森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

相棒19 第9話「匿名」

2020-12-16 01:50:59 | ドラマ(相棒)

「笑う事しか取り柄がない。」

いや、それって、笑顔が素敵って事じゃないのかしら。笑顔が素敵って素敵な事よね。

まあ、それはともかく、何の取り柄もなく、自分は誰の役にも立たなくてダメな人間なのだと思い込んでいた智子にとって、美月と組んで人助けが出来た日々は、本当に心を輝かせる毎日だったと思いました。

この二人のやっていた事は、ある意味、押しかけではあったけれど、なんだか「白の仕事人」と言う感じがしました。もちろん、そんなキャラは、今までのドラマには登場せず、単なる私のイメージ。

だけどその美月が殺されてしまい事故扱いになってしまうと、「白」を脱却して、自ら裁いてしまった智子。いいえ、ちゃんと言うと、図らずもと言うところ。

だから彼らの罪を暴いた後は、自らも死を持って裁こうとしていたのですね。

あの大量に出ていたゴミは、身辺整理のためだったのかと思いました。

しかし明るくちょっと図々しくて、普通のおばちゃんぽかったのに、「特定厨」だったなんて。つか、そんな「特定厨」なんて言葉があったんですね。

なんか勉強になりますね。

今回何気に活躍していた青木の特定厨ぶりが、怖くて、そして面白かったです。

彼の発言を見ると、ピンポイントのお天気情報や、ご近所画像や、特定されやすい看板などを映してしまった画像もアウトですね。

まあ、なんだかんだと言って、今回はこのセリフに尽きると言う感じがしました。

「なんでも使い方次第。結局はそれに尽きます。SNSもトクメイも。」

 

智子のような人こそ、罪を償って、新しい人生を明るく過ごしてもらいたいと、思ってしまいました。

面白かったです。

次回は・・・・・って、もう今日ですね。(^_^;)

 

※ 今日はちょっと続けてドラマや映画の感想を書いていこうかなと思っています。

 


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麒麟がくる 第三十六回「訣別」

2020-12-14 01:02:21 | ドラマ (大河)

泣きながら光秀は義昭の元を去って行きました。

二人で理想の世界を作る事を夢見て語り合ったのは遠い昔。もう帰らないのです。

あんなに全力でお支えしようと思っていたのに、信長と戦うとあっては、その想いは叶わなくなってしまいました。

「力を持てば、貧しき民を救える。」と理想を語っていた義昭だったから、光秀も夢を見る事が出来たのだと思います。

出来もせぬ剣術を付け焼刃のように習い、家来たちが遠慮して勝たせてくれているとも知らず(または本当に弱いのか)、無謀にも光秀に手合わせを命じてきました。険しい顔で拒む光秀でしたが、楽し気に無理やりやらせて、全く歯が立たないとムキになっていた義昭には、本当に不安にさせるものがありましたね。光秀も変わっていく義昭に悲しいものを感じていたようでした。

光秀の剣は達人云々よりも、戦場で人を殺めて来た殺人剣なのです。それさえもその時の義昭には思う事もなかったのでしょうか。

このようなシーンを見る時、私も思うのです。

人から影響を受けたり学んだりすることは良い事だと思います。ただ人は己以外の武器を持ってはいけないなと。

私は私であり、私として生きていくと言う事は大切な事なのかも知れないと、強く思うシーンでもありました。

 

今はまだ描かれてはいませんでしたが、訣別はもう一つあったかも知れません。駒と義昭は、やはり夢を語り合って結ばれていました。貧しい人々を助けるための何かを作ると言っていましたよね。大きな構想の建物でした。少しずつやれば良いではないのかと、駒はセッセと義昭の所へお金を運んでいました。その二人の夢を叶えるために。だけどそのお金で鉄砲を買ってもいいかという文が届くのです。

ダメに決まりでしょ !

 

でも駒が許そうが嫌がろうが、どうせ買ってしまうのだろうと思います。この二人の事は次週以降に分かると思いますが、これで二人に別れが来るのかなと、感じてしまいました。

一方、光秀は坂本城に熙子を連れていきます。二人で天守から琵琶湖を眺め、水に浮かんでいるようだと語り合う姿は微笑ましかったです。城を最初に妻に見せたかったと言う光秀は、良い夫ですよね。

感想が時系列を遡っているような感じですが、信長の夢は、まさに正夢になりかかったような夢でしたね。

武田がとうとう上洛・・・・!

