森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

二月の扉「見るなの座敷」その2

2009-02-18 00:24:16 | ユーモレスクを聴きながら(book)

二月の扉「見るなの座敷」その1 の続きです。

その続きを書く前に、なんでこんな記事書いているのかちょっとだけ書きますね。(ちょっとではないかも・・)

このブログは私が書きたいことを、テーマ絞らず書いている所謂雑食ブログなのですが、その書きたいことの一つに、気になる民話解釈や昔話の事があるのです。最初は書いていましたね。「藁しべ長者」のお話とか。(「とか」ではなく「しか」書いていませんでした

昔話には、なんともいえない面白さがありますが、それと同時に、なんだかよく分からないものもないですか。物語は、もちろん書いてある通りですが、それってどういう意味なんだろうみたいな物語。

この「見るなの座敷」は、私にとってはまさにそれです。

ちなみにそれってどういう意味なんだろうの代表格は「浦島太郎」です。これはちょっと簡単には手が出せない、深さがありそうです。

それから、知っているけれど子供に正確に話すことが出来ない物語はないですか。
私は「桃太郎」と「足柄山の金時」がそうです。「足柄山の金時」はオープニングだけで話が終わってしまうような、中途半端さが不思議です。なんて言ったって山場がクマと相撲?クライマックスが就職?よく理解できない話です。
「桃太郎」は、良く知られた話ですが、子供に話そうとする時に如何にいい加減にしか覚えていなかったかが、分かるお話です。猿雉犬の出てくる順番、鬼が島に着いたときのそれぞれの役割、ちゃんと言えますか。
「まあ、とにかく~、鬼が島について・・・
とにかく~、鬼をやっつけて・・・・」と、「兎に角」で誤魔化すことが多いかも。

実は「藁しべ長者」も、私にはこの仲間でしたが、今なら平気です。
そういえば本当はどんなお話だっけと思われた方は、どうぞ、こちらに書いてあります。
但し、私の脚色付です。→ここ

それからいつか絶対に、心をこめて書きたい「笠地蔵」のお話。
ビッグホラーな「三枚のお札」の話。

民話や昔話の世界は、たまらない魅力のある世界です。

 

だからと言って、いきなり「見るなの座敷」のことを書こうと思ったのは、別に自分のブログの原点に戻ろうと思ったわけではありません。

単純に今が二月だから。

まあ、そんなところです。

私が知っているお話は二月でしたが、これは三月であったり十二月であったりします。また、開けてはいけないのは部屋ではなく蔵だったり。

いずれにしても禁止事項があるというところがミソですね。

この記事を書いていたら、頭の中が整理されて意外とこの物語はスッキリしてきました。

私達は四季に恵まれ、その自然の美しさ、それにもたらされる豊かさと楽しさを享受し、日々を暮らして行くことが出来る。ただ、それは遣ってはならぬことを犯さない限りの約束付です。もし、その禁を犯した時にはすべてを失うのだと言う戒めの物語なのかもしれません。
道に迷った男が、優しく歓待を受けた事、二月の座敷を開けてしまったがゆえに、すべてを失ってしまったことはその喩えです。

私達は、既に二月の扉を開けてしまっているのかもしれません・・・。
豊かだった自然との約束の禁を破って・・・。

 

 と、ここで終わらせてもいいようなものですが、上に書いたものは書いている途中で気が付いたことで、「見るな」という禁止事項のことでは、ちょっと違うことを思っていました。文献などの裏のないkiriy式発想バージョンです。

以下明日に続きます。
(このテーマで三回引っ張るのかと、思いましたか?
そうねえ、アクセス数激減かしら  
まあ、もし良かったら、お付き合い下さいませ。)

 

 


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