もう10年以上昔になってしまったが、ある時私は友人にこう言った。
「人は住みたい所に結局は住むんだと思う。」
それは実は頭の中には自分たち4人姉妹の事を思ってでた言葉だった。
姉はどんなに遠い世界に憧れていたとしても、結局は親元に帰りそこで暮らしている。
私は別に旦那の親がこの街で暮らしているからここに住んだわけじゃなくて、この街が森に囲まれていたから気に入ったのにすぎない。その森たちはその後どんどん切り開かれて、街は発展し続けているわけだけれども、都会とはまだ言えないと思う。田舎ではなくて都会ではない木の多い場所。そこが私の選んだ街だった。いや、町というべきか。
でも妹は、物価も高くて住む家にかかるお金も二倍は有にするのに、東京から一度たりとも離れようとしない。
一番下の妹は、その頃は最初はザ・都会、次はド・田舎、まだ住居転戦のさなかだった。
だけど聞いていた友人は、ほんのちょっとだけ遠い目をしたかと思うと、
「そう、そうよね。」とはっきりした調子で言った。
「だから私はやっぱり大阪を選んだのだと思う。」
私の家の近所に住んでいた彼女は、ちょうど実家のある大阪に移り住んだばかりの頃だった。
シャープな感じのする彼女の住みたい場所は、きっと大阪の街中なのに違いない。何故か私はそう思いこんでしまったのだった。
そしてそれから月日は流れたが、大阪にようやく来ることが出来たのでこれを機会に彼女の家に押しかけることにしたのだった。
大阪最終日、前日会った人たちで天満に言って昼はお好み焼きを食べるという計画を聞いた。
じゃあ、私もお昼は彼らとご一緒して、大阪に迎えに来て頂ければいいかなと最初は甘い考え。
どうやって行くのかと電話で打ち合わせをした時に、とんでもない勘違いをしていたのがようやく分かった次第だった。
あれに乗ってまた乗り換えて、そしてまた乗り換えて・・・・
ちょっと頭がクラクラ。
「大阪駅から近いって言ってなかったっけ。」
「そんなことひとことも言ってないわ。」
―そうか。私はそそっかしいからなあ・・・・。
天満に妹と一緒に行きお好み焼きを食べてからなんてとんでもないことだけは分かった。
往復に時間がかかるので、あまり滞在時間が少ないと言うのも悲しいし、電車の時間検索はちょっと時間をかけてやった。実はあれは結構好きで、時刻表片手に犯罪を組み立てる女性の姿を借りた松本清張の気持はよく分かる・・・なんちゃって。
だけど歩かないと分からないことってあるなと思う。
ちょこっと居ただけで、私の中では大阪駅と梅田駅はほぼ同義語なんだと感じてしまった。これも大きな勘違いだった。そんな風に思い込んでいた大阪初心者にとっては阪急梅田駅は地下鉄四つ橋線からの移動は、ちょっとハードルが高かったといえるかもしれない。
検索していた時にも不思議に思っていた。梅田とか西梅田に行って歩けばいいんじゃないかと思っていたのに、やたら検索にバスと出る。
使い慣れていないものは嫌なので歩くという選択をしたのだが、ヘタをしたらバス停2区画分は歩いてしまった。〈うちの近所比〉
ホテルを出る時に止まっているタクシーに心惹かれていた。
あれに乗ってしまえば簡単なんじゃないかなと思ったわけだけれど、そのバス2区画分を歩きながらやっぱり乗ってしまえば良かったと後悔したのは事実。でもしばらくするとその考えは変わったのだった。
もしタクシーを利用してしまっていたら、大変だったことが分からずに帰りに失敗してしまうかも知れなかったからだ。
だけど帰りは友人がJRの駅まで車で送ってくれて、まったく大変ではなかった。それでもやはり行きはふうふう言いながら歩いて正解だったと思ったのだった。
なぜなら旅の醍醐味はそこにあるからだ。
知らない街に行ってみたい。
知らない街を体験してみたい。
―阪急梅田駅はちょっと離れているのね。
その感想こそが知らない街の体験そのものだったと思うから。
今回の旅行は「ちょっと失敗したかも・・・・。いやいや、逆にそれが良かった!」ということがたくさんあったと書いたけれど、これもそのひとつだったかも。
友人の家も最初は思っていたよりもかなり遠くてちょっとだけ気持ちが萎えたのは正直な本音。
だけど、川西能勢駅から能勢電鉄に乗り換えた時から、私の心の中のテンションは高め。
だって車窓から見える風景は、全てが旅を感じさせるものだったから。
そこに住んでいる人には分からないことかもしれないが、自然の美しい風景が目を楽しませてくれたのだった。
しかも乗った電車は、乗り鉄の人たちだったら常識の範囲内かも知れないが、かなりレトロな感じ。
だけどこれは後で友人が教えてくれたのだけれど、今はレトロな電車を走らせているというイベント中なのだそうだ。ということは、私はラッキーだった訳だ。
たどり着いた友人の家から見えるのは山&山。そして木々の緑と紅葉した赤と黄色。
大阪の街中が彼女の住みたい場所なのかと思い込んでいた私には、ちょっとした衝撃があったわけで、彼女を見る目がいい意味でちょっとだけ変わったのも事実だった。
彼女の家のベランダにて
そうそう。彼女の家は着いた駅からすこぶる近く、徒歩5分といった所。まあ、「駅から近い」というのはやはり聞いたことがあったようだ。何処の駅かだけは違っていたわけだけれど。帰りはJRの川西池田というところまで送ってもらったように思う。「ように」と書くのは、既に自信がないからだが、その車の中から見た紅葉の風景がまた素晴らしかった。地図を開くと県道12号線になるのかな。
お話が最後まで弾んでいたので、おもむろにカメラを出すということは憚られることのように感じてしなかったのだが、今思うとその美しい風景は撮って於けば良かったかなとちょっとだけ悔やまれる。
友よ。また会えたらイイね。
能勢電鉄電車の内部。
乗ったレトロな電車。
長かった2013年秋の旅行記「西の都に行ってみよう~♪」も、これにて終わりです。
お付き合いくださってありがとうございました。
トップ画像は泊まったホテルから早朝に撮ったものです。大都会大阪の風景は、東京と何ら変わりがないものだと思いました。時には街中を歩いている時、銀座や新橋を歩いているような錯覚を感じました。
それでも西には西の人情みたいなものを感じたと書いたのは本当の気持ちです。
だけど人情にだって東も西もないはず。
だったら私の感じた西の暖かさはなんだったのだろうかと思うのです。それは遺伝子にまで組み込まれた「お商売」のマナーかもしれません。要するに上っ面ではない「お・も・て・な・し」の心だったのかもしれません。
新大阪で別行動だった妹と待ち合わせ帰路に向かいました。
その時嬉しかったのは、妹と天満に行った人たちが新幹線乗り場の改札横の喫茶店で待っていてくれたことでした。
改札口で手を振って「またねえ」と別れました。
またね、大阪。またね、大切な人たち。
遠くに見えるのは六甲山かな・・・。