私はその時、「おんな城主直虎」で今川義元の母の寿桂尼が、武田信玄を取り殺すと言うエピが好きなので、思わず脳内リンクしてしまいました。

 

そして光秀はとうとう殿中に上がりますが、あれだけウヤウヤシク勿体つけられると、お声だけ聞いても、思わず「ははぁ~」って頭を垂れたくなるなぁと思いました。信長もその雰囲気に飲み込まれたのではないかしらと思ってしまいました。

なんたって成り上がりの田舎侍・・・・・ムニャムニャ・・・。

だけど次週のタイトルは、怪しい感じ。

楽しみですね。

 

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麒麟がくる 第三十五「義昭、まよいの中で」

2020-12-13 15:47:16 | ドラマ (大河)

「麒麟がくる」も1週間遅れで感想を書きます。

摂津は、自分のやろうとしたことが自分に跳ね返ってくる事を、微塵にも思わなかったのでしょうか。それほど自信があったのですね。

彼もまた、義昭また光秀を読み解く力を持っていない者であったと言えるでしょう。

敵であると思ったら、敵の正体を知り、意のままに操ろうと思ったら、その者の心を知っていくべきだったのだと思います。

摂津が光秀暗殺の場所に選んでしまったのは、「本国寺」でした。そこは3年前、信長の不在を狙って、三好三人衆が義昭を狙い、光秀は全力でそれを守ったのでした。

摂津の一派に狙われて、足に怪我をした光秀でしたが、命からがらに義昭の部屋に逃げ込み、そして訴えるのでした。

3年前に語った熱き想いを。

それに応えて、義昭も孤立している不安を語ります。それを聞いて、これからも全力で守ると言う光秀。

細かい所ではありましたが、この場所には、誰にも入り込めない二人の想いがあり、そしてその想いを一瞬で思い起こさせるのには十分だったのではないでしょうか。

光秀が、これを利用して訴えないわけはないのです。

そこから摂津は失敗していたのだと思います。

かくして彼は失脚していきました。

ざまあみろ・・・・・と、ちょっとだけ思いました。そう思わせるだけの怪演だった鶴ちゃん。

彼の栄華はちょっとした読み間違えで、崩れ去ってしまったのですね。

 

この回の義昭と駒のシーンは、セリフだけ覚えていって、ふたりのその場の自由演出だったそうですね。駒が大粒の涙を流すのも、義昭が自分の首を絞めるのも、その時の感情の流れのままだったそうです。凄かったですね。

だけど義昭の墨をすり、筆が上手く進まないと、その墨のせいにし、「ちゃんとすれ」と怒鳴る。すると駒は「嫌です !!!」と言い返す。そして二人は思っていることをぶつけ合い心を通わせるのでした。

だけどこの二人は、どんな関係なのかしら。イヤこんな事を思うのって、ゲスってやつかしら。だけどわざわざ呼びつけて、または定期訪問なのか、それでも墨をすらせる関係なのですよ。

「どのようなご関係 ?」とおばさんは聞きたくなっちゃうよなぁ。

 

と言うわけで、続きはもう今日ですね。楽しみです。

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相棒19 第8話「一夜の夢」

2020-12-13 07:40:38 | ドラマ(相棒)

※ 今シーズンも何気に全話の感想を書いているので、遅れている分から簡単ですが、書いておこうと思います。

 

私、子供の頃から二時間サスペンスを見過ぎてしまったせいか、お涙頂戴的なネチネチもしくはジトジトしたお話は嫌いです。温泉女将が頑張る話も、人情何とかが推理する話も、もうあまり見ません。最後の犯人への同情が大きすぎると言うか・・・・・。

だけど今回、時にはそのネチネチモードも必要だなと思えて来てしまったのでした。

 

