森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

9月11日、土曜日。

2021-09-11 23:30:37 | 梢は歌う(日記)

 

下の囲みは、昨年の9月11日に投稿したもので、2014年からのツリーになっています。

 

 

 
9月11日、金曜日。

 9月11日、水曜日。 9月11日、火曜日。 9月11日、月曜日。 9月11日、日曜日。 9月11日、金曜日。 9月11日、木曜日。最近、自分の中の老いと向き合わな......
 

 

2001年9月11日の朝、イスラム過激派アルカイダによって米国同時多発テロ事件が起きました。

その時日本は夜で、私と夫はテレビタイム。子供たちはそれぞれの部屋でオンラインでのゲーム時間を持っていました。当たり前の日常が転がっているような、普通の夜でした。

同じように普通の一日を送ろうと思っていた、多くの人の当たり前の一日が、あっという間に変わってしまったのでした。

 

あの時から20年。

今日の朝、私は今日がその9・11である事をすっかり忘れていました。

テレビのニュースで思い出したのです。

年月は、いろいろなものを奪っていきます。

あんなにショックだった出来事も、時が経てば自分の中で風化して言ってしまう事もあるでしょう。または今の自分の生活でいっぱいいっぱいになってしまっていて、余裕のない生活を送っていたりしたら、それも尚更でしょう。

トンデモナイ。一日だって忘れた事は、忘れる事は出来なかったと言う方々もいらっしゃると思います。

だけど私のようにそうでない方も多いのではと思います。

ただ、これは先の戦争と同じように、忘れてはいけない出来事だと思うのです。

私は先の戦争を知りません。

だけど母が毎年、夏に会うたびに「遺言だからね。二度と戦争をしちゃいけないよ。」と言い続けて来てくれたおかげで、私の中でその記憶が生きているのです。

同じように、この出来事も忘れてはいけない事だと思います。

恐ろしい事が起き、たくさんの被害者が出た事はもちろんですが、その後に、何が起きてそれがその時の被害者の方々のみではなく、さらに多くの人生を狂わしていったことも含めて、忘れてはいけないのだと思います。

毎日の中で、今日が何の日かを忘れる事はあるでしょう。

でも思い出せばいいのです。

そしてまた心の中のページに栞を挟むー。

 

私が朝、今日が9月11日である事を忘れてしまったのは、昨日の吉田拓郎氏のラジオが凄まじく良かったことから、彼の事を思い、またそれこそ片時も頭の片隅から離れられない姉妹の事を思い、そして明日やってくる事になっている新しい家族の事を思っていたりしたからです。

思い出し、そして自分の7年そしてあとプラス一年分の9・11の記事を読み直してみました。

書きたい事はみなそこに書いてありました。

そしてつい昨日の出来事のようなことも、そこには書いてありました。

どんな時にも、私たちは私たちの自分の生活を暮らしていくしかないのですよね。過ぎていく日々を愛おしく思いながら。

 

今日の私は、朝はサークルに参加して、キバナコスモスの話や花大根の話などをしてきました。午後からは夫に送ってもらって、ひとりで映画を見てまいりました。帰りに半額になったお惣菜をたくさん買い求め、手抜きだけどリッチなのかプアーなのか分からない夕食で満足いたしました。

出掛けたついでに銀行ATM周り、本屋、無印などでリサーチ&買い物をしてきて、けっこう楽しい一日だったと思います。

 

ジョン・レノン / イマジン (日本語訳付き)

 

コメント (4)
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