トップ画像は記事とは関係ありませんが。帰りの新幹線から撮ったもので大井川手前です。
ひとつ前の記事の「大阪散歩2日目《あべのハルカス行ってみた》」の中で、私は本当は「大阪市設南霊園」または「阿倍野墓地」を「陸軍墓地」と書き込んでしまいました。
それは星子さんがNHKのアベノの特集を見ていて、そう思ったから教えてくれたからなんです。それを何も疑わずに書き込んでしまいました。(たいがいは疑わない。信用できる人なので。)
昨日、たまたま星子さんに会いましたので、そのことを伝えると
「ハルカスから見下ろせるって言っていて、広くて大きかったから、てっきりそうかと思ったわ。」と「陸軍墓地」の事を言いました。
「へえ、ハルカスから見えるのね。じゃあ、どこにあるんだろ、それ。ちょっと調べてみるね。」と私も言いました。
実は昨晩も、ちょっとだけPCに向きあいました。
が、名前検索でぱっと開いたところが
「夕刻訪れたら、あたりには誰もいなくてひっそりとしていました。
僕はあまりそう言うのは信じない方なのですが、・・・・・」
ゲゲ、そっち系か !?
なんたって墓地検索ですものね。
いくら何でも真夜中の2時に、ホラー体験談は読めませんよ、怖くて。
で、さっさと寝てしまったのですが、ふと気がつくと、今だって同じくらいの時間。
だから墓地自体の話は、朝が来たら書くことにします。
昨日、星子さんと別れて家に着くと、墓地名検索→住所→地図の順に検索して、思わず「ああ、分かった~ !!」なりました。
次の記事で書く予定だった「ヘリポートツアー」で、大阪城が見えますと言われた時、「ああ、本当だ。」と喜んで見ていた二人だったのですが、どうも後から話が合いませんでした。
星子さんが「思っていたより小さく見える。」と言ったからです。
彼女が指し示す方向を見てみると、
「あっ、違う違う。そこから少しだけ視線を右にずらして、さらにちょっとだけ奥を見るのよ。」と私。(私、目だけは良いの。目だけは( ;∀;))
そして「あったあった。」となったわけですが、最初に見た「小さく見えた」天守のようなものは何だったのかと言う話題に・・・・。
「お寺じゃないかしら。」とじっと見る私たち。
そしてあたりを見回していた私は、
「あっ、見て !」と、大発見をしたかのように言いました。
「あれがお寺だと、その周辺にあるのは墓地よね。さっきの謎の広い場所と同じように見えるわ。だからあれも墓地なのよ、きっと。」となったのです。
だけど謎の広い場所は謎のままで帰宅。それで星子さんからのメールになったというわけなのです。
その謎の広い場所については分かったものの、「陸軍墓地」はどこにあるのだろうと調べていたわけですが、
名前検索から住所を調べ地図を開いて、思わず「ああ、分かった~」となったのは、最初に見ていたお寺の近くの墓地がまさにそれだっったのじゃないかと思ったからです。
見ていたんだ~。
何やら微妙な達成感が(笑)
でもさらに地図と自分の撮った写真を照らし合わせると、見ていたのがそれとは怪しいなと思えてきました。ただ、その方角はしっかり見ていて「もしかしたら」とは思っています。「見ていたんだ~。」の方が、お話としては面白いけれど(笑)
お墓にはさほど興味はありませんが‥‥と書いたら、たぶん星子さんには「嘘」と言われそうです。
いつも私は「だれだれのお墓に行きたいわ。」とけっこう言う方なので、「お墓参りが好きね。」と彼女からチクチク言われているからです。
事実、南霊園には五代さんのお墓があったのかと知ったら、行ってみたかったなと言うような気持になった私ですから。
ただ、「陸軍墓地」を最初に検索して開いてしまったところが、心霊体験談だったものですから、あまり行きたいという場所には思われず・・・・・それでも地図をしみじみと見てみると・・・・
ありゃ、やっだー !!
「失敗した。失敗した。そう思っていたけれど、それは失敗なんかじゃなかった。」と言うことが、私にはたくさんあると時々書き込んでいます。
これもそうだったんだと、私はしみじみと思いました。
この「陸軍墓地」は実は「真田山陸軍墓地」と言う名前なんです。
朝になったら書き込むと書いた、あれやこれやの詳しい事は,またウキペディア様に頼ることにします。
また墓石などが風化しているそうです。(真夜中にはここの写真を見られなかったわけで(;^_^A)こちらの方も貼っておきますね。
→公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会 (sanadayama.or.jp)
私が「やっだー。」と思ってしまったのは、この宰相山公園内の三光神社あたりは、かつて「真田丸」があった場所なんですよね。
「真田の抜け穴跡」なんて見ると、ワクワクしますね。
それともう一つ、気がついたことが。
やはり二人で話をしていました。大阪ではあまりお寺を見かけないねと。
この地域にどっちゃりありましたね。まるで上野から谷中に歩いていく時の様にずっとお寺が続いているではありませんか。きっとこの道は閑静な場所なのではないかと思いました。
大阪は一つの権力が昇華して燃え尽きた街でもあると思います。
もう少し歴史に寄り添っても良かったかなと思いました。私的には今回は「大阪城」に行ったことがそれにあたっていたわけですが、今回の旅行でやり残して次回に回したことは、「川辺のカフェでお茶をする。」「水の都を船で回る。」それから「『真田丸』を意識する。」かな。
大阪在住の方にとっては、この記事は少し不思議に感じるかもしれません。それはレインボーブリッジとベイブリッジを間違えて、あれやこれやと検索し、「べイブリッジは横浜にあるんだね。」とか言っているようなものかもしれません。
だけど意外と同じ日本でも、住んでいるところ以外のあれやこれやには疎いものですよ。
これを切り崩して知っていくと言うことが、旅の醍醐味なのかもしれませんね。