宇野は、奪われた自分の本当の人生を取り戻したかったと言うような事を言いました。

私も、ひどい話だなと思いました。

もしもその時、彼が養子に行っていたならば、その会社の社長になり政治家の娘を妻に持ち、ゆくゆくはその政治家の後継者になるだろうと言う人生は自分の物だったと、彼が思うのも、分かるような気がするのです。

そしてその養子の話を止めてしまったのは、その殺してしまったかつての親友の

「行かないでくれよ。」という一言からだったのですから。

裏切られた気持ちがするのは当たり前ですし、会いに行けばけんもほろろ。

 

でもまあ、その男から見れば、後ろめたさもあっただろうし、何を言い出すかも分からないし、関わり合いたくない相手だったと思います。

だけどその時、そのかつての親友だった男が謝ったら、宇野は許したのでしょうか。そうとう怪しい事だと思いますが・・・。

 

そして宇野は、男を殺し妻になる政治家の娘を脅迫し、尚且つ娘の行いをその政治家に知らしめて、その政治家さえも言いなりにさせてしまうのです。

とうとう宇野は、自分が取り戻したかったものを手に入れたのでした。

だけど、彼は結婚式の時に屋上から式に集まった人たちを見下ろしていました。祝う気持ちなど一欠けらもない人たちの集まりです。そこにあるのは偽りだけ。

この時彼は何を思って見降ろしていたのでしょうか。

 

「自分の人生を取り戻す云々・・・。」と、宇野。

「その人生を選択した。その時点でそれは紛れもないあなたの本当に人生だったんですよ。」(いつもながらセリフは不正確です。)と、右京。

右京の簡潔すぎる正論。

宇野は、その言葉を否定はしませんでした。

ただこの時私は、

「××さんは、子供の時、お母さんの再婚相手とそりが合わず、それで養子に行ったのですよ。お母さんは××さんよりも新しい夫を選んだのです。彼には家に居場所がなかったんです。彼は親に捨てられたと思っていたかも知れませんよ。

それにあの人が死んでも、婚約者の奈穂美さんは一欠けらの涙さえ流しもせず、全く悲しんでもいませんでした。

だけどあなたのお母さんは、体も弱くひとりであなたを育てるのは大変だったはずなのに、ずっとあなたを見守り、あなたが警察に捕まった時には、『すまない』と言うような陳情書を書いたくらいなのですよ。またあなたには、ずっとツイてなかった人生を共に嘆いて、アリバイ工作までしてくれる女友達までいるじゃないですか。

あなたはその人生を選択したのです。紛れまないあなたの人生だったのでは ?」

とネチネチと言って貰いたかったです。

 

でもきっと、彼には十分すぎるほど分かっていたのですね。自分が手にしていたかも知れない人生の夢を見る。それは一夜の夢であり、そして彼は最初から、その夢の目覚め方を決めていたのかも知れません。彼にとって、その夢は華やかな夢のような夢ではなく、悪夢にすぎなかったのかも。

後味の悪い回でしたね。

しかし、捜一の皆さんの悪夢は始まりそう。(いや、実際には描かれないと思いますが。)だってあれ、減俸ものの失態ですよね。

 

と言うわけで、次の回の録画を見なくっちゃ♬

 

 

 

 

 

 


