「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

わんぱくKIDS と 宇佐美

2008-08-09 23:10:38 | 教育
観覧車に乗ったとき、一番楽しみなのは、一番“てっぺん”にきたとき。
八月を観覧車にたとえるなら、
“てっぺん”は、わんぱくKIDSに参加するときとなると思う。

一番怪我の多い海辺の行事が、今日8/9の土曜日に当たり、
医療支援の協力のために、宇佐美に駆けつけた。
「どうしても、この日。かつ、朝一番から。」という
実行委員長からの熱いメッセージに、
応えざるを得なかった。


午前八時半過ぎ、宇佐美の海岸に立つ。
子ども達が、9時ごろやってきた。
海に入り出したとたん、
怪我の子が、どっと詰め掛けた。
しばらくして、子ども達も学習したようで、
その後は、ポツリ、ポツリと。
写真は、宇佐美の海と出会ったところの子ども達。

昼前には、新たな症状として頭痛の小6の子。唇が白い。
経口補水液をとりながら、経過をみる。
確かにあまりおいしいとはいえないシロモノであることは、
こちらもわかっている。
子どもは、うまく表現する。
「グレープフルーツジュースをドレッシングで割ったよう。」と。
とはいいながらも、小6生は、頑張って水分補給した。
そうこうしているうちに、唇の色がもどり、
元気が出てきた模様。
と、新たに頭痛で、気持ちの悪い子が連れられて登場。
経口補水液を取ってもらおうとするも、
今度は、まずいものは、進まない。
そうすると、先程、復活した小6の子が、
「飲んだ気持ちがわかる
私がうまく飲ましてあげる」と言い、
交代して、経口補水液を持ち、小3の子に
優しく飲むように語り掛けたところ、
果たして、うまく飲んでくれた。
二人とも休んでいるうちに、元気に復活。
子どもたちの助け合いが自然に出るのが、
わんぱくKIDSのよいところだ。

午前9時から、午後2時過ぎまで、
子どもたちは、存分に海を楽しんだよう。

午後3時過ぎ宇佐美学園に無事帰りつく。
大広間で、座っていると、
「怪我をした」、「とげが刺さった」、
「クラゲ?にさされた」、「鼻が痛い」などなど、
行列のできるなんちゃらという感じで、次から次と、
また、子ども達。
おまけに、怪我がないのだけど、
いろいろ話しかけてくる子がいて、
優しい養護の先生にはなれないけど、
保健室機能の役割も。

夕食時、
子どもたちが、キャベツにたらふくソースをかける子が、
多いのに驚いた。
現代の子は、こんなに味が濃くなければならない舌なのだろうか?
なかには、刻んだキャベツを一本ずつ、箸で口に運ぶ子も。
だれも、家庭のように強要しないのだけど、
苦手なものに、けなげにチャレンジする子どもの努力に、
わんぱくKIDSの自立をはぐくむひとつのきっかけを見た。
配膳、かたづけが、誰が支持を出すでもなく、
班で手分けして、スムーズにできていた。

夕食後、
さらにまた、頭痛の子が現れた。
一人は、横になっているうちに、すぐに寝入った。
もう一人は、横になっていると、一度はよくなり、
夜のレクチャーでは、講師の先生が出した難しい問題を、
はきはきと回答を述べるほど、元気に回復。
しかし、再度、痛みが増強。
駆けつけたときには、すやすや寝入っていたので、
そのまま、経過をみることに。

夕食後に、宇佐美という土地の歴史のレクチャーがあった。
小さい子は小学校3年生からであるのに、
皆、熱心に話を聞いていた。
講師の先生がおっしゃっていたが、
かつて小学校のときに、
宇佐美で有名な、
江戸城の石垣のための石丁場の話を聞いた子が、
大学では、歴史学を専攻し、
卒業論文のテーマにその石丁場を選んだという。
宇佐美学園のある子は、
切り取られた石に彫られる印の家紋で、
今までになかったものを発見したという。
目を輝かせながら、
熱心に聞き入る子どもたちを見たとき、
今日の講義のきっかけが、
本当に将来につながる可能性を感じずにはいられなかった。

わんぱくKIDSは、来年で10年を迎える。
いまでは、参加の枠も、狭き門に。
200名ほどの応募に、95名ほどが抽選で幸運を手にする。
運営側は、さまざまな企画をとりいれようと、
果敢にチャレンジしている。
充実した企画が、てんこもり。
地域にも着実に根ざしており、
小学生のときに参加した子が、
中学生になって、今度は、ボランティアとして
参加することが、来年から始まった。
現代の子どもたちが、体験することの少なくなった
「斜めの関係」
すなわち、
子どもたちの健やかな成長を願う
地域の目としての近所のおじさん、おばさん、
おにいさん、おねえさんとの関係が、
自然のこととして、わんぱくKIDSにはある。
中学生ボランティアは、もちろん、
欠かすことのできない存在としての、
班のリーダー役の大学生ボランティアとの時間が、
小学生の子ども達にはとっても、新鮮で、
うれしくって、楽しいようで、
自由時間は、いろんな遊びに興じていたし、
また大学生も児童関連のサークル所属であることもあるが、
うまく溶け込んでいた。

