲しかったとは思ってしまいました。

 

で、この映画の最大の収穫は、妻夫木クン、カッコイイ~なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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