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―猫の楽園ー

2020-12-12 00:59:23 | 詩、小説


ぼんやりと池のほとりにたたずんでいた。ふと気が付くと、いつの間にか猫が傍らに座っていた。

「ねえ、教えて、ネコさん。あの茂みを抜けて、また抜けて、そしてまた抜けていくと、いつかは猫の楽園に行けるのかしら。」

猫は眉間に皺を寄せていった。

「失礼なやつだな、あんたは。物事は、まず何でも自分の方から打ち明けるのが礼儀ってもんだろう。まず、人間の楽園は何処にあるのか言うべきなんじゃないのかね。」

私はちょっと困った。それでも、少し考える振りをしてから言った。

「ごめんなさい。私、人間の楽園が何処にあるのか知らないの。」

すると猫は、少しホッとしたような顔をして、それからまた偉そうに言った。

「それじゃあ、教えてあげるわけにはいかないな。」

だけど、猫は今度は寂しそうな顔をして言った。

「実は、わたしもだね、『人間の楽園』を少しばかり探しているんだよ。昔、泣き虫だった女の子の面倒を何くれなく見ていたんだが、いつの間にかいなくなってしまった。泣いていた時には、その涙に濡れた指なんかを嘗めてあげたりしたのだが・・・
どうしていなくなってしまったのか、さっぱり分からない。
だけど、わたしはだね、時々思うのだよ。
あの女の子は、今頃はどうしているだろう。涙の時は誰が慰めてあげるのだろう。可哀相で可哀相でたまらなくなる。
だけど、そんな時、きっと女の子は楽園にいるに違いない。そして、涙なんかを友にしないで、毎日微笑んでいるに違いないと思うようにしているんだよ。だから行くことが出来るのならば、その楽園に行って、それを確かめてみたいものだと思っているというわけさ。」


 何かを言おうとして、口を開いたら、涙が不用意に出た。
「大丈夫ですよ。その子が楽園にいるかどうかは分からないけれど、涙の時はきっとあなたのことを思い出していますよ。そして、『ありがとう。』と言っていますよ。」と言って、傍らを見ると、いつの間にか猫はいなくなっていた。


黄昏前の、池のほとり。
いつの間にかいなくなってしまった猫達。ある日突然死んでしまった猫達。その魂も含めて、その者たちは猫の楽園にいるのだろうか。花咲き乱れる原っぱを駆け巡り、好きなだけ狭い茂みを抜けていく。ハンティングに乗じては、疲れ果てて眠りこける。風に揺れる猫じゃらしに戯れては、真っ青な空を見上げている。月夜の晩には、猫の集会に集まって、噂話に花を咲かせ、またたびパーティに踊り狂う。


―おいでよ、おいで。僕らの輪の中に
僕らは拒みはしないよ
自由な魂を持つ者は  猫の心を持つ者は
その姿なんかで 差別しない

同じ月の光の下で  どうして違いを見出せる

踊り狂え 朝が来るまで
日の光が登ったら  
それぞれのねぐらに帰って
それぞれの夢の続きを また見よう

自由な魂を持つ者  猫の心を持つ者
僕らは拒みはしない
踊れ  朝が来るまで―



行ってみたいな、そんな「猫の楽園」。 

だけど、そんな「猫の楽園」を見つけるには「人間の楽園」を見つけることが近道らしい。


餓えて死ぬ事などなくて、誰かに殺される悲しみに耐えることもなければ、誰かを殺さなくてはならない恐怖に恐れおののく必要もない。ただ、それだけの楽園。だけど、それさえも、人間は手に入れたとしてもそのことに気付かないで、自らの手で手放してしまう。

そうすると、いつか猫の楽園にたどり着き、ある日突然別れてしまった猫に「さよなら、幸せでいてね。」と言う一言を伝える事が出来る日は、出口の分からない茂みの中を抜けていくようなものかも知れないなどと、ふと思った。


いつの間にか、日の光は池の中にポシャンと落ちて、夕闇がやって来ていた。
 
             ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー     2007年8月17日に1度投稿したものですが、再掲載しました。              


 3日のもも

 4日のもも

ももは、12月10日に永眠しました。

今頃は見た事もない広い世界の野原を、苦痛の肉体を捨てて走り回っているかもしれません。

それともしばらくはそっと私の傍にいて、

「なんだか体がとっても軽くなったんですよ、ママ。」などと言っているのかもしれません。

 

だけどももちゃん、

ももちゃんは振り返らず誰をも待たずに、自由に猫の楽園に行ってね。

ママはおうちの中のどちらを向いても、ももちゃんを思い出して、今は泣いています。

だけどそれはそれだけ想い出があるから。

 

ももちゃん、ママはね、

涙の時はきっとももちゃんのことを思い出し、そして、『ありがとう。』と言うね。


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「どうしよう、どうしよう、どうしよう」と三回呟いてみた。

2020-12-04 01:20:07 | 梢は歌う(日記)

2020年の主婦の日常日記&備忘録。

「じっと、今を見てみる。」の続きです。

4人姉妹でlineのグループを作ってます。私にとって、もも吉の病気は大きな出来事だったので、その事を書き込みました。

みんな心配はしてくれたけれど、その時スノウさんがとんでもない事を病院で聞いて来て落ち込んでいることを知りました。スノウさんは乳癌、肺がん、脳腫瘍を患い、その後又腎臓にもがんが見つかり、この先ずっと抗がん剤を打っていくと言う治療の継続中なのです。薬が効いて、四つ目の癌が消えたとの事で、凄いなと思っていたのですが、スノウさんが聞いてしまったとんでもない事とは、「切らなくて良い癌を切った。」ということだったのです。

― 何、それ、どう云う事  ?

