住吉神社例大祭、終りました。
天気に恵まれ、晴れ。昨日も終盤、雷が空で光ってはいましたが、
雨に降られることなく無事終了。
ちなみに、明けた翌日の今日は、雨。
街が、一つになり、御神輿を担ぎました。
その街の力は、ものすごいものを感じました。
逆に、行政の地域の枠や、行政ができている地域創りのあり方を、
それはそれで必要で、比較はできないのだけど、考えさせられました。
ここまで、地域の力を高められるかどうかと。。。
行政が、しなくてはならないことは、
この地域を守っていくこと。
安易な再開発を、地域の合意形成なしに、いれてしまうと、簡単に、
人の絆が引き裂かれてしまうことになると思います。
このすばらしい伝統ある地域を絶対に守らねばなりません。
御神輿は、老若男女いっしょになり、担ぎます。
町会、自治会、商店街、企業がいっしょになって担ぎます。
彼等は、御神輿の休憩所をつくり、担ぎ手を慰労して下さいます。
その時に、日頃はわからない、
そこで住んでいたり、
働く人たちの素顔が垣間見れます。
御神輿は、町会ごとにあり、いい意味の競争と協力があります。
八角神輿を、町会から次の町会に手渡す、厳かな儀式があり、
協力しあいます。
お互いの街の神輿を、どちらが威勢よく担いでいるか競い合います。
たまたま、清澄通り交差点真ん中で、
うちの町会神輿と隣りの町会神輿が出くわしました。
お互い前へ前へと、威勢よく担いで行き道を譲らずに、
お互いの担ぎを見せ合いました。
いい担ぎ手が集まるには、
いい人材を育成しなくてはという町会同志の、
いい意味の競争が生まれるのだと思います。
御神輿は、大勢で担いでいますが、そのひとりひとりが、とても大切です。
疲れた個人は、抜けます。抜けても誰かが入り補います。
日本の社会の縮図のようなものです。
その個人ひとりひとり、思いをもって担いでいます。
店の繁盛を祈って担いでいる人、
亡くなられた親族の元気な姿を思い起こしながら、担いでいる人、
私も、これしきの御輿を担ぎきれないで、
東京都とは戦えないとの思いで、最後まで担ぎきりました。
月島の街がとてもとても広く感じました。
終着地に到着しても、そこで、御御輿は前後します。
これがまたきつい、しかし、皆最後の力を振り絞り担ぎきるのです。
最後、手だけで、お御輿を掲げて終了。
先頭の高台に、拍子木をもって御輿の位置を指示する役員がいます。
その指示が、早く終わりの指示にたどり着かないかと、
半ば願いながら、半ばもっともっと担ぎたいが名残惜しみながら、
力を振り絞ります。
飛行機が目的地に到着し、停止位置へ最終誘導をかける人も、
拍子木ならぬ誘導灯をもっていますが、
おそらくしばらくの間、拍子木に見えるのではないかと、
そこまで目に焼きついています。
御神輿の担ぐコツは、
だれに教わったわけでもないですが、おそらく、
ランニングと一緒。
頭、胸、腹、腰のラインが、一直線であることだと思います。
背筋を伸ばすこと。
三日目の昼一番の御輿は、午前中八角神輿を送り出した後で、
人の集まりがわるく、本当に重く感じました。
理想がいってられず、背を丸めて、肩にのせて、へなへなでした。
それが逆に、力が出ず、重くさせるという悪循環。
御輿の重心が低くなり、背を伸ばせないのだから仕方ないが、
いやーあれは、重かった。
同じ地域というけど、
顔を知らない同士が、
肌と肌をぶつけあい、
力を合わせて、担ぎました。
担ぎ終えて、
お陰で担ぎきれたと、周りの人や、
睦の人にお礼をいい、
充実感に浸りました。
いつの間にか、一体感が生まれ、
三年後にも、お互い元気で、
担ぐことを誓い合いました。
道には、たむろしている中学生の集団。
お疲れ様と声をかけました。
きっと、彼等は、地域を思い、まっすぐに育ってくれるはず。
三年に一度は、地域にもどり、
たとえ、地元をはなれても、この年は、帰ってくるでしょう。
診療しながらでしたので、
すべてに参加できたわけではありませんでしたが、
学び感じることの多いお祭りでした。
この街には、確かに地域の力が息づいています。
祭りを終えた、合言葉は、三年後に会いましょう。
町会・自治会の皆様、睦の皆様、
企業、商店、地域の皆様、
警備の警察官の皆様、
本当にお疲れ様でございました。
