径のある風景が好きだ。
マネの絵もモネの絵も径を描いている小作品から好きになった。
ただ前に進むしかない小さな径。
それは生きていく道と同じ一本道だからなのだろうか。
引き返し禁止。
だから時には苦しむのだ。
振り返れば、時には遠くにまたは近くに、
あまりにも愚かな自分の残像が見えるから。
忘れるしかないんだ。
いや、許してあげるのだ。
過去の愚かなわたしを。
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お散歩&写真日記とお喋り。
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木の根の野の仏。
気持ち悪いけれど、なんか好き。
水辺の野の花たち。
いったいどれだけの種類があるのでしょう。
私はこの花に、
私はこんな実をつけましょう。
そんな決め事をして、この世に誕生してくるのでしょうか。
オフェーリアは何処 ?
いつもここに来るとそんな事を想ってしまいます。
小さな秋、見つけたの ?
草の陰から花たちのささやきが聞こえます。
水辺にはいろんな花が、誰かの評価など関係なしに咲いています。
「私は生きる」
そんな姿勢に、やはり私は勇気づけられるのでした。
出来るものならば、そんな花のように美しく生きたいものです。
先を生きる素敵な人たちを手本として。
だけれど、時には残念ながら反面教師になってしまう人もいるのですよね。
9月17日の事です。
私は横浜から帰って来る電車の中で、一番端の席に座ってうつらうつらしていました。
電車が揺れたのか、通路から「すみません」と言う声が聞こえてきました。
揺れた時に女性が誰かとぶつかったのかも知れません。
よくある光景だし、関係のない事には過剰反応はしないようにしています。
そのままウツラウツラを続行です。
東京駅に着いた時に、
いきなりバーンという衝撃を感じました。
驚いて目を覚ますと、
隣の隣に座っていた男の人が飛び降りていくところでした。
降りる時に隣の席の女性にぶつかったんだなと思いました。
だけど「バーン」と言う衝撃を私が感じるほどですよ。
少しは気休めになるかと思ってお声を掛けました。
「大丈夫ですか。しかしあの方、眠っていて寝ぼけて焦って飛び起きたのかしら。
それでぶつかっちゃったのかしら。」
すると彼女は
「ううん。あの人、降りる時に仕返しをしていったのよ。さっき私がぶつかったから。謝ったのだけれどね。」
と言ったのです。
「・・・・・!?」
更に私は心の中で
「えええええええ !??」
と叫んでしまいました。
つまりあの「すみません。」の声はこの女性の声だったのです。
私の隣に座るときに揺れた電車で、隣の人の肩にでもぶつかってしまったのでしょう。
たとえその時に少々痛くても、謝られたら、
「まあ、仕方がない。」という気持ちになるものなのではないのでしょうか。
打ち身になるくらいに、または骨が折れるくらいの被害でも無ければですよ。
そしてむしろ、そんなに若くは見えないこの女性に気遣って、
「大丈夫ですか。」ぐらい思ったり言ったりするのではないでしょうか。
これが私の知っている常識と言うものです。
東京駅で飛び降りて行った男性の常識は、
「遣られたらやり返せ」なのでしょうか。
どう見ても自分より弱者の女性に対しても。
意志があってぶつかったのなら(または殴った)のなら、痛みは結構あったかと思い、
改めて聞きなおしてしまいました。
「本当に大丈夫 ?」
「ええ。大丈夫だけど・・・。」
そう答えた彼女が本当に痛かったのは、
たぶん心だったと思いました。
私はこんな花を咲かせこんな実をつけよう。
そんな風にわざわざ思わなくても、
人々は毎日を普通に暮らし人生の季節を歩んでいっているのだと思います。
だけど
あの男の人の人生の秋は、きっと寂しく貧しい秋に違いないと、
私は秋葉原の雑踏の中を歩きながら、そう感じていたのでした。
※
さてさて、夏ドラマがすべて終わってしまいましたね。
次回はドラマのお話でもしましょうか。