妹からの又聞きなので、何か誤解があってもいけないので、これ以上の事を書くのは差し控えようと思いますが、その後の気持ちのザワザワ感は収まりませんでした。

だけど、とても続けて猫の事を嘆く話は、し辛いような気がしました。

 

その数日後、姉の蝶子さんが新しく買った電動自転車に乗っていて、変な段差のある坂でうっかり転びそうになり、その時体をひねったのが原因で圧迫骨折でまた腰を痛めて、しばらく安静状態になってしまったのでした。

もちろんみんなは驚きました。

だけどその時、スノウさんが、フラフラが取れなくてずっと起き上がれない状態が続いているということが分かったのです。

抗がん剤を打っている時、いつ調子が悪くなっていつそれが収まるのか、だいたいそのリズムが分かってくるようになるのだそうです。でも今回は、それが関係なくずっと続いていたのでした。

「もう、私は寝たきりになってしまうのかしら。」みたいな事を言って嘆くスノウさん。

 

なんだかみんな吹き飛んでしまいました。

生きとし生ける者の死亡率は100%。命ある小さき者を我が家に向かい入れた時から、その避けられぬ運命は決まっていたのです。

猫の嘆きを語れるような雰囲気でもなく、そして更には、骨折すら寝ていれば治るよねと言うような気持ちにさえなってしまいました。

スノウさんの問題は、それほど私たちを憂鬱にさせるものだったからです。

「寝たきり」を嘆いているけれど、「寝たきり」で済む話なのかしら・・・・・。

 

この時私は湯船に深く浸かりながら、思わず「どうしよう」と言う言葉を繰り返し呟いてしまいました。

時には「ケセラセラ」と言う言葉が私を救い、またある時には「大丈夫 !!」と言う言葉に励まされ支えられたりします。ある意味、魔法の言葉だと思います。だけど今はそれらが魔法の言葉にはならないような気がしました。

「どうしよう」と言う言葉は、無策の嘆きの言葉に聞こえます。事実、私は嘆いてその言葉を繰り返したのです。

だけど言葉は不思議です。その「どうしようか」に自分自身のアンサーが見えてきたりするような気がしたのでした。

 

私たちは姉妹でlineのビデオ電話を使って集会をしています。

12月3日水曜日、

その時、スノウさんが明るい声で出て来て、先日の不調の原因を語りました。抗がん剤の点滴の液漏れによるものだったらしいのです。点滴の針が外れて液が体内の血管以外に漏れてしまう経験は私にもあります。そこの部分がパンパンに腫れ上がってしまうのですよね。その洩れた液が、抗がん剤だったから大変な事になったらしいです。

その事情を知ったのと、スノウさんの声が明るかったので、私たちは皆心の底からホッとしました。

「じゃあ、そのホッとしたところで、もっと蝶子さんの事も心配しよう。」と私は言いました。で、みんなでカルシウムをいかに取るのかという話題になって盛り上がりました。

そして更に

「じゃあ、ついでで良いのでうちの猫ちゃんの嘆きも聞いてもらっていいですかね。」と言いました。

本当は一番下の妹に

「名都さんは、何かある ?」と聞くべきなのでしょうが、また更に一つ心配事が増えたら嫌なので、敢えて聞きませんでした。

ごめんね、名都さん・・・・^^

 

今姉妹でことごとく盛り上がっている話は、来年行こうと思っている旅行の件です。

もちろん、こんな状況ですから「今」ではありません。

場所さえ決まっていません。

だけど、「みんなで温泉に行く」と言う、今までさんざんやって来た当たり前の事が、コロナ禍や病気などで当たり前ではなくなってしまった今では、その当たり前を取り戻す夢を見る事が、私たちの希望であって、私が自分に問いかけたアンサーのような気がします。