ありがとうございました。
天気に恵まれ、晴れ。昨日も終盤、雷が空で光ってはいましたが、
雨に降られることなく無事終了。
ちなみに、明けた翌日の今日は、雨。
街が、一つになり、御神輿を担ぎました。
その街の力は、ものすごいものを感じました。
逆に、行政の地域の枠や、行政ができている地域創りのあり方を、
それはそれで必要で、比較はできないのだけど、考えさせられました。
ここまで、地域の力を高められるかどうかと。。。
行政が、しなくてはならないことは、
この地域を守っていくこと。
安易な再開発を、地域の合意形成なしに、いれてしまうと、簡単に、
人の絆が引き裂かれてしまうことになると思います。
このすばらしい伝統ある地域を絶対に守らねばなりません。
御神輿は、老若男女いっしょになり、担ぎます。
町会、自治会、商店街、企業がいっしょになって担ぎます。
彼等は、御神輿の休憩所をつくり、担ぎ手を慰労して下さいます。
その時に、日頃はわからない、
そこで住んでいたり、
働く人たちの素顔が垣間見れます。
御神輿は、町会ごとにあり、いい意味の競争と協力があります。
八角神輿を、町会から次の町会に手渡す、厳かな儀式があり、
協力しあいます。
お互いの街の神輿を、どちらが威勢よく担いでいるか競い合います。
たまたま、清澄通り交差点真ん中で、
うちの町会神輿と隣りの町会神輿が出くわしました。
お互い前へ前へと、威勢よく担いで行き道を譲らずに、
お互いの担ぎを見せ合いました。
いい担ぎ手が集まるには、
いい人材を育成しなくてはという町会同志の、
いい意味の競争が生まれるのだと思います。
御神輿は、大勢で担いでいますが、そのひとりひとりが、とても大切です。
疲れた個人は、抜けます。抜けても誰かが入り補います。
日本の社会の縮図のようなものです。
その個人ひとりひとり、思いをもって担いでいます。
店の繁盛を祈って担いでいる人、
亡くなられた親族の元気な姿を思い起こしながら、担いでいる人、
私も、これしきの御輿を担ぎきれないで、
東京都とは戦えないとの思いで、最後まで担ぎきりました。
月島の街がとてもとても広く感じました。
終着地に到着しても、そこで、御御輿は前後します。
これがまたきつい、しかし、皆最後の力を振り絞り担ぎきるのです。
最後、手だけで、お御輿を掲げて終了。
先頭の高台に、拍子木をもって御輿の位置を指示する役員がいます。
その指示が、早く終わりの指示にたどり着かないかと、
半ば願いながら、半ばもっともっと担ぎたいが名残惜しみながら、
力を振り絞ります。
飛行機が目的地に到着し、停止位置へ最終誘導をかける人も、
拍子木ならぬ誘導灯をもっていますが、
おそらくしばらくの間、拍子木に見えるのではないかと、
そこまで目に焼きついています。
御神輿の担ぐコツは、
だれに教わったわけでもないですが、おそらく、
ランニングと一緒。
頭、胸、腹、腰のラインが、一直線であることだと思います。
背筋を伸ばすこと。
三日目の昼一番の御輿は、午前中八角神輿を送り出した後で、
人の集まりがわるく、本当に重く感じました。
理想がいってられず、背を丸めて、肩にのせて、へなへなでした。
それが逆に、力が出ず、重くさせるという悪循環。
御輿の重心が低くなり、背を伸ばせないのだから仕方ないが、
いやーあれは、重かった。
同じ地域というけど、
顔を知らない同士が、
肌と肌をぶつけあい、
力を合わせて、担ぎました。
担ぎ終えて、
お陰で担ぎきれたと、周りの人や、
睦の人にお礼をいい、
充実感に浸りました。
いつの間にか、一体感が生まれ、
三年後にも、お互い元気で、
担ぐことを誓い合いました。
道には、たむろしている中学生の集団。
お疲れ様と声をかけました。
きっと、彼等は、地域を思い、まっすぐに育ってくれるはず。
三年に一度は、地域にもどり、
たとえ、地元をはなれても、この年は、帰ってくるでしょう。
診療しながらでしたので、
すべてに参加できたわけではありませんでしたが、
学び感じることの多いお祭りでした。
この街には、確かに地域の力が息づいています。
祭りを終えた、合言葉は、三年後に会いましょう。
町会・自治会の皆様、睦の皆様、
企業、商店、地域の皆様、
警備の警察官の皆様、
本当にお疲れ様でございました。
ありがとうございました。