5月28日、またもお散歩でかなりピークを過ぎた薔薇園に行ってまいりました。
そこでかなりの見逃しがあり植え替えもありと分かったので、追加で少々撮ってきました。
【薔薇の画像と雑文と】、また少しの間お付き合いいただけたら幸いです。
上の囲みは昨年の5月31日の記事です。そこでは震度4の地震があった事が書かれているのですが、地震があったのはその前日の、5月30日だったと思います。
熊本の地震の時には余震が長々と続き、その余震がかなり大きかったのでニュースが流れるたびに心が痛みました。だから時々「震度4」などと流れてくると、
「良かった。今の余震は大きくなかったわ。」などと、思ってしまったりもしたのです。
だけど本当は震度4は大きのですよね。
食事を忘れるほどバタバタと心が動くレベル。または本当に電車が止まってしまうレベルなんですよね。
大きな事があると、人は感覚が狂っていくことがあるのではないでしょうか。
また時が経つと言うことで、感じた悲しみも鈍くなっていってしまう・・・・・。
それこそが悲しい事だと思うのですが、だからやっぱり人は「思い出す」と言うことを意識して繰り返さなければいけないのかも知れません。
<涙と笑い>
先日、朝のテレビをぼんやり見ていましたら、「笑点」の新司会者についてのインタビューの様子が流されていました。新司会者は春風亭昇太さん。その時のみんなの反応の大きさに、吃驚しました。そんなにこれ、みんなの関心が高い出来事だったのかと。
実は私、子供の頃はこの「笑点」が大好きで、ある日友達と遊んでいた時に、時計を見て
「あっ、大変。もう『笑点』が始まっちゃうから帰るわ。」と言いました。すると友達は
「えっ、今、アレやってるの。あれ、面白いよね。家族でずっと見ていたわ。また見なくちゃ。」と言ったのです。
「ええ? 毎週やってるよ、『笑点』」
「あああ、なーんだ。『笑点』かぁ。」と友達。
その頃の私は「シ」と「ヒ」が上手に言えなくて・・・・
そうなんです。
友達が言っていたのは「氷点」だったのですよ。この物語も凄いですよね。小学生まで人気があったのですよ。私はかなり後になって、この友達の言葉も後押しとなって見ました。チョードロドロ。かなり泣けるお話ではありますよ。
私はこの時の情景を思い出すたびに、人間っていつも笑いと疑似的世界から得られる涙を求める生き物なのかも知れないと思うのでした。
<悲しみの先の>
ある日の朝、ニュースがオバマさんの演説を流そうとしていました。私は珈琲を飲みながら
「オバマさんはもう大統領を止めるから、広島に来ることが出来たのね。」と私がちょっとシニカルに言うと、夫が
「確かにな。だけどまだ在籍中に来たことに意味があるんだ。」と言いました。
私は、ハッとしてテレビの画面を見直しました。
「そうよね。オバマ大統領なんだよね。オバマさんが来たんじゃなくてアメリカの大統領が広島に来たんだよね。」
その時頭の中で見えない何かの駒がひとつ前に動いたように、私は感じました。
謝罪はしないー。
良いよ良いよ。
俺ッチだってアメリカに行くことがあっても、パールハーバー、爪の垢ほども謝る気が無いもん。
ただ無かったら良かったのになって思うよ。
でも過去の歴史は消える事はないんだよね。
だからいつだって目の前にある分かれ道、次は間違えないで歩いていきたいと思ってるんだよ。
自分が存在していない時代に起きた過去の人々への過ちの、それが本当の謝罪じゃないかって。
ひとり死んでも悲しくて、ずっとずっと想ってる。
ひとりでしょ、ふたりでしょ、さんにんでしょ、よにんでしょ・・・・・
数えられない死体の山って、いったい何なのよ。
それって数えられないほどの悲しみの山って事なんだよね。
あれから70年経って、広島の人たちが泣いていました。
私も思わず泣きました。
<悲しみの予感>
あれはいったいどういうことなのでしょうか。
子供はどこに行ってしまったのでしょうか。
もう少し親に詳しく更に詳しく聞くことがあるのではないのかって・・・・
これは私だけが思ってることじゃないようですよ。
またはすれ違った車とかなかったのかとかも聞くべきじゃないのかしら。
【追記】
凄いです!!
6月3日8時34分に速報が入りました。
少年はかなり離れた隣町の自衛隊演習場で自衛隊員によって保護されました。
誰もがちょっと感じていたと思う悲しみの予感が、奇跡の感激に変わりました。
本当に良かった!!
詳しい話はこれから出てくると思いますが、この事は「あー良かった。」だけじゃなくて、いろいろな教訓がありますよね。
ー5月の最後の日などに思った事でした。―
紫の薔薇、もう一つありました。 この花は前にもアップしてました。
でもその時はこんなに綺麗な紫じゃなかったのです。
やっぱり黄色は元気色だなあ。