 

ももちゃんのお話は、また今度聞いてくださいね。

 

 

 

 


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じっと、今を見てみる。

2020-12-03 00:58:24 | 梢は歌う(日記)

2020年も、とうとう12月というラスト月になってしまいました。

この一年は世界にとって大変な一年だったと思います。そしてその「大変」は継続中。

その世界と言う大河の中の一滴でしかない私ですが、その一滴の私にとっての2020年はどんな年だったのかと、備忘録として書いていこうかなと思っています。だけど個人の生活の記録なので、難しいお話は無しです^^

ちょっと仕事場でのお話です。(子供の勉強のお手伝いをしています。)

数学の成績を上げて行こうと思ったら、「速い・正確」は大事なポイントです。虚空を見るようにして、なかなか途中式を書き始めない子供はほとんど伸びません。一番最初の一行を省こうとするから、そう言う表情になりのろさに繋がってしまうのです。

ある少年に、私は言いました。

「自分に合った計算をしていく事は大切で、『暗算最高』なんて思わなくて良いから、紙に計算させなさい。」

そしてまた、

「自分のレベルと言うのを、ちゃんと見て知ると言う事は大切な事で、そのレベルが今の段階で低くても『ダメだ。』と言うわけじゃないんだよ。『よし ! ここからだ。』と思う。そこが大事なんだよ。」と言いました。

時に、人に放った言葉が自分に返ってくる時があります。

ちゃんと今の自分を見て、「よし、ここからだ。」と思う。やっぱり大切な事だと思います。

 

そして私は今の自分を見てみます。

それはなんだか「チョー最低ってな感じ」です。

この「最低」と言う言葉を見ると、2006年のこのブログを始めたばかりの記事を思い出してしまいます。

ブログ生活3日目、「最低からの出発」と言う記事。

その頃の仕事はすこぶる順調で、それゆえに忙しく、その多忙さから家の中はどんどん汚れていったようです。

そしてまた自慢だった柴犬のココちゃんの不調と家電の諸々の不安が書き連ねてありました。

その記事を書いたのは、きっと今の私と同じような感覚でいたからだと思います。

 

だけどその頃と比べても、今の私はもっと下。いや、ずっと下だったと言う意味ではありませんよ。

14年も経ったのに、ピンポイントで「今」を取りだして見てみるとと言う意味です。

仕事云々は、収入にはなりませんが現状維持でも良いような気もします。もう体力がないからです。

そう。今の私はずっと治らない持病持ち。でもそれはその時と比べて歳を重ねているわけですから仕方がないと言うところなんです。2011年からずっと病気。歯が抜けたりシニアグラスがないと生活が出来なかったり、ああ、それはそれで悲しいな。そして今、膝に難あり。←今ここ。

もう3か月、毎日病院から処方されたシップを貼ってます。(の、割には日光に行ったり、大平山に行ったり・・・(^_^;))

 

そして今我が家のテレビは故障中。このテレビ、大河ドラマの「風林火山」の初回がちゃんと見る事が出来なかった思い出があるので、その頃に買い換えたものなんですね。じゃあ、13年も経っているのかと、しみじみと思います。ちょっと買いに行ってる時間がないので、放置中。

ネットのサイトで映画やドラマを見る機会も増え、

「壊れた !!!」→「即、買いに走る !」なんて事はない時代になったのかも。

でも我が家はWOWOWで映画を見たりお芝居を観たりするので、またNと言う公共放送にも高すぎる例のアレを払っているので、テレビは買いますが。

 

そしてそしてそして・・・・・

今一番の気が重い出来事は、もも吉、病気です。

2020年、8月30日で10歳になりました。もう10歳です。でもまだ10歳です。

この10年、病気知らず。いきなり来てしまいました。

明日・・・というか、もう今日でしたが、検査の結果を夫殿と二人で聞いてきます。

だけど今大変なのは我が家だけじゃなかったのです。

という話を、明日書きたいと思います。

「相棒」の感想は、そんなわけでちょっと遅れます。

 

 

 

 

 

 

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麒麟がくる 第三十四回「焼討ちの代償」

2020-12-01 00:17:05 | ドラマ (大河)

つい先日、朝ドラが最終回を迎えて「『エール』にエール」と言う記事を書いたのですが、たくさんの方に(私的には)、「応援」も押していただきました。m(__)m

すると、

「エールにエールにエール」だわって、どうしても言いたくなってしまう私。そしてひとりクスリと笑っています。

ええっ ?

