夏という季節が好きです。
夏は、「暑い」「ダルい」しか言わないような毎日を過ごしているようだけれど、その暑さは、自分の中の何かを燃やすのです。これはきっと、楽しくて自由だった夏休みの思い出の刷り込みが、私をそう思わせるに違いないと推理しています。
もしそうならば、夏が好きなのは私にとって都合の良い錯覚なのかも知れません。
でもその錯覚が、夏になると毎年計画や目標を立てたりしたくなるのです。
それはフルタイムで働いて、お盆休みしかなかった頃もそうでした。今などはお仕事をしていますと言っても、時間的にはアルバイトみたいなものですから、「毎日が夏休み」みたいなものなのですね。そんな毎日なのですからなおさらですね。
だからと言って、今のところ大きな計画は何もありません。お出かけもコンサートがひとつ、お芝居が一つ入っているだけ。「だけ」と言っても、今の私にはそれで目一杯かも知れませんし。目標も具体的には未だ立っていません。これからなのですが、夏のコピーだけは決まっているのです。タイトルの「success summer」と言うのがソレですが、これは実は毎年同じです。
いつもは夏専用のノートを作ってそのタイトルに、そのコピーを書き込むのですが、主に仕事の予定表や1行日記に使っていました。何を持ってサクセスなのかは定かではありませんが、多分、それは己の心の満足という部分によるものだと思うのです。だから夏が終わっても、その夏を総括するでもなく、サクセスだったか否かと判断するわけでもなく、反省もしない・・・
それでも夏のはじめにノートの表紙に「success summer」と書き込んでは、通常よりも忙しい夏を乗り切ってきたように思います。
今年は出来るだけ「通常より忙しい」などという事は無いようにしたいと思っています。
そんなわけで心が萌える夏がやって来ました。
具体的な目標はこれからとか来ましたが、曖昧な目標は決まっています。
先日、自転車に乗って美容院に出かけました。見慣れた近所の風景も夏景色。濃くなっていく緑や煌く畑が美しい。見慣れた近所の風景をいつも美しいと思うことが出来る、それはとっても幸せな事だと私は思います。
だけど・・・・。
「ああ、美しいなあ」と思いながら、心の奥底では、何かが悲しいのです。
この美しさは幻だとも感じてしまう切なさが、そこにはあるからです。
昨年の3月、あの時から日本は少し悲しい国になってしまったと思います。
「ああ、どうして・・・」とも思うけれど、嘆いてばかりも要られません。
政治的なことも原発のことにも、あまり触れないからといって何も思っていないわけではありません。思っていても書ききれないので(能力的に)手を出さないのです。
この美しさは幻のように感じても、決して本当の幻ではないのです。この美しさを大切にして「今」という時をしっかり生きようと、いや、生きなければならないと思いました。
傍から見れば、何も考えずに暢気そうに暮らしているように見えても、それは信念を持ってそうすると言う生き方も大切なような気がしたのです。
この夏の曖昧な私の目標は、「夏の暮らしを楽しむ」です。
なんたって主婦ですから。
家事なんか、もう何年もやっていて少々飽き飽きしています。でも家事こそが定年のない逃れられないお仕事。ならば気持切り替えて、楽しまなくちゃねとも思ったのでした。
という訳で、今年の夏が過ぎた頃、私の心の満足度は如何に・・・・
滞りがちになってしまった、このブログですが、これからは夏の暮らしのささやかな出来事を、出来るだけマメに更新していきたいと思います。