どんなにつまらないようなちっぽけな事でも、思わなければ、その願いは叶わないのかもしれません。
高校生か、それとも大学に入ってからだったでしょうか、近所で女性ばかりが集まる会合がありました。その時、名前だけ言う自己紹介コーナーがありました。名前だけですから、さっさと進みます。
名前を言って次の人、名前を言って次の人・・・・・。
皆、頷いたり、その人の顔をちらっと見て終わりです。
だけどある人が
「吉田ナニナニです。」と言ったとたんに拍手が起きました。実は私も普通に迷わずにしました。
そして「あれっ?」と首を傾げると、隣の少女も「何で拍手を ?」と言い、みんなで小さく首を傾げながら、次の人に順番は変わっていきました。
なんでもない話です。
普通の人は、こんな事を覚えていないと思います。
だけど私は、変な所で普通ではないので、家に帰ってから、そのことについて考えてみました。
名前を言っただけですが、みんながムニャムニャとかボソボソとか言う中で、確かに彼女だけが、美しくハリのある声だったのです。大きな声で無いのに、迫力のあるちゃんとした声。
カッコいいなと思いました。
そして鏡の前で二・三回、自分の名前を言う練習をしてみながら、いつか私も、名前だけ言って拍手されたいものだなと思いました。
最近思ったのですが、近頃では名前だけ言うような自己紹介でも、拍手して次の人に回すと言うのが今時の流れかもしれませんね。
そんな今だと、あの時思った、小さすぎる野望が叶う日もなかったかと思います。
そんな私の小さすぎる野望が叶ったのは、大学時代のゼミでの自己紹介の時でした。
12人ぐらいの憲法ゼミ。女子は三人だけで最後の方。私はその三人の真ん中か最後だったと思います。
タイトルが、そのままなのでオチは見えていますが、その時私が名前を言うと、全員が普通に拍手をして、お約束のように誰かが「あれっ、何で拍手を ?」と言いました。
すると誰かが
「だって名前が女優みたいだから、つい。」と言いました。
私は予想外の言葉を貰って、恥ずかしような気持ちにもなりましたが、ニッコリと微笑みました。
だけどその予想外の言葉が嬉しかったわけではなく、密かに思っていた小さすぎる野望が叶ったからだったのです。
因みに私の旧姓は、さほど女優みたいな名前などではありません。ただ今の名前程は平凡ではなかったとは思いますが。
しかし、今これを書いていて、まさに今頃気がついたのですが、なぜその野望を就活の時に叶えなかったんだろうか !?
いや、きっとその頃は、自分になんかまったく自信がなくて、野望がちっぽけどころか、自分自身が小さく感じて、きっとボソボソムニャムニャと名前を言っていたに違いありません。
バカだなと思いますが、今の旦那は(前の旦那がいるわけではありませんが)、そのゼミに居た人なので、それなりに意味はあったのだと信じたいです。
またあの時の、吉田ナニナニさんは、私よりはかなり年上の方でしたが、私が結婚する時に勤めていた石鹸工場の石鹸を紙袋一杯お祝いにくれました。それで私は石鹸を買わなくても良いと言う生活を5年ほど続けることが出来ました。
年上でこれといって交流もなかったのすが、ある時実家に帰って、
「そう言えばあの人はどうしてる ? 」と尋ねると、既に病気で亡くなっていたのでした。
40になっていたかどうかの若すぎる死でした。
「元々体が弱かったんだよね。特殊な病気を持っていたから。」と父も母も言いました。
元気印のような人だったのにと、私は寂しく思いました。また会ったら、もう一度改めて「石鹸助かったのよ。」と伝えたいと思っていましたが、そちらは叶わぬ事になってしまいました。
※ 過去の想い出を語る「ランダム自分史」というカテゴリーを作りました。