森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

『Happy!』

2018-04-21 17:55:27 | 同じ時代の船に乗る

いつも母は嘆きながら私たち四人姉妹に言います。

「私の兄弟は、とうとう皆バラバラになってしまった。だからあなたたちは皆仲良くしてね。」

それを聞くたびに

「はいはい母上殿。お任せください。」と私は応えるわけですが、心の中ではなにげに父と母を糾弾していたりするのです。

「仲良く」と言うのは、ボーっとしていても出来る場合もあるけれど、皆それぞれの生活を持っていたりすると、やはりそこにはいろいろな事が生じてくるのが世の常なのですよ、おかあさん。

だけれどそこでまた様々な思考をし、それぞれを思いやり時には悟りあるいは許したりするから、ずっと仲良くして居られる場合もあるってものなのですよね。

だけどそれは誰かが一方的に頑張ることではないのです。

そしてまたそこには「仲良くしていたい。」と言う意思がなければできない事なのですよね。

 

母の兄弟は、皆ある意味タイミングが悪かったのだと思います。

彼らの母が生きていた間は、皆それぞれに繋がりがあって、私は従妹たちとも遊んだし親戚づきあいもあったのでした。

男の兄弟のリーダーと言うのは、実は母親なのではないかと思う時があります。夫の家族を見ていてもそう思えるのです。

みんなを結び付けていた母親が死んだ後、様々な風が吹きました。

私にとっての祖母が亡くなってから、40年以上たった今、母と付き合いがあるのは、すぐ下の弟の家族だけになってしまいました。

 

2011年の3・11は、母たちの一族にとっては、震災のダイレクトな衝撃以外にも大きいものがありました。

母の長男は、死ぬまで事業家だったと思います。津波で建てたばかり(買ったばかり?)のビルが持って行かれ、既に高齢だったので、それがショックで亡くなったのだと聞きました。

事業家だったかもしれませんが、父と母が若い時に彼に受けた金銭的迷惑はかなりなもので、それゆえに両親は彼を嫌っていました。だけど私が結婚式の時には(その頃の私は親戚は大事にしたいという気持ちが勝っていたのです。)、そのおじさんに親戚代表の挨拶をしてもらいました。今ではうんざりな結婚式スピーチの代表のように言われている「三つの袋」の話を、彼はしたのですが、私は初めて聞いたのでそれなりに感動したのです。

私の両親は彼から実害を受けていたので、彼を嫌うのも当たり前だと思います。だけど、私自身はそうでもないのです。

おじさんは煙たい感じがする人だったので、あいさつ程度でその他の口も利かなかったのですが、私と姉は夏休みにはわざわざ泊りがけで遊びに行ったりもして、楽しい想い出がいっぱいです。やはり祖母が生きていた頃の話です。

 

2011年の3月11日ー。

信じられない事に、次男の妻の命日です。あとから聞いてあまりに驚いたので、忘れる事が出来ません。

その事は、2011年3月14日に「逝く人へ」と言う記事の中で書いています。

頭が凄く良かったのに自分の人生の試練を乗り越える事が出来なくて、お酒におぼれて行ったおじさんを、それでも「パパは愉快な人だから」と支えて行った人。それがおばさんだったと思います。

そしてそのおじさんはそれから数年は生きていつの間にかなくなっていたと言う事を、先日母の弟がお墓参りに行った時に墓碑に刻まれていて分かったのだと教えてくれたのです。

 

でも私はその話を聞いて、思わず首をかしげてしまいました。

だって、昨年私たちもそのお墓参りをしたのです。→「祖母の墓参り

亡くなったのは数年前でも、納骨は昨年とかかしら。

それともあの時に墓参りに行ったのは、それの虫の知らせだったとか・・・・。

姉上様、もっと根掘り葉掘り聞いてくださいよ~、と言う所なのですが、きっとこの謎はずっといい加減なままだと思います。

はっきり分かっているのは、もう彼は居ないと言う事だけなのですよね。

 

「逝く人へ」の記事の中で

>私は次女と言うポジションゆえに、あまり両親に愛されていると自覚が持てない子供でしたので、自分のことを好きになってくれた人の事はやはり嫌いになれないのかもしれません。

と書きました。

伯父さんだけが、私の事を「Happy!」と呼んだのです。

「『Happy』はね、幸せとか嬉しいって言う意味だよ。」と幼い私に教えてくれました。

今でもその単語を聞くたびに、やはり自分が呼ばれたような懐かしい気持ちになるのです。

 

夜などに突然やって来た伯父さんは、いつも真っ先に

「Happy!、起きているか。」と、もうベッドに入っている私の所にやってくるのでしたが、いつだって酔っぱらっているような伯父さんを、子供ながらに面倒くさいような感じがして寝たふりをしていました。

「なんだ、もう寝ちゃったのか。」と、がっかりしたような伯父さん。きっと何か自慢したいような話を仕込んで来ていたのかもしれません。

あの時は、ゴメンね、伯父さん。

 

だけど伯父さんは、本当は母にお金を借りに来ていたのかもしれません。

母はバラバラになってしまった兄弟の事を嘆くけれど、そこにはやはり「仲良くしたかった。」と言う意思がなければ、何も意味がなかったことだと思うのです。

 

それでもそんな伯父さんと、ささやかながら素敵な想い出を持っている私は、やっぱり「Happy!」な人なのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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