森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

麒麟がくる 第三十七回「信長公と蘭奢待」

2020-12-21 10:32:39 | ドラマ (大河)

※トップ画像は、記事にはまったく関係はありません。晩秋の京都の画像です。

いくつもの見どころがあって、今回も中身が濃かったですね。とても45分間のドラマには思えません。

別の言い方で言えば、ぎゅうぎゅうと詰め込まれたと言うところなのかも知れませんが、セリフと演出に工夫がされているので、なんだかそれも良しと思えてしまうのですよね。

またも流れに沿わずに、思いついたまま感想を書くと、やはりタイトルの「蘭奢待」についてかなと思います。

あの「蘭奢待」を信長が削るシーンは、なんだか良いものを見せてくれたような、そんな気持ちになりました。このドラマの後、ウィキで見てみると、あのドラマ内の蘭奢待は、かなり本物に近いレプリカだったことが分かりました。→ここ

「蘭奢待」は毎年秋に行われている「正倉院展」にも、10年ぐらいの周期で展示されているそうですよ。

えっ、待って~。

今年、展示されていたら当分は見られないのかしらと、今調べてみたら、今年はセーフでした。ほっ。

あっ、待って~。

そう言えば2019年、東京国立博物館で「正倉院の世界」展をやっていたのでした。一緒に行こうとお誘いしようとしていた人が台風被害にあっていたので、何気に行きそびれた事を思い出しました。毎年の奈良での美術展ではないので、これはどうだったのかと検索してみたら、やっぱりありましたね~。(/_;)

博物館のブログに、その展示の様子が載っていました。それを前にしている人がカメラを向けているので、撮影もOKだったのですね。行けば良かったと今更後悔しても仕方がありませんね。

興味のある方は→こちらです。

しかしいつか見てみたいと思いましたが、本当の「蘭奢待」の素晴しさは、見る事が出来ても仕方がない事なのですよね。なぜなら、それは熱を加えて初めて香るものらしいですから。

ふと・・・・(バカバカしいな。高価なもの、貴重な物とありたがっても、その本質の素晴らしさは封印されているようなものなんだから。)と思ってしまい、これを書きながら数分前には盛り上がっていた熱がいきなり覚める・・・・・・B型人間なもので。

で、我らが信長は、これを手に入れた後、どうしたのかが気になって、またも検索。もちろん半分は帝に献上して嫌われ(ドラマの中では。)、その半分は、お茶会で炊いたり、宗久にプレゼントしたりと豪快に使ったそうです。それでこそ信長ちゃんですね。正しい使い方ですよ。帝になんかあげなきゃ良かったのにね。

 

帝はなぜ不快に感じていたのかと言うところですが、基本、正倉院の持ち物は帝の持ち物なんですよね。自分が許可して倉に閉まってあったものをあげたのに、それを「半分あげるね。」と言われてもですね・・・!

それに自分が半分で、帝が半分。

まるで対等。

絶対に帝には許しがたい部分ではなかったのかと思いました。

 

あっ、そうそう。ウィキでも知ったのですが、HPの解説にもありましたね。

「蘭奢待」の文字の中には「東大寺」が隠れていると。こういう遊び心(?)は、やっぱり大好きです。

 

「蘭奢待」の事で、こんなに長々と書いてしまいました。

 

でもだからと言って、朝倉義景の最後をスルーするわけにはいきません。

好きでした !

この朝倉義景が。

前にも書いたことですが、光秀が違和感を感じるほど、街は物が溢れ賑わっていたのでした。武器を作る鍛冶屋はやっていけないと田畑に帰っていました。館では朝倉が蹴鞠をしたり、また文化を高めたりしていました。飄々としていて食えぬ感じでしたが、光秀が京へ行ってる間は、ある意味の人質であったかも知れませんが、ちゃんと金子を渡して妻子の面倒を見ていました。

そして子煩悩で親バカであることを隠していませんでした。(あっ、思わず涙が(/_;))

「お主ら、誰に筒先を向けておる?」と、最後まで誇り高く義景は散っていきました。

 

武田信玄は、「早く生まれ過ぎた男」と言われているのでしょう?

要するに、天下取りには早く生まれ過ぎていて、寿命が足りなかったということだと思います。だけどその信玄が居なくなって、側面の憂いを考えなくて良くなったがゆえに、信長は動き、浅井・朝倉は滅んでいったようなものですね。その前に援軍が来なくて、足利も消えて行ったようなものですが。

(素足の義昭、悲しかったですね。)

いろいろ考えると、朝倉もこの戦国には似合わない男だったのかも知れません。

そして、やっぱ、ユースケ・サンタマリアは好きだなと、私は思いました。←最終結論^^

巷では、

ナレ死ならぬ、エヴァンゲリオン的終息と言われたとか^^

新しい手法かと。

景鏡のあっかんべぇは、裏切りが一目瞭然でしたね。インパクト大。やはりこの為に手塚とおるさんはこの役だったのですよ。

これも以前書いたことですが、彼はこの一年後に一向宗と戦って、自分の子供もろとも死んでいきます。諸々の裏切りの報いと言うのもあるかもしれませんが、何よりも「お経を唱える者とは戦わぬことだ。」と言う義景の薫陶が生きてなかったということでしょうね。

朝倉の一乗谷は

「武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に指定されています。 」←ここから

なんですって。

もう絶対に行きたーい !!!

 

もうここまででも長々と書いてしまったので、もう止めようと思います。

三淵藤英と細川藤孝の別れのシーン、坂本城での光秀と藤英とのシーン、駒と義昭のシーン、皆良かったです。ついでに菊丸も(^_^;)

「政を行うには時の流れを見るのが肝要だと。」気が付いたと言う藤孝の発言には、気持ちがざわつきました。また駒の「では、将軍をおやめください。」にも切ない気持ちになりました。

切ないと言えば、頂に上ったと思っているかのような信長と、まだ山の中腹だと思っている光秀の、この思いの違いが今後どう出るのかが、これからの見どころなのかも知れませんね。

 

次回も楽しみです。

 

コメント (6)
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