森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

さよなら、ジャン=ポール

2021-09-10 10:30:30 | 同じ時代の船に乗る

子供の頃、いや、本当に子どもで幼稚園辺りの頃、夕方テレビで映画が放送されていました。

その頃の私は、それが何の番組かも理解できていませんでしたが、後に勝手に「フランス名画座」と呼ぶようになっていました。この番組の事を知りたくて、少し前から検索していると、それは「テレビ名画座」という番組である事を知りました。

その番組は1961年から1968年まで続き、午後3時から5時ごろまでの枠で放送されていたのです。

私の父は時間的に不定期な仕事をしていたので、家にいた時は父とその映画を見る事が楽しかったです。

ほとんど白黒映画・・・・・・・・、いや、ちがう。

我が家のテレビが白黒だったのです。

ある日、父が見ているテレビの部屋に行くと、その映画はもう終盤で、主人公の恋人が(実は妻)亡くなって、嘆き悲しんでいる所でした。その主人公は貴族たちのパーティに押し入り、貴族の夫人のゴージャスなネックレスから腕輪やら、その他もろもろを奪い去ります。なぜか一人の女性の前では意味ありげに、ネックレスを乱暴に奪います。

「この女の人は何かしら。」と聞くと、

「この男がメチャクチャ悪いんだ。」と説明になっていない事を父は言いました。

後にそれは、愛する妻がいるのに変な野望に憑りつかれ、貴族の妻を手に入れようとしていて、それが彼女だったという事が分かりました。

だけど男は、それらの宝石で埋め尽くされた馬車に死んだ恋人を乗せて、そしてその馬車ごと湖に沈めるのでした。

部下たちと共に灯した松明の明かりが湖面に反射して、美しかったです。

この映画を最初から見たかったなと、私は思いました。

しかしなんで子供の時は、世の中がクリアではないのでしょうか。

その映画のタイトルが全く分からず、物語の内容から、私は後にこれが「大盗賊」という作品ではなかったかと思うようになりました。

その「大盗賊」を、またテレビでカラーで見る機会があり、楽しみに見てみると、なんだか微妙に違うような気がしました。それで私は思いました。きっとこの映画は昔作られた映画のリメイクなんだわと。

この「大盗賊」は1961年制作で1962年に公開されました。2年ぐらい後にテレビで放送されても不思議はないのですが、「素敵」と思った水葬のシーンが違うような気がしたのです。

そしてやっぱりネット世界は便利です。

ウィキペディアでこの「大盗賊」を見ると、この作品のテレビ初出は1969年8月の「金曜ロードショー」なんですって。

それに「テレビ名画座」をまた調べると、おもに放送された作品の中に、これが入っていません。

この作品が放送されていたならば、必ずそこに名を連ねるはずです。

だけど「大盗賊」のページに、同じカルト―シュをモデルにした映画が1950年に公開されていた事を知り、私が見たのはそれだったのではないかと、今思っている所です。

 

1950年のそれの主人公はRoger Pigaut。

1962年の「大盗賊」の主人公を、ジャン=ポール・ベルモンドが演じました。

私は、この映画で彼が好きになり、それからもずっと好きでした。

 

幼い頃にほんのわずかに見た映像が忘れられなくて、そしてそこに行きついたのです。

 

その「テレビ名画座」は、おもにフランス映画を中心にヨーロッパの映画が主で放送されていました。その影響だったのでしょうか。私はある時までハリウッドを意識する事もなく、映画といったらフランス映画で、たまにスペイン、またはイタリア映画でした。

そして若かった私にとってのフランス映画の代表的な俳優は、ハンサムの代名詞であったアラン・ドロンでした。

彼がハンサムの代名詞ならば、ジャン=ポール・ベルモンドは、味のある顔と言われていました。

男の人の方がファンが多かったと思います。

フランスでは彼の方が人気も高かったと聞きました。

 

そして二人はライバル視されていました。実際に良い意味でのライバルだったと思います。

1967年にロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン主演の「冒険者たち」が公開されました。もちろん、私がテレビで見たのは、ずっと後です。だけどこの映画は、今でも心に食い込み、たぶんこの後にいろいろな方に影響を与えたのではないかと思うのです。本当に素敵な映画でした。

それを見て、ジャン=ポール・ベルモンドが、こういう映画に出たいと言って1968年、同じロベール・アンリコ監督で撮ったのが「オー!」だったと思います。

フランス映画はお洒落と哀愁が命。

この映画をテレビで見た1972年の私には、この映画の哀愁を理解できず、あまり好きな映画にはならなかったのです。

 

アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドはライバル。

だけどある時、アランが声をかけ、二人が共演した映画が誕生しました。

それが「ボルサリーノ」でした。

 

2021年9月6日、ジャン=ポール・ベルモンドは88歳で亡くなりました。

その訃報を聞いて、アラン・ドロンは「完全に打ちのめされた。」と述べたと伝えられました。

 

 

レンタルですが、アマプラで見る事が出来ます。

 

 

 

さよなら、ジャン=ポール・ベルモンド。

カッコ良かったし、楽しかったです。

 


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