森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

篤姫42回「息子の死」

2008-10-20 11:40:52 | ドラマ (大河)
<生きてさえいれば>

「篤姫」の感想を書くのは久し振りになってしまいました。でも、今回はやっぱり少しでも書いておきたいような、内容でしたね。特にラスト数分、家茂が勝の腕の中で、このまま死んでいくことの悔しさを、切々と語ったシーンは胸に突き刺さってきました。

この若くして亡くなった将軍を、今まで歴史的にはどうも軽んじてしまうこともあったかもしれないと、私は思いました。例えば公武合体の将軍ぐらいにしか思っていなかったかもしれません。

でも、本当は確かにその時代をしっかりと生きていたのだと、強く思いました。将軍として、世を憂い何とかしようと悩みあがいていたのでしょう。家族を想い、大切に思っていたのでしょう。

―私は生きた。だけど何も残らなかった。
そんな人生などないんだと、私は強く思いました。

勝海舟は、この若き将軍の死を本当に嘆いたそうです。その存在と死が、彼にどれだけの影響を与えたかは分からないことですね。


今回は<生きてさえすれば>と言う言葉をキィワードにして、お話が回っていたように思います。
前半は帯刀とお近の、京にいるお琴をめぐってのお話でした。帯刀も家老なんだから、側室のような人はいても可笑しくはないと思うのですが、帯刀さんだと似合いませんね。こんな風に、押しかけ女房のように居座られる、焼きもちを焼きながらも、妻が勝手に悟ってくれるという流れが、いかにも帯刀さんらしいかなと思いました。ここでの流れは、私的にはどうでも良いと言ってしまっては、お近ファンといつも言っているのに、ある種の裏切りでしょうか。


だってですね〈別にどうでもいいんですが、と言いながら〉
あんな平謝りに自ら告白して誤っている姿って、どう考えても「今の感覚」を持ち込んでいるように思うのです。それなのに出した結論は、「今の感覚」ではないものなんですよね。しかも、本当はまだ武士社会の結婚観は今とは違うと思うので、こういう流れも何処かが痒い感じがするんです。それなのに、竜馬の妻のおりょうさんは、ふつうの武士の妻と言うわけではなくて、そのおりょうさんの説得で「生きてさえすれば」と言う結論になってしまうのは、まぁ、激動に時代の女と考えたらいいかと思うのだけれど、そうじゃないだろうとも思ってしまう私です・・が、まぁいいや。人のうちの事だから。〈文もスッキリしないけれど、まぁ、そっちもどうでもいいね。〉


それに、歴史的に後から振り返ってみると必要だったということもたくさんありますよね。
朝、Wikipediaで「小松帯刀」で調べていたら、そのお琴と言う存在の重要さも分かりました。それから面白いことも分かりましたよ。

寺田屋事件の後、おりょうを伴って薩摩に滞在したことは、日本で最初の新婚旅行と言われていますが、霧島温泉に小松夫妻も一緒だったことが、まるで史実のように感じてしまって気になりました。一緒に行ったかはは不明ですが、勧めたのは帯刀だと番組の後の紀行のところで言っていましたね。

ところで、帯刀さんは愛妻家で竜馬に先んじること10年前の新婚直後に、お近を伴って霧島の温泉に出かけそれが本当の日本最初の新婚旅行と言う主張が出てきたそうです。


・・・、また、さっき確認のためそこをよく読んだら、つい最近の追記かもしれませんね。10月16日のここにそのことがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081016-00000037-yom-ent

この先、この説が主流になってくるならば、クイズ番組の作成者は気をつけなければなりませんね。


 話題が完全にずれてしまいました。
話を元に戻しまして、この「生きてさえすれば」と言うのは後半の、家茂への和宮と篤姫の「想い」そのままで、本当に切なく悲しく感じました。
コメント (2)
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