予告編を見て期待していました。
だいたい滝つぼに落ちて(滝つぼではないが)、遺体が上がらなかったら、「そりゃあね。」となりますよね。
右京の最大の敵だった南井の回の感想は
ただ彼の場合、落としどころが「認知症」と言う病気のせいだったみたいな感じで、なんか思っていた最後とは違うと言うか、がっかり感が少々してしまったのは確か。
それにその病気だったら、崖から転落後に助かったとしても、もう右京の敵ではないのよね。
で、最後の電話の「お父さん」は何を意味するのかってことになって・・・・・
わぁ~ドキドキってなったところで終わりでしたね。
この続きはいつヨン !?
そう思えるのは、面白かったからなんですね。
食物連鎖のように強き者は弱き者を捕食していく・・・・
でもこの場合は誰が誰よりも強いかは分かり辛いと思いました。とにかくその連鎖の頂点に君臨するのは、彼らを操っている人なのだと言うことは分かりましたが。
世の中には本当に出会わない幸せってありますよね。
今回の登場人物の中では、パワハラを訴えられて首になってしまった男がいたけれど、この人は首になっただけ。自業自得のラッキーマンじゃないかしら、むしろ。
あと、どうでも良いことが気になってしまったのですが、黒板にしろホワイトボードにしろ、
「ちゃんと消せ~ !! あんなの消したことにならないでしょう。次に書く人が困るでしょ !」って、思った人多数いたと思います(笑)
そう言えば‥‥って、別にケチをつけるわけじゃないのだけれど、お金って洗っても、そんなには綺麗になりませんよねぇ。
気になったので洗ってみました←お馬鹿さんな私(;^_^A
アッ、水洗いだけなのにピカピカに綺麗になった。でもこちらは全く変わらない・・・・。
綺麗になったのは平成のコインで、綺麗にならなかったのは昭和45年の年季の入ったコインでした。年季の違いなのね。
綺麗なコイン、気持ちが良いので、たまには洗ってみるのも良いかもしれませんね。
だからじゃないけれど、右京が見つけたとっかかりのようなものは、かなりの偶然だったかもしれませんが、サスペンスドラマの必然と言っていいと思うし、アイデア的には秀逸ですよね。
南井の事件と今回の事件の違いは、南井に操られた人は、自分の死さえ操られて、みんな喜んで自ら死んでいったような記憶がありますが、今回は誰も自分が死ぬなんて思っても見なかったように思います。
惡の花の種は、いったいどこにいるのでしょうね。
今回のお話、
ラストのシーンで「起承転結」の「転」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも私には、今回は「起」にしか感じませんでした。
徳永さん、次回のこのシリーズ、期待してお持ちしています。
因みに「kiriyのお勉強コーナー」
この「惡」と言う文字、不思議な雰囲気を持っていますよね。
この文字の語源は、昔の墓所を上から見たところで、それを見た時に心が感じるざわつくような気持を「惡」と言ったところが生まれてきた文字らしいです。
やはり「惡」と「死」は、どこかで結びついているのかもしれませんね。