「GYAO!」 にて、配信中の「MONSTER」を見ていました。
原作は浦沢直樹。
その原作は全巻読んでいました。コミックの最終巻が出版されたのは2002年4月。
このブログを始めたのは、2006年の1月からなので、だいぶそれの前に読了していた事になります。
この作品を読み進めていた頃から、私とラッタさんの間では、彼を「あの天才」みたいな呼び方をするようになっていました。
ある雨の日には、頭部に致命的な銃創を受けた少年と、ショック状態になった双子の妹がテンマのいる病院に運び込まれてきました。テンマは院長の、そんな少年の手術よりも市長の手術を優先するようにと言う指示に逆らって、先に運び込まれてきた少年の手術を成功させるのでした。
ところがその少年は、自らも自分たちの保護者になってくれた夫婦を抹殺するばかりではなく、優し気な言葉で人心を操り破滅へと導くモンスターだったのです。
彼らは何処から来たのか。彼の中のモンスターはどのように誕生してしまったのか。そして彼と彼を取り巻く人々の狙いは何なのか。
サスペンスとしてもヒューマンドラマとしても秀逸の極み。
面白すぎて、やはり作者を「天才」と呼びたくなってしまったのも、間違いのない事だと思います。
ただ難点は、「舞台「プルートゥPLUTO」」
の感想でも書いたことですが、物語が長いし、コミックで読んでいると、早くても6か月の間が空くので、よく分からなくなってくるんですよね。
「こいつは誰だっけ ?」みたいな・・・(^_^;)
それをアニメでしかもネットで見ると、全く間が空いていないので、すこぶる分かりやすく、奥が深くて、いろいろな事を考えてしまいました。
チェコ・プラハの春・東ドイツ崩壊のその後、ネオナチたちの求めるもの・子供たちへの実験、「511キンダー・ハイム」・「赤いバラの屋敷」「名前のない怪物」という名前の絵本、もう雰囲気バッチリです。
だけど、この物語は、テンマとシリアルキラーのヨハンとの戦いとか、そう言うものでは全くありません。また悪の組織との戦いとかでもありません。
いかにヨハンは作られてしまったのかー。
またそれに関わってしまった人々の、壮絶は懺悔の物語のような気がします。
最終章の「本当の怪物」は、本当に怖かったです。でもこれはある映画を連想してしまったのですが、それを書くとネタバレになってしまうので、ちょっと我慢かな。
ところが、アニメの方を見ていて、あれっ、こんな終わり方と不思議に思い、最終巻を引っ張り出してきて、読んでみると、このアニメが如何に原作にセリフのひとつひとつまで忠実に作られていたのかが分かりました。そして原作も同じ終わり方でした。
しかし人間の記憶と言うのは、恐ろしいというか、たぶん原作を読んだ時、やはり「ここで終わるのか。」と思った私は、密かに記憶の中でワンシーンを付け加えてしまったみたいなんです。それによって、ちょっと恐ろしいお話になっていました。
だけど今アニメを見て、また原作の最終巻を読み直してみると・・・・・ってやっぱりネタバレになるので、一番下の動画の下に書きますね。
時が経つと見方が変わるという事は、ある得る事だと思います。
昔は高慢で嫌な女にしか思えなかったエヴァが、なんとなく愛おしく、これは彼女の成長譚にもなっているのだなと思いました。
そして何よりも音楽がお洒落です。
それで、OPとEDの二つを貼っておきますね。みんな素敵なんです。
特に、フジコ・ヘミングの歌。不思議な感じがします。
・・・
MONSTER OP 『GRAIN』
David Sylvian - For the Love of Life (Monster Ending Theme) LYRICS
Fujiko Hemming - Make it Home Monster Soundtrack Ending 2 OST II (Romaji & English Lyrics)
最後に上に書けなかった、ラストのネタバレになってしまう可能性のある部分のお話です。
なぜこの最終章に大きな恐怖を感じたのかといえば、それは子供たちを愛している母親の存在が、一番の元凶になっていたというラストになっていたように思えたからです。
彼女は言います。
「私は絶対に彼を許さない。私が死んでも私の中でどんどん大きくなっていく子供たちが、きっとあの男に罰を下す・・・・」
だけどそれは彼女の妄想。なぜなら彼女は子供たちの生死の確認すらできてなかったから。そして、あの時に自分のしたことを、ちゃんと理解していて、そして呟く・・・・
「本当の怪物は・・・・・誰・・・?」
私の中での一番の恐怖映画や物語は、幽霊などが出てこなくても、二人の子供のうちのどちらかの命の選択をしなくてはならないものです。
例えば「ソフィの選択」、マコーレー・カルキンとイライジャ・ウッドの「危険な遊び」など。
そしてこの「MONSTER」。
2002年の私は、まだ大学生と中学生の母親で、見方が今と違っていたのです。
テンマが目覚めないヨハンに、母親の事を告げた後、彼は姿を消してしまいます。
何故か私の脳内では、彼が最後にその母親の元に向かっているのだと思い込んでしまいました。付け加えられたワンシーン。それはベンチに座る彼女のすぐ傍で、優しげな微笑みを讃え、ヨハンが立っていると言うもの。もちろん彼の目的は決まっています。
それが彼の今までの仕事の仕上げだったからです。そして彼はその後本当に姿を消してしまう・・・・
何故そう思ったのかしら。
その頃の私は母親業真っ最中で、この母を私自身が許せなかったか、またはその方が面白いなと単純に思ったか、もしくは、そのシーン自体を、私自身がどこかで見たか・・・・
だけど今の私は、やはり見方が違いました。
自分の母親が、自分を愛していたと知って、そして自分の本当の名前を知って、彼は去って行ったのだと明るい方に信じる事が出来たのです。(でもなぁ、彼のやって来た事を思うと、『良かった良かった』では、済まないような…。)
ついでながらの感想ですが、最後に一つの町を巻き込んでのヨハンの自殺計画。
「511キンダーハイム」で実験された子供たちの中には、自分の中に別人格が現れ、得てして凶暴性と暴力性を含み、そして皆自殺してしまったと症例がたくさんあったのです。
ヨハンも実は例外ではなかったという事でしょうか。
グリナーという男も、自殺などせずに生き抜いた人。
彼を失った後、彼を思って悲しむ人は、描かれてはいないけれど、あの施設に居た子供たちだなとしみじみと思いました。
何の運命が彼らをそこに導いてしまったのかー。
人の中の、善の中の悪、悪の中の善。
そんな事をしみじみと考えさせられる作品だったと思います。
そう言えば、こういう本もあったのでした。今更ですが、読んでみたいという欲望に駆られています。物語の様相を成している解説本らしいです。
・・・・