昨日、家にやってきたダスキンのお友達に、偉そうに
「私、今日、頑張ったんだ。」と言ったら、なにげに部屋の中を見回しているのが分かってしまった。そして彼女は言った。
「ああ、私も断捨離、頑張らなくちゃな。」
これは見回した部屋の中がすっきりと無駄なものが何もない状況になっていたからではない。いわば脳内連想ゲームでたどりついた言葉なのだ。
私の頑張ったと言う言葉→ちらりと見まわす部屋の状況→えっ、どこを頑張ったと言うのだと言う感想→あっちもこっちもごちゃごちゃしていて凄いわね。→うちといい勝負かな。どっちが凄いかな。→「ああ、私も断捨離、頑張らなくちゃ。」と言う言葉。
人間と言えども動物だ。言葉がなくともちゃんと心の中で思ったことは伝わってくるのだよ。
いやいや、それは誰もがそうだとは言えないに違いない。
だって私が頑張ったと言ったのは、モップを使ったお掃除であってお片付けではなかったのだから。
それでもちょっとむかついたので、
「私はこのような状況のお部屋が使いやすいわけで、これ以上やる気なんかないわ。あんまり綺麗に片付いているうちって居心地悪いし。」などとうそぶいた。
「うん、そうよね。」
などと妙な所で共鳴などを得たりして。
しかしそれは本当に嘘である。
片付けるに決まってる。
彼女が帰ってから部屋の中をぐるりと見回してみた。確かに生活はしやすいがかなりごちゃごちゃしていている。、だけどすっかり目も慣れてこの場所のお片付けは後回しにしていたように思う。
しかも最近の奥様ランチはファミレスが多くて、めったに人など来ないのも後回しにしていた理由だったかもしれない。
だけどリビングは、私と夫の生活空間でもあるわけで、今日からここからやるかな。
と言うわけでテレビボードの上に置いてあったものをまとめてみると・・・・・
なんか凄い量。
ここに置いてあった。↓
リビングは私の生活空間と書いたが、言うなれば私の部屋のようなもの。加えて仕事部屋。その割には趣味のものをしまうスペースがなくて、本当に使わなくなってしまったものはちゃんとしまうけれど、今、それで遊んでいるもの、読みかけの本、それらの一時置き場所になっていたわけ。
要するに迷子の場所の一時預かり所。
それらの迷子を片付けて・・・・
ちょっとすっきりしたかもね。
因みになんでみんな壁に掛けないのかと言うと、マンションは画鋲が刺さらない壁がある。釘なら良いかもしれないが、そういう壁の後ろには何が通っているのか分からないし、やたら釘などは打ちたくないので置くスタイルになっている。
絵は私の父が描いたものでの今では形見になってしまった。
花瓶に挿してあるチューリップは姑の作品で、姑は元気だから別に形見じゃないけれど、これもいつか…なんてろくでもない考えは止めておこう。
だけど、この花。
私がチューリップはいつもまともに芽が出ないと嘆いたらプレゼントしてくれたんだ。
リースは「春色リース」。
今日から箱から出して壁デビューさせようと思ったのに、画鋲が刺さらなくて挫折。でもマンションの壁だと一気に色褪せていくから、これはこれでも良いかなと思った。
秋の風景画と春の花たち。季節はばらばらだけれど、季節感よりも目がそこに向いた時に、ふっと心が温かくなるそんな場所になったかも。
このテレビボードの上は、ある時は仕事の書類のミニ棚が並んでいたり、ある時は夫のめだか水槽が並んでいたり、そして今はこれ〈しばらくは〉と、かなり便利に使ってる。
だけどいつだって変わらないのは、そこはもも吉の昼寝の場所の一つだと言うことだ。
帰って来た夫の感想。
「おお、広くなってもも吉、喜んだだろう。」
以上終わり。
続けて頑張ろうっと、お片付け。
と言うわけで、明日も良い日でありますように。