運営をサポートする青年会議所のメンバーには、
いつも感謝したい。
40歳で卒業する青年会議所、
卒業した自分にも、
わんぱくKIDSに医療支援として
かかわることの声賭けをしてくれることに。

去年もそうであったが、
体が二つほしかった。
後ろ髪をひかれながら、
とんぼ返りで東京へもどった。
こんな日に限って、
夜中の小児救急医療協力が入っているのだから。
とは言っても、
先週の住吉神社の御神輿にぶつからなくて、
ほんとよかった。。。
間一髪、
選べない選択をしなくてはならないところだった。










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2008年(平成20年) 長崎平和宣言

2008-08-09 11:02:00 | 戦争と平和
 あの日、この空にたちのぼった原子雲を私たちは忘れません。
 1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機が投下した一発の原子爆弾が、巨大な火の玉となって長崎のまちをのみこみました。想像を絶する熱線と爆風、放射線。崩れ落ちる壮麗な天主堂。廃墟に転がる黒焦げの亡骸。無数のガラスの破片が突き刺さり、皮膚がたれさがった人々が群れをなし、原子野には死臭がたちこめました。
 7万4千人の人々が息絶え、7万5千人が傷つき、かろうじて生き残った人々も貧困や差別に苦しみ、今なお放射線による障害に心もからだもおびやかされています。
 今年は、長崎市最初の名誉市民、永井隆博士の生誕100周年にあたります。博士は長崎医科大学で被爆して重傷を負いながらも、医師として被災者の救護に奔走し、「原子病」に苦しみつつ「長崎の鐘」などの著書を通じて、原子爆弾の恐ろしさを広く伝えました。「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という博士の言葉は、時を超えて平和の尊さを世界に訴え、今も人類に警鐘を鳴らし続けています。


 「核兵器のない世界に向けて 」と題するアピールが、世界に反響を広げています。執筆者はアメリカの歴代大統領のもとで、核政策を推進してきた、キッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長の4人です。
 4人は自国のアメリカに包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を促し、核不拡散条約(NPT)再検討会議で合意された約束を守るよう求め、すべての核保有国の指導者たちに、核兵器のない世界を共同の目的として、核兵器削減に集中して取り組むことを呼びかけています。
 これらは被爆地から私たちが繰り返してきた訴えと重なります。
 私たちはさらに強く核保有国に求めます。まず、アメリカがロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません。世界の核弾頭の95%を保有しているといわれる両国は、ヨーロッパへのミサイル防衛システムの導入などを巡って対立を深めるのではなく、核兵器の大幅な削減に着手すべきです。英国、フランス、中国も、核軍縮の責務を真摯に果たしていくべきです。
 国連と国際社会には、北朝鮮、パキスタン、イスラエルの核兵器を放置せず、イランの核疑惑にも厳正な対処を求めます。また、アメリカとの原子力協力が懸念されるインドにも、NPT及びCTBTへの加盟を強く促すべきです。
 我が国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務があります。日本政府は朝鮮半島の非核化のために、国際社会と協力して北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を強く求めていくべきです。また、日本国憲法の不戦と平和の理念にもとづき、非核三原則の法制化を実現し、「北東アジア非核兵器地帯」創設を真剣に検討すべきです。


 長崎では、高齢の被爆者が心とからだの痛みにたえながら自らの体験を語り、若い世代は「微力だけど無力じゃない」を合言葉に、核兵器廃絶の署名を国連に届ける活動を続け、市民は平和案内人として被爆の跡地に立ち、その実相を伝えています。医療関係者は、生涯続く被爆者の健康問題に真摯に対応しています。
 来年、私たちは広島市と協力して、世界の2,300を超える都市が加盟している平和市長会議の総会を長崎で開催します。世界の都市と結束して、2010年のNPT再検討会議に向けて核兵器廃絶のアピール活動を展開していきます。国内の非核宣言自治体にも、長崎市が強く呼びかけて活動の輪を広げていきます。
 核兵器の使用と戦争は、地球全体の環境をも破壊します。核兵器の廃絶なくして人類の未来はありません。世界のみなさん、若い世代やNGOのみなさん、核兵器に「NO!」の意志を明確に示そうではありませんか。


 被爆から63年が流れ、被爆者は高齢化しています。日本政府には国内外の被爆者の実態に即した援護を急ぐよう重ねて要求します。
 ここに原子爆弾で亡くなられた方々の御霊の平安を心から祈り、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。



2008年(平成20年)8月9日 
長崎市長 田 上 富 久
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明日8・10、恒例の東京湾大華火祭

2008-08-09 07:58:58 | 防災・減災
明日、中央区主催の恒例、東京湾大華火祭が開催されます。

打ち上げられる華火の規模は、すごく大きく、
空一面が、一つの華火に彩られます。

今年は、大規模マンション群が、
中央区の仲間入りをし、
その人口増に対応した警備・誘導ができるかどうか、
ひとつの課題です。

継続課題としては、
がん・難病の子ども達を、
その体力・治療の状況に十分配慮しつつ
華火鑑賞にご招待できないかということが
あります。
