9月になってしまいました。
夏の終わりに思っていたことは、
8月28日の「悲しいです。」の終わりに書いた事。
ある時、私は病院でエコー検査を受けた時に、とある部分(胸ではありません。)に小さなしこりがあると言われました。でも小さくて問題ないとも。これが、1,5センチくらいになると、癌化するといけないので切らなくちゃならないとも言われました。
私は病院では、けっこう軽口を気さくに言うタイプ。
「先生。そこが癌って言われたら大概死にますよね。」あまりにもストレートで、そして今の私は癌ではなかったので、思わず医師も言ってしまったのだと思いますが、「まあ、そうと言えますね。」と答えたのでした。先生もストレートな方ですね。
だけど塊が「大きい場合は切る」言われて、ふと「じゃあ、そこの癌も切ることが出来るって事ですか。切られたら、他の所と同じで治るのですか。」
「かなり早期発見で、・・・・」と彼が言った数字は、びっくりするほど低い物でした。
じゃあ、この先私が、この部分に癌が出来たら覚悟しなくちゃいけないって事なんだなと思いました。
今書いたことは6月の初めの事だったと思います。
だから先日友達が私に告げた、共通のお友達の病気の話は本当にショックでした。
彼女の病気は、その癌だったからです。
ショックで心も重かったところに、さくらももこさんの訃報が飛び込んできたのです。
更に気持ちは落ち込みました。
真夜中に書いた「悲しいです。」には、長々書いてから削除した部分がありました。追悼の想いを込めて書いたのだからやめておこうと思った部分でした。
それはさくらさんが患っていた乳がんの事でした。亡くなった理由の病気が乳がんと聞いて、しかも10年前からの闘病だったと聞いては、悲しみだけではなく、恐ろしくてブルブルと震える人がたくさん居るのではないかと思いました。
乳がんは現代では11人から14人に一人がかかる病気だと言われています。
だけど乳がんは治る病気でもあります。それを信じて頑張っていらっしゃる方がたくさん居るはずです。
でもそう言う方々にとっては、同じ病気で亡くなったと聞けば、心穏やかでいられるわけがないのです。
私の姉妹たちも。
姉などは、私が思った通り、怖くなってブルブルと震えたと言っていました。
「大丈夫だから。」と電話口のこちらかで根拠もない励ましの言葉を言いながら、ふと見えない未来が怖いのは、私だって同じじゃないかと思ったのです。
今が幸せだからこそ、やってくる未来が怖い時もあるのです。
確かにすべてが上手くいっているわけではありません。だけど取りあえずは笑って生きています。
時々私は思います。
こんなにたくさんの薬を飲む生活をしていたら、長くなんか生きられるわけがないと。
だけどやっぱりそんな風には思わず、粘るのだと自分に言い聞かせようと思います。
もちろん人の寿命は自分で決めるわけではないかも知れません。
だから祈るのです。
私のような力のないものは、少しでも長く生きなければ何もできないと思います。それは逆の言い方をすれば、長く生きる事によって少しでも誰かのために出来る事があるのだと思うのです。
この「誰かの為に生きる」と言うと、何かおこがましい感じを受ける方もいらっしゃるかもしれません。自分の事だけで精いっぱいだと思ってる方もいらっしゃるかも。でも意外と人は自分のためだけには生きていないし、実際に、誰かの為に自分の時間を提供している人の話は奥が深く、その人自身にもかなり魅力を感じる事が多いです。
更に単純に言うと、子供の世話をしているお母さん、夫など家族のために当たり前にごはんの支度をしているお母さん、また会社で嫌な事ばかり続いているのに、そんな想いは隠して毎日会社に働きに行っている夫と妻。
そんな日常の中に「誰かの為に生きる」行為は普通に存在して、そして時には弱くなった自分の心や魂をこの地上に留めようと言う力になってくれるのだと思います。
毎日お気楽に生きています。映画を見たり、ピグのゲームに明け暮れたり、本を読んだりお友達とおしゃべりしたり。
そしてほんの少しだけお仕事をしています。マンションのお花に触れるサークルにも参加しています。楽しい毎日です。
(欲を言えばこれで二人の息子たちが結婚してくれたらなあ。)
それでも時には、生きていく明日が怖くなり、そして震えるのです。
だけど私はそっとこぶしを握り、「頑張るぞ、生きるぞ」と心の中で誓うのでした。