3月に読んだ本の感想です。
大山のぶ代さんと言ったら「ドラえもん」。ルート君が大好きで、彼女の声のドラえもんで感動をたくさんもらいました。
そんな彼女が認知症になってしまって、あんなに長く「ドラえもん」であったのに、その映像を見せても無反応だったと言う話を聞いた時、かなりのショックを受けました。
また介護をしていた夫の砂川啓介さんが先に亡くなってしまった時にも、その死が理解できていなかったと言うようなことを週刊誌で読んだ時も、とっても切なく思いました。
この本を今頃になって読んでみようと思ったのは、やはり私の母が認知症になってしまったからです。
大事な人がこの病気になってしまった時、家族はどう向き合うのか、どう向き合ったのかを知りたいと思ったからだと思いました。
自分の事なのに「思いました。」とはいい加減ですが、意外とはっきりとはしないあいまいな気持ちです。
人の経験が、果たして今の自分にあてはまるのか否か、それは分からないことだからです。
2012年に病気が発症しても、公表するまで3年の月日がかかりました。
彼女が有名人であったが故の、砂川さんの葛藤など伝わってきました。もちろん、病気の事を公表するかなんて個人の自由だと思います。だけどそれによって交流が途絶えてしまっていた親友さんたちとの(黒柳さんとか)お付き合いをまた始めることが出来たのです。
この本は出会ってからの二人の夫婦史でもあって、二人の生き生きとした若き頃から、子供を失って、子を持つ恐れからやがては寝室を別にする生活になっていくことも赤裸々に描かれています。だけど二人はおしどり夫婦を貫いた人たちでした。
この本を書かれた時の砂川さんは、既に一度のがんの手術をした後でしたが、彼の願いはただ一つ、彼女よりも長く生きることでした。
だけど大病を患った後なので、ちゃんと遺言なども考えていました。
考えていたけれど、やっぱり願いは一つだったのです。
ご存じの通り、その願いは叶いませんでした。
それでもきっと大山さんは、彼が残して行ってくれた「その後」の生活で守られているのではないかと信じています。
若い時から、「老い」を意識して、事あるごとに脳トレをしていたと言う大山さん。
このアルツハイマー型認知症・・・・
彼女の場合は脳梗塞が引き起こしたものだったと思いますが、この脳の病気は、老いが引き起こす老人性のボケとは違って、そんな脳トレも役には立たないのだなと震えました。
一刻も早く、この病気に対応するお薬が、一般人でも買えるようなお値段で普及することが出来ますようにと、心から願わずにはいられません。
そして強く思うことは、この最後の病気の姿を、その人の最終形態のように思ったり、そして見下したような発言をすることは決して許されないことじゃないかなと思うのです。ここまで生きたその人の煌めき輝いていた姿を、その人を想う時、その姿で思い出したいと思います。私の母にしても大山さんにしても。
それは「今」を否定しているわけではありません。でもその上で、今目の前にいる病気の人をいたわっていきたいと、私は思いました。
作者が亡くなっていて、大山さんは施設で暮らしていると思いますので、少し古い本かも知れません。
でも私は読んで良かったと思いました。