別に面白くないって・・・・?

まあ、そうかも知れないのですが、そこのところが、既にオバさん道まっしぐらと言うところなのかも知れませんね。

などと、関係のない話から始めてすみません。

でもそんな軽い話をして中和したくなるような、今回の「焼討ちの代償」だったような気がしてしまったのです。

 

なんだか私、駒がいて運び込まれたけが人を手当てしていた二条城に、あの転売ヤーの少年が運び込まれてきて、「良かった、生きていたのね。」と言う展開になるのかと思ってしまいました。

でもそれは、そんな甘っちょろい考えは通用しませんでした。

彼は駒に

「十四歳の子が八文残して死んでいくのが戦」と言わせるために登場してきたのだと思えて悲しくなりました。

が、そんな事を思いながら、「八文じゃなくて六文だったら良かったのに。」などと不埒な事を考えてしまう私。

そんなところがやっぱりおばさん道を・・・・・

いや、やっぱりそうじゃなくて、人は皆そうは単純なものではないって事ですよね。

これはドラマでありながら、その単純ではないと言う話が絡み合っていて、思わず疲れを感じてしまいました。

松永のオジサンが、領地をくれるなどと言った明智の心に免じて、いったんは兵を引くと言ってくれて、思わず、その単純な展開にホッとしてしまったのでした。

ところがその経過の報告を聞いて、信長は「良かった。これで松永と戦わずに済んだ。」などと言うので、光秀は思わず、「信長さまは、松永殿と戦うおつもりでいたのですか?」と聞く始末。きっと光秀は心の中で

「えー、えー、えー ???」と叫んでいたのではないかしら。

 

ここまでも、この記事は「思わず」と言う言葉の大安売りですね(^_^;)

 

だけど信長が、将軍はトンチンカンで(そんな風には言っていませんが)合わないけれど、帝は褒めてくれたから好き♡♡みたいな事を言って、またわけも分からず今までとは違う信長を私たちに見せてくれた一方で、その帝は信長の事を、

「褒めて欲しそうだった。褒めてヤッタ。」と、お上品な魑魅魍魎の片りんを見せて、私はやっぱり思わず驚いて疲れを感じてしまったのでした。

しかし「疲れた」などと言いながら、それをかなり楽しんでいるのだと思います。

 

夫が

「駒は出過ぎってみんな怒ってるよな。」と言いました。

いや、別に怒ってなどはいないと思うのですが、確かに出過ぎのような・・・・

でも考えてみたら、彼女が「ヒロイン」なのですよね。ヒロインなんだから出過ぎていてもいいのではないのかしら。

親切で優しいだけの駒ちゃん。だから丸薬の作り方を教えてもらって、そしてなんだかんだと言って、今では立派な薬の商いの女商人。

「宗久の所に立ち寄ってお茶など・・・」と光秀が筒井順慶を誘うと、「駒殿も来るのなら」なんて言わせちゃう・・・・。

本当に、駒は何処まで行くのでしょう。最近毎度言ってることの繰り返しですが、この実在しないこの人の過去の未来だけは、全く見えなくて、ある意味楽しみです。

 

比叡山焼き討ちに至る道には、かなりの説得力があったものの、そのやり方にはかばいきれるものもなく、なぜ信長はそんなやり方をしてしまったのだろうかと、双六の振出しに戻る的な事を考えてしまいます。

だけど考えてみると、なんだか染谷信長のチャーミングさに隠されてしまっていましたが、彼は生母にも眉間に皺を寄せさせる破壊神のような部分を持ち合わせていた者だったのでしたね。

そしてこの戦いは、光秀と信長の間に微かな亀裂を感じさせるものがあったと思いました。

やっぱりここが「終わりの始まり」っていう所だったのでしょうか。

 

と言うわけで、次回も楽しみです。

だけど次回は、感想はちょっと遅れます。

 

 


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