・「スナック「若草物語」」の続きです。
2012年に亡くなった父は、たぶん「奇跡の人」になりたかったのだと思う。
治療終了を宣告されて、さりげなく遠く余命宣告されても、担当医の先生に
「生きている限り、先生に年賀状を書きますね。」と言った父。それは心の奥底で普通とは違う自分を信じていたのだと思う。担当医が、だいたい一年持たないと思っても、自分は二年生きて、そして三年も生きようと信じていたのだと思う。
だけど父は、その担当医の予想通りの余命を生きて、年賀状は一通しか送れずにこの世界から別の世界に移っていった。ただ彼は、その後ちゃんと自分の死を見つめて残りの命をきちんと全うしたのだった。
だが妹は父とは違う。
まだ十分に生きたとは言えないと思う。
私はやはり思う。治療する手段があるうちは、決して諦めてはいけない。そしてもしも、もう治療終了と言われたとしても、その時は、強い意思で父が成れなかった「奇跡の人」になってくれればいいじゃない。
※ ※
入院中でも姉妹ラインが出来るなんて、良い時代だと思う。
私はスノウさんに言う。
「あのさ、やっぱり四人姉妹だからって、これからは『若草物語』を連想するのは止めよう。だってあれだと、どうも三女はあまり良い事ないじゃないの。
だからさ、これからは『奇跡の人』でいこう。」
だけどスノウさんは
「やだわ、花子さん。だってあれは三重苦の人の話なのよ。」
だから私は言った。
「何を言ってるのよ。今時はタイトルだけパクって別の話って言うのが流行りなのよ。」
細かい事を言えば、「今時は」で無くて、ちょっと前か。
まあ、そんな事はどうでも良いじゃない。
昨日、また情報が入って来て、どうも負担が大きすぎるので抗がん剤治療はやらない事が分かった。放射線治療が15回あるらしい。
「奇跡の人」になる。それも妄想か。
だけどそう信じる事が、一番大事な事なんだと思う、今だ。