先日友達に、上野に行くなら西洋美術館でやっている「クラーナハ展」に行こうと誘われた時、ちょっとだけ私の心の中に「はぁ、それなんですか。」みたいな雰囲気が漂ってしまいました。
だけどなんでだか、その翌日の私のアクセス解析では、50番目に読まれた記事は「ゆっくり行こう、「国立西洋美術館」」
だったのです。そういう偶然と言うか不思議な事って、結構ありますよ。
で、その中に
>私は10月15日からの「クラーナハ展―500年後の誘惑」の方が興味があるかもです。
と、あったのです。
ちゃんとチェックしていた絵画展だったのですね。
と言うのも、2009年の記事「THEハプスブルグ」の中で、「斬首対決」と言うテーマでその当時のHPに載っていた(今は存在しないみたいです。)ルーカス・クラナッハの「サロメ」と「ユディット」の絵に興味があったからなんです。お時間があったら、その昔の記事にもお目を通していただけると、分かりやすいと思うのですが、この「ユディット」は多くの画家が題材に選んでいる人気のテーマなんですよね。(「THEハプスブルグ」には、そのテーマの絵を並べて載せてあります。)
やっぱり本物を観たいと思いました。恐ろしい絵ではありますが、「THEハプスブルグ」の記事内に並べた絵の中の「アルテミジア・ジェンティスキ【ユディトとホロフェルネス】」を 「 ナポリ・宮廷と美「カポディモンテ美術館展」」で見つけた時には嬉しくもあり感激もしたものですから。
あっ、そうそう。
名前が違うじゃないと思うかもしれませんが、表記の違いです。私も以前に「クラナッハ」で覚えてしまったので、「クラーナハ」と言われると、「誰、それ?」みたいな気持ちにちょっとだけなってしまうのです。この事はブログ周りをしていた時に同じように感じる方もいて、親しみを感じました。
そして観たかった「ホロフェルネスの首を持つユディット」の絵です。
かなりの美女だと思います。いっけん無表情にも感じますが、何かに想いを馳せているようにも見え逆に豊かな表情を見い出すことが出来るような気がしました。
「私、やったわ。街を守ったわ。」
なーんて、思っているのかもしれませんね。
ホロフェルネスの首の断面が恐ろしいほどリアルです。それでもこの絵に美しさを感じるのは、ユディットが美しい事もあるけれど、剣は汚れてはいるものの、それに血の滴りがないからだと思いました。
今回、三枚の絵ハガキを買ってきました。一枚は上のユディットの絵ですが、二枚目は
これです。
これは「聖アントニウスの誘惑」と言う版画で1506年の作品です。
夢の中に現れた魔物たちとの空中戦。
1600年よりもほぼ100年前、クラーナハのおじさんは、こんな線を書いていたのですね。
なんとなく私には「ジョジョ」の世界観のようなものを感じてしまいました。
因みにイギリスが東インド会社を作り、アジアに進出(侵略だと思うけれど)を始めた頃、日本はちょうど関ヶ原。この1600年と言うのは歴史のイメージをつかむのに分かりやすいので、結構基準にしています。
そしてもう一枚は
「正義の寓意(ユスティティア)」
彼女は裸婦のように見えますが、薄いベールに包まれていて裸婦ではないのです。
hpの説明を借りてしまいますが・・・・。
「その身体は、遠くからでは見えない極薄のヴェールをまとっているからである。“veil”という語が「隠す/覆う」という意味の動詞でもあるとすれば、あまりに透き通って素肌を隠さないクラーナハのヴェールは、ほとんど語義矛盾ともいうべき「ヴェール」なのだ。その覆われつつも露わな女性たちの身体は、近現代のアーティストを含む、多数の人々の欲望を刺激してきたのである。」
なるほど~と、私は思いました。そして加えて言うならば、いにしえの作品であるにも係わらず近未来的な印象を感じてしまったのでした。
そして、この絵は展示してある部屋が凄いのです。
そこに入っていくと、思わず心の中で「わあ~」と言いたくなるか「なんじゃ、これは。」と言いたくなること間違いなしです。
HPからお借りしました。95人の作品が大きな壁面に一堂に並べられているのです。
なんとなくユーモラスで、だけど不思議な感覚に襲われます。
これは「レイラ・パズーキの《ルカス・クラーナハ(父)〈正義の寓意〉1537年による絵画コンペティション》」で、中国・深圳(しんせん)の大芬油画村で100人の芸術家を集め、7時間以内で模写をさせたもの。
と、書くと、なんだか凄いと言うような気になりますが、その説明に「世界の複製画の半分を生み出す」と付け加えたらどうでしょうか。
クラーナハは絵を書く事を経済的手段としてとらえていた人で、工房を構え多作しました。つまり滅茶苦茶に売れまくっている時の漫画家さんのやり方と同じ事をしていたみたいです。下絵を描いて、指示して色を塗らせると言うような・・・
まあ、いろいろ・・・。
レイラ・パズーキの企画は、そんな彼の多作をシニカルに見つめたものなのかも知れません。
それでも、何もない所から顔を生み、線を生み、色を生み、またテーマに沿った構図のアイデアを生む。その感性の写し取は、とても7時間程度では出来るものではないのですね。本物の力を感じざるを得ませんでした。
彼の作品はピカソなどにも影響を与え、この展覧会自体なかなか見ごたえのあるものでした。
2017年1月15日までです。