意図なくオヤスミしています
ほぼ毎日の記録その1 6月になってあっという間に4日が過ぎてしまいました。何となく忙しなくてブログ更新が出来ませんでした。時間がないと言うわけではなくて...
上の囲みは昨年の6月6日の記事です。そしてその記事を開くとその前年の6月5日の記事に行くと言うツリーになっています。
一昨年は夫のリフレッシュ休暇で、なんとなくお気楽に二人で毎日を過ごしていました。昨年はいろいろな事をしていて、毎日が忙しく過ぎていったような気がします。
昨年の今日(7日)は、5月の父の三回忌で落ち着いてみんなと話せなかった私は実家に帰り、母の誕生日会を開き楽しい1日を過ごしました。
その記事は→こちら「母の誕生日会」
そして今年も、「母の誕生日会」を開く事にしました。
私が乾杯の挨拶をしました。
「お母さんの誕生日にこうしてみんなで元気で集える事が大事な事なんだと思うのです。だからみんなもおめでとう~。かんぱーい。」
いきなりフラれたんで、テキトーな事を言ってしまったわけだけれど、今思うと、なんだか奥の深い事を言ったなあと思います。(自画自賛)でもたぶん誰も聞いてなかったと思います。
そしてプレゼントを渡す係が、これまたいきなり言い渡された一番末の妹。
焦った彼女も
「えー、末っ子を代表しまして・・・・」
みんなこけた~。
「それじゃ、みんな末っ子になっちゃう。『姉妹を』だよ。」とか「『を』じゃなくて『が』と言えば良かったんだ。」とか、もうみんな煩い。
でもこんな事で大笑い。
ずっと笑っていました。それはお店を出て実家に戻って来てからも同じです。
実家の家の中で、ずっと(⌒▽⌒)アハハ!、オホホと笑っていました。
ところでワタクシ、くだらない会話なども本当に覚えている事が多いのですが、今日、あまりにも多くて家に帰ってきたら、何で笑ったのかほとんど覚えていませんでした。
いや、これは私の老化と言うべきなのか。
ちょっと焦ります。
ああ、そう言えば一つだけ思い出しました。
思い出したけれど…・書けないな。補聴器屋さんからかかってきた電話の話は。
補聴器をお通じと聞き間違えたなんて…←書いてる
私たち四人が仲が良くて、母は幸せそうでした。
そんな母は83歳。
父が亡くなった歳になってしまいました。
だけど母にはもっともっと長く生きてもらいたいです。
ずっとずっと生きていて欲しいです。
挨拶する母。みんなの還暦まで生きたいけれど、下の妹までは無理かもなどと言うので、あと11年は生きなきゃだめだと、みんなにやいのやいのと言われてるところです。
そしてお食事。
笑いは万病の薬。
近頃また体調がイマイチです。今日の笑いは、きっと私の薬にもなったと思います。