最近「鎌倉殿の13人」の感想などを、まったく書けないでいます。1、2回抜けると、書けなかった理由が「他の書きたい記事があった」などだったりするので、なかなか復活できませんでした。次回が29回なので、23回はだいぶ前の「狩りと獲物」の回なのです。
この回の時、三大仇討の一つである曾我兄弟の仇討ちの話が出てきました。
これを三谷氏は、頼朝を討つことが目的のクーデターだったと言う説の方を取って描きました。
凄いな三谷氏と思いつつ、なんかちょっと気持ちが悪くなってしまいました。
図らずとも、子供の時から敵と思っていた男(工藤)の事は討ち果たし、そしてその為に、義時に都合よく美談として、物語を書き換えられてしまったのですから。大望を果たそうと思ったのに、私怨として片づけられてしまった無念はいかばかりかと思うではないですか。しかも美談として、本当の敵からは褒められてしまうのですから・・・・。
義時、容赦ないなぁ。
怖すぎるなぁ。
だから女好きゆえに助かった頼朝、巻狩りの時は冴えなかったけれど、いざとなったらちょっとカッコ良かった万寿(頼家)、育ち過ぎの金剛、鹿のはく製のコメディなんかは、ちょうどいい緩和剤になったと思いました。
だけどこの時に私、書き替えられてしまった物語かは知らぬことですが、元の語り継がれた物語をちゃんと知りたいと思ったんです。
しかし今の私の読書力だと、古典のそのままの訳だと、残りの半年をその本で費やしてしまいそうなので、漫画で描かれたものはないかと探したりしたのです。漫画はなかったのですが、子供向きの物がありました。「小学上級・中学生から」と言うものです。「から」ですから・・・^^
今の私にはぴったりです。
そして本の感想です。
その最後、私は思わず涙をはらりと落としました。
確かに美しくは描かれていましたが、けっしてお涙頂戴の物語ではなかったと思います。
文を書かれた時海結以氏のあとがきの解説に寄れば、「曾我物語」はすべて漢字で書かれた真名本と、それから後(南北朝時代から室町に掛けて)にひらがなが多く含まれて書かれた仮名本があるらしいです。こちらの方がエピソード数も多いらしいので、人々の語りや能や歌舞伎の作者たちに付け加えられたフィクションも多いのかも知れません。
読んだ本は、真名本をひらがなまじりの読みやすい本として訳されていたものをベースに使い、それに仮名本などからエピソードの一部を少々使ったと書いてありましたから、けっしてお涙頂戴ではないけれど、やはり少々ドラマチックにはなっていて、寧ろ読みごたえがありました。多くの参考文献をもとにこの作品も出来上がっているので、作者のあとがきは、情報がたくさんあって更に読みごたえがありました。
印象深かったシーン・・・・。
ふたりの兄弟の父(河津三郎)が、工藤祐経に討たれてしまうと、妻は悲しみのあまり5歳と3歳の幼き息子たちに、「20歳になる前に工藤の首を取って、私に見せて。」と仇討ちを誓わせてしまうのです。
「えーって、それってないなぁ。」と思ったら、後に曾我太郎の後添いに入り、二人の子供も可愛がってくれる優しい夫の元で、新たな落ち着いた幸せな日々を得ると、その時の事をずっと悔いるようになるのでした。彼女の密かな戦いは、二人の息子たちに仇討ちをさせまいと言うものだったと思います。
それは叶わず、この母の後日談も書かれていました。そして兄の恋人だった虎も、彼が亡くなった後は出家してずっと二人の為に祈り続けたのでした。どんな悲しみにも寄り添ってくれる虎は慕われて、曾我の里に寺を建てると、多くの女性が弟子になりました。
色白で思慮深い兄の十郎は、ロマンス担当なのです。また兄よりも背も高く、出家する前日に修行していた寺から脱走して母からも勘当されると言う、弟の五郎は、アクション担当のようです。でもその頃(能や歌舞伎のお話の)は、この弟の方が人気があって、箱根権現の僧侶から借り受けた「友切丸」と言う名刀を紛失してしまい、名前を変えて探すと言う、如何にも的な(でも、面白そう)エピソードまであったと言います。(もちろん、この本には出てきません。)
だけど箱根権現の僧侶から剣を渡されるシーンは確かにあって、その時の名刀は、兄には元は木曽義仲のもので「微塵丸」、弟には義経が義仲討伐の時に箱根権現に戦勝を祈願してささげた源氏の名刀(本当の名前は『薄緑丸』)だそうです。そしてそれは今も箱根神社にあるのだそうです。刀剣にまったく興味もなく分からないと「東京国立博物館」の記事の中で書きましたが、こういうエピソードを知ってしまうと、ちょっとだけムクムクと興味が湧いてくると言うものですね。
また、この物語には、時政・義時親子の名はもちろん、和田や畠山の名前もバンバンと出てきます。どちらかと言うと、皆幼き兄弟の味方です。一度幼い時に、伊藤の孫と言うだけで、首を切られそうになるのですが、一生懸命に頼朝を説得してくれるのが畠山です。
この本は2021年が初版ですが、畠山はこの本の中でもハンサムな挿絵です^^
八重とか千鶴丸とか・・・・。
「鎌倉殿の13人」を見ていたからこそ、身近に感じた物語だったと思います。
また仇討にあってしまう工藤にも犬房丸と言う子供がいます。
復讐は憎しみの連鎖を生み出すだけ。だけどこの物語では、ちゃんとその後日譚もあとがきに書かれています。
思った以上に中身の濃い本だったと思いました。この講談社のこのシリーズは、またちょっと読んでみようかなと思いました。
夏休みの読書感想にもお勧めできます。
あっ、そうだ !!!
「日本三大仇討ってなんだ !?」とふと思い検索したのですが、あっ、その三大仇討の事は更に長くなってしまうので書きませんが、そこで知った「一富士、二鷹、三なすび」って、この三大仇討から来てるんですってね。
じゃあ、読んでみようかなと思われた方は、残りの数行はこの本のネタバレになっていますので、ご注意ください。
64歳の虎。挿絵が老けすぎでしょう・・・・って昔はこんなものか・・・・・という事は置いておいて、彼女の所に十郎が「待たせたな。」と言って・・・・じゃない・・・・、こういう書き方だと、大河クラスタは違う人を想像してしまうでしょう(笑)
「ずいぶん待たせてしまったね。すまなかったね。これからはずっと一緒だよ。」と迎えに来てくれるシーンで、この物語は終わるのでした。門の桜の花びらの絨毯の上で息絶えていた虎を人々が見つけます。
仇討はふたりの上にだけ起きた悲しみではなく、周りの愛する人の人生も巻き込んでしまいました。
それでもハラリと涙が落ちました。
私はこういう物語に弱いのです。
ああ、日本人の多くがそうかもね。