永禄8年5月、義輝は二条御所に三好の軍勢に押し入られ殺害されてしまいます。
ふと、永禄8年と言うのは西暦で言うとどの辺なのかと思い調べてみると、1565年なんですね。
えっ、ちょっと待って~ !?
と、私は思ってしまいました。なぜなら関ヶ原の戦いまでたった35年しかないのですよ。
この35年も含めたそれらの時代は、まさに激動の時代だったのですね。
もっと日本史を丁寧に学びたい衝動に駆られました。
その義輝の最後・・・・・
演出が「美しさ」に拘っていたように感じました。この役が向井理で良かったなと心から思ってしまいました。たった30歳。そりゃ、昔の平均寿命を考えたら、今とは同じ感覚ではないのは分かりますが、30歳なんかさぁ、今の時代で言ったら大人の振りを一所懸命にしている子供みたいなものじゃないの。可哀想に感じても良いよねって思ってしまうのです。
殺陣も凝っていましたよね。
そしてまた彼の教養が滲み出ていましたね^^
中国古代王朝の詩文、小旻(しょうびん)を唱え敵を迎い入れる義輝。
この詩をお読みになりたい方は、こちらのサイトで紹介されています。→こちらです。
そして今回のタイトルにもなっている覚慶が将軍の器であるか否か・・・・。
朝倉に問われると、言い淀みながらも、はっきり言っちゃうと無いと思うなみたいなことを言う光秀・・・・。
ちょっと朝倉はたじろいでいましたね。なんか予定が狂うと言う感じがしてしまいました。この人にはこの人なりの野心があったと言う事なのでしょうか。
この光秀の読みは、ある意味当たっていたように思うし、だけどその後の覚慶、つまり足利義昭のあれやこれやの頑張りを思うと、そうは思えないような気もします。
それに予告編に繰り返された「死にたくはない」と言うシーンはそこの部分だけ切り抜きされたもので、それを見ると武士の覚悟のない臆病な人に思えてもしまいますが、実はそうではなく、理不尽な死を嫌う当たり前の感覚を持つ人で、それを穏やかに魅力的に語る人だと言う印象さえ持てるのでした。
だけど戦を厭わず理不尽な死も恐れない、そんな人間こそが将軍の器を持っていると光秀は感じているのかもしれません。
どう転んでいくのか次週も楽しみですね。
そして私は今、関白の近衛前久が出てくるのが楽しみです。
その他のツボ:覚慶の幽閉場所からの脱出シーン。ちょっとドキドキしました。
また松永の所から覚慶の所に行って、将軍の器か見て来いと言う朝倉の手紙を読む松永。そこにその旅費は朝倉が持つと書いてあって、「そんな事は当たり前の事」だと松永が呟く所・・・・。
朝倉は細かいね(^_^;)