すでに師走。一年の締めの時。
だからって、何か良い事を言う訳でもなく・・・・
私は私の締めをひとつずつ消化していこうかなと思います。
まずは、今年一年楽しませてもらった「龍馬伝」のお話を少々。
【龍馬の魅力とは?】
龍馬、終わってしまいましたね。感想内でも書きましたが、4部に入ってから、面白さが加速しました。もちろんそれまでも面白かったのですよ。半平太の重厚さ、生真面目さ、以蔵のはかなさ、猫のような可愛らしさ。そこにはあまり表面切って描かれていなかった幕末があったようにも思います。
でも、最終章の龍馬には迷いなく、自分の行く路を突き進みます。
実は私、龍馬と言う人を、このドラマを見るまではあまり知らない人でした。もちろん名前も一応のお仕事も知っていましたよ。でも、やっぱり分からない。なぜみんなが「龍馬、龍馬」と憧れるのだろうと思っていました。
そこの所は、武田鉄也さんに聞けと言うところだったかもしれませんが、以前に次回の大河は龍馬らしいよと耳にしたとき、何気にがっかりしたのですよ。だって興味がなくて。だけどだからこそ見続けたという部分もあったように思いました。
知りたい、龍馬を。
なぜ男達、もしくは歴女、または歴史小説好きの人たちは、ラブコールを送っているんだろう。幕末には気骨ある男達はたくさんいたと思われるのに・・・・
そんな気持ちが底辺にあったことは確かです。
【墓の前の誓い】
次にするのは、たぶん龍馬を強く想っているのだろうと言う男のお話です。
数年前の春の日、夜行日帰りと言うバスパック旅行で春の京都を訪れました。清水寺には信じられない時間に着き、すべてのお店が閉まっている三年坂を通り、早朝の観光をしていました。(ちょっと悲しいけれど、新鮮)あまりに早いと入れない場所もあり、とにかく行けるところは出来るだけ行こうと欲張りな気分で丸山公園方向を目指して歩いていきました。
龍馬のお墓は霊山護国神社と言うところにあります。かなりきつい坂道を登っていきました。まだ誰もいないのではと思って訪ねてみると、そこには一人の若者が、剣舞を舞っていることに気がつきました。かなり手前で気がついたので、私と姉は、自分達が悪い事でもしたようにこそこそ見つからないように違う道を行きました。そこには別の志士たちも眠っているのです。
いたく感心した記憶があるので、高杉さんのお墓や桂さんのお墓などを見てまわったのかも知れません。でもなんだかあまり記憶がないのです。若き日に松下村塾を訪ねた時の、あんな熱い想いを、私がもう持っていないからかもしれません。
もう良いかなとまた、龍馬のお墓目指して戻ってきてみると、先ほどの青年は、まだその前にいました。
私達は、また離れたところのベンチに座って待っていました。その場所からは京都の街が見渡せるのです。私はなにげに耳を澄ましていました。実は青年は剣舞を舞う位ですから、それなりの格好、つまり袴などを着ていました。私がなにげに耳を澄ましていたのは、早朝ですし、彼がそこで切腹とかしないだろうなと少々疑っていたからです。
でも風に乗って聞こえてきたのは
「先生、私は絶対に・・・・・。
先生・・・・・。」と言うなにやら誓いの言葉でした。
彼から離れていたのは、悪いなと言う気持ちでしたが、ちょっと怖いなと言う気持ちもあった事は否めません。思想的に強く傾いている人が、何かするわけでもないのですが。その辺が、いつの間にか私が歳を取ってしまったという部分なのかもしれないと思うのです。
若き日は、自分のあどけない容姿に自信があったのか、殊の外怖いもの知らずで、龍馬のように話せば分かり合えると言うのではなく、微笑めば分かり合えると言う迂闊者だったと思います。もちろん容色衰えると、そんな神通力が通じる訳もなく、徐々に臆病者に、または若干賢くなってしまったのでした。
だけど、遠くに離れていても彼の熱い想いは伝わってきました。私は京都の街を見下ろしながら、墓の前で誓いを立てたくなるような男、龍馬って凄いんだなと思っていました。
【妄想龍馬伝】
さて、先日の「龍馬伝」最終回の時、龍馬が見廻組に襲われたところで夫が言いました。
「即死じゃないのか。」
そして、その後龍馬の長いセリフが入ります。
夫の不満そうな顔。
「どうでもいいじゃん、ドラマなんだし。」って、こういうときの私のセリフ。
ドラマ好きの割りに、「どうでもいいじゃん、たかだかドラマ」と、愛のないことを、私は時々思います。突っ込みを入れたり、批判をしている人って、よほどそのドラマに愛があるのですよ。
そう言えば、私もめったに悪くは言わないけれど、「相棒」などはさりげなくぼやく事もありますね。
即死と言われた龍馬ですが、ドラマゆえに「ハイ、死にました。」と言うわけにいかないじゃないと、私は夫に言いました。
・・・・・、だけど、本当にそうかしら。
今回の大河は途中がどうだったかは忘れてしまいましたが、本当に面白くて毎週楽しみにしていました。ゆえに余韻あり。思わず即死バージョンを考えてしまいました。
※ ※ ※
深手を負った中岡は息も絶え絶えに龍馬に呼びかける。
中岡「龍馬・・・龍馬・・・」
シンとして声もなし。龍馬からは息の気配さえない。
中岡「まだまだだ、龍馬。まだまだだ・・・」
☆ ☆
―龍馬のラストドリーム―
やけに眩しい光に目が慣れると、そこには母が土下座していた。
母「どうかお許しください。どうかお許しください。」
母が自分の為に土下座して誤ってくれたあの日・・・
母はあの日の無理が祟って病の床に就き死んだのだった。
龍馬「母上」
母は気がつかず
母「お許しください。」と続けている。その肩にそって手を置き、龍馬が言う。
龍馬「母上、お立ちください。もう、下士だからと言って、そのように土下座などしなくて良い世が来たのですよ。みんなが同じ平な世の中がきたのです。」
母、振り返ってにっこり優しく微笑む。
母「龍馬、よう頑張りましたね。」
龍馬・誇らしげに「はい。」
☆ ☆
中岡、声にならないような声で「無念じゃ、無念じゃな、龍馬。」
そして最後の息のように「いや、命使い果たした・・・・のか・・」語尾曖昧....
シンとした部屋。
徐々に雨の音が強く・・・、そして雨の音だけしか聞こえなくなっていく。
で、弥太郎の走っているシーンに続く。
龍馬好きは、歴史好き。やっぱり長くはしゃべられせない方がちょっと良かったなと思ってしまったのでした。龍馬のラストドリームは、まあ私好みのオマケみたいなものなのですが、そこはざっくり抜いても、あの時龍馬が語った言葉は中岡慎太郎が言っても良かったと思いました。
そうすると上川さんの美味しいとこ取りのようですが、その前もずっと良かったのですからそうはなりませんよね。8時からの放送では選挙速報のテロップが入ってしまった、あのシーン、迫力がありました。アサシンは何も語らず、だけど眼力で弥太郎に言った言葉「すべてを無にした」とはっきり言っているように感じました。龍馬の無念はそんな彼らと話し合えなかった事なんじゃないかなと、また思ってしまったりで余韻は続くのでした。
【龍馬の魅力】
ところで私は、結局龍馬の魅力が分かったのかと言うことになる訳ですが、私が感じた彼の魅力は、弥太郎の言葉を借りると「人たらし」だったところなんじゃないかなと思いました。もちろん龍馬のやった「お仕事」には唸るものがあり、そこが龍馬に引きつけられる一番のポイントだと思います。だから私が言うのはその他にと言う意味なのかも知れません。
で、その「人たらし」と言うのは、
『ひとたらし【人誑し】人をだますこと。また、その人。』と言う、あまりよろしくないような意味なのですが、「秀吉は人たらしだった。」とはよく言われているように、言葉巧みに人の心を取り入れていってしまう人の事で、更に解釈を拡大していくと、話す事に魅力があって、人々が思わず耳を傾けていき取り込まれていく、そんな人のことを言うのじゃないかなと思ってしまいました。
だから問答無用パワーには弱かったと言うか・・・・
まあ、この「人たらし」と言うのは弥太郎視点の言葉なので良い意味ではなかったかも知れませんが、ストレートにぶつかり、相手がふと気がつくと既に懐に入っていたと言うような、そこに龍馬の魅力があったように思いました。だから私が言う「人たらし」は良い意味で使っています。
そしてその人たらしは亡き後も、墓の前では若者に剣の舞を舞わせ、熱き想いを語る人たちを作り続けているのですね。
私もあの春の日に龍馬のお墓に行った事は、今頃になって鮮やかに蘇ってきた良い想い出です。