森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

必殺仕事人☆2023★12月

2024-01-03 15:38:46 | テレビ・ラジオ

昨年暮れに放送された「必殺仕事人」の感想です。

「必殺仕事人」は2023年の1月にも放送がありました。本当はこの作品は2024年に放送しようと思っていた分なのではないかと推察されるわけですが、なんたって主演の東山さんが2023年内に引退と表明してしまったわけで、それで年内放送になったのではないかと思いました。

何かしらの渡辺小五郎の決着をつけるのかと思っていましたが、それに対しての新撮はなかったようで、いつも通り普通に終わったように思いました。

終わり方もいつものように好きでした。鬼畜の所業から帰宅すると、女たちの普通の生活の賑わいが迎えます。

いくつかのネットニュースでは、この時の小五郎の最後のセリフに、何気なく意味を持たせていたように思いました。

彼は何と言ったのかと言うと、妻のふくと叔母のてんに向かって

「いやもう、お好きなように」だったのですね。

確かに意味があると言えばそうも取れるかもしれませんね。

 

さて物語を最初の方に戻しての感想です。

だいたい今の必殺シリーズは、オープニング、一部、二部構成になっていると思います。

オープニングは「あらっ、こんな人が出てるのね。」的な面白さがあると思うのですが、なんかね、そんな部分でも私的にはあまり演技の仕方が好きではなかったようで、ちょっと気分が削がれました。このショートシーン、サメの映画「ジョーズ」の冒頭部分、襲われた女性のそのシーンがその映画の動員数を稼いだように、そこからのめり込んでしまったと言うようなそんなシーンが欲しかったと思いました。

ただ物語の要のエピソードも盛り込まれていましたね。甚八郎亡き後、スランプに陥ってしまったリュウは仕事を失敗し流しの仕事人雪丸に救われました。

この雪丸を中尾明慶さんが演じたわけですが、ちょっと話がそれるようですが、事前にネットニュースなどで話題的な部分を読むのは、ネタバレになってしまうのでやめた方が良いのかなと思った次第です。

つまり新しく仲間になる棗の事はネットニュースで話題になっていたものの、この雪丸の事は、まったく話題になっていなかったのです。この書き方は、中尾さんに失礼だったかもしれませんが、もしも流しであっても新しい仲間になっていくのであったら、話題にならないわけはないのです。つまりこの人は仕置きされる側のゲストなんだなと出てきたときに予想がついてしまうのですよね。

中尾明慶さんは好きな俳優さんなので、新しいお仲間でも良かったなと思いましたが、この人がもう少し静かで大人しいやり方であったならば良いものを、何せ力づくのようで騒がしくあまり多くの人には好まれなかったかもしれませんね。

事前に仲間になると分かっていた(ネットニュースなどで)棗は、松下奈緒さんが演じたわけですが、この人はとっても良かったですね。すべての行動に説得力のようなものを感じました。所作も美しかったです。

そう言えば今回のゲストの仏と言われていた山﨑ツネ役をやっていたのも、松下さんではないですか !

松下由樹さん。

この人も仏から悪鬼へのふり幅が大きくて、とても良かったと思いました。

しかしずっと慕っていたツネを棗にやらせると言うのは、厳しい入学テストのようなものですね。そっと見守っていた経師屋の涼次が良かったですね。

お話は芸能界の性被害・・・・・・ってよくこれをやったなぁと思いました。

もう一つは橋の工事費の中抜き。

ちょっと乗って来るのに時間がかかってしまいましたが、途中からはいつも通り安定して見られたドラマに仕上がっていたと思いました。

 

では2025年もお待ちしています・・・・・って、渡辺さんはいないのでしょうね。

だけど、実は私が若い時に本当に「必殺」に嵌ったドラマは、非主水作品で「必殺必中仕事屋稼業」だったのですよ。

今の涼次や新メンバーの棗、リョウやお菊だったら、渡辺抜きのドラマを作っていくことも可能ではないかと、私は思います。

時代は変わっていくもの。いつまでもパターン化したシナリオではなくても良いし、新しい冒険の旅に出てみてはいかがでしょうか。

 

まあ、でも私も言いましょうか。

「いやもう、お好きなように。」ですね。

 

本日、2回目の投稿です。前の「はねのける !」もよろしくお願いいたします。


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はねのける !

2024-01-03 02:07:59 | 梢は歌う(日記)

新しい年が始まりました。

最近ブログ生活も滞っていましたので、

新年のご挨拶も含めて、1日の夕方にブログを再開させようと思っていました。

ところがその日、横浜の実家から帰る途中の高速の上で、あの地震のニュースが流れてまいりました。

最初、ナビのテレビの音から緊急地震警報の音が流れました。自分のスマホが鳴っていなかったのに、一瞬勘違いして、こちらでも地震が来てこれから地面が揺れるのかと身構えてしまいましたが、それがテレビからなのだと気がついて、そしてその後に伝えられた震度7と言う数字に愕然としました。また大津波警報にも。

「そんな・・・・今日は1月1日、お正月なのに・・・・」などと思っても、災害は容赦ありません。

家に帰ってお気楽に、「おめでとう」を言えるような雰囲気ではなくなってしまいました。

 

そして2日の日の羽田の飛行機事故のニュースに、またも気持ちが暗くなりました。

思わず、「いったいどうしちゃったんだろう。2024年はどうなってしまうのだろうか。」と思ってしまう自分がいました。

この不安な気持ちは、私だけが感じたものではなかったのではないでしょうか。1月1日と言う日付が、その不安を呼び込んだのです。そしてその翌日の大事故と言うのも。

 

だけどすぐに思い直しました。

2024年の幕開けの時に、その大災害と大事故が起きたけれど、それがこの1年の象徴のようだと決めつけてはならないのだと。

被災地の皆様におかれましては、これからも大変な日々が続いてしまうと思います。

 

だけどそうでない者たちは、元気に生きて経済を回し、支援する側にしっかりと回らなければならないと思います。

そして気持ちの上でも、心によぎる不安をはねのける明るさを持たなければならないと思うのです。

 

はねのける力は明るさばかりではなく、強い意志だったり、知恵だったりもするかもしれませんね。

 

ところで1月2日、このブログ生活も18年が過ぎました。

そろそろ飽きてきても確かに無理はないなと思いつつ、やはり私にはブログは大切な場所だと思い直し、初心を振り返ってみました。これからもゆるゆるとやっていくつもりなので、またよろしくお願いいたします。

その2006年2記事目。

宝石箱のような」

短いので、そのまま再掲します。

『昨日の夜8時頃、横浜から帰ってきた。高速の上から視界に入る風景を見ていると、いつもこの東京という街が愛おしく思われる。多くの人々がコツコツコツコツと築き上げていった人間の巣。広がるビルの海に人々のさまざまな思いが沈んでいる。また、夜は一段と美しい。12月31日の夜10時頃横浜に行った。両日とも道路はすいすい、快適なドライブだった。でもどちらかというと、31日の夜景のほうがきれいだったな。まるで、宝石箱の中を走り抜けていくみたいだった。

ふと、この街が崩れていくシーンを想像してしまった。「ファイト・クラブ」のラストシーンのように。
-私たちは、地球からこの大地を借りている単なる間借り人かも知れないけれど、どうかお願いです。いきなり返せとは言わないでください。だって健気じゃあないですか。この築いてきたものを見てくださいよ。たとえ返す時期が来ていたとしてもどうかどうかお許しください。ー
そう、祈らずにはいられなかった。でも、その日の夜も何処かで地震が起きていたな。』


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