21,22日姉夫婦は二人して京都の秋を楽しんできた。24日の朝の電話はその土産話。羨ましいね、まったく。今年の私はどこにも行っていない。だって、いつも遊んでくれる友達のお母さんは、末期がんで何時どうなるかわからないのだもの。
友達は言う。
「何かが溜まっていく。何かイライラする。私だってどこかで抜かなくちゃ。」
だけど、言えないセリフでしょ。― 全てが終わったら・・・ なんて。
「そういう年もあるよ。様子を見ながら、東京の秋でも楽しもうよ。」
そう私は言うしかない。
だけど私はひとりで、その友達と行った京都の秋なんかを思い出してみたりなんかして。
2005年の秋― なんだけれど・・・・
東京駅から出発の夜行日帰り京都の旅
↑ 高雄三尾と呼ばれるところの「神護寺」 瓦投げなんかが有名らしい。
「西明寺」の鐘
↑ その「西明寺」近くの風景
↑ 国宝の「鳥獣人物戯画」で有名な高山寺の近くの風景
その後嵐山の方に移動して
その風景と
渡月橋
それから、
足利尊氏建立の天竜寺の庭
―ねえ、おねえちゃん。
京都の秋はこの写真と変わらない秋でしたか。―
変わっていくのは人ばかり・・・
そして、ありがとうございます。
独りじゃあ、、、ですか。そんなことないですよ~(笑)渡月橋辺りはまるで東京の原宿のようだったので、独りではつまらないかもしれないですけれど、京都は一人旅のメッカではないかしら。
なぜか、女性でも男性でも一人で、木など見上げている人がいるととっても気になりますね。
その独りでいる姿が美しくて。
―愛する事によって失うものは何もない―
誰かの言葉ですが、その人たちの背中からそんなメッセージが伝わってきます。
イルミネーションの街を、あえて独りでさすらう。
いつか大切な時間だったと思える日が、来ると思うし、やはりその姿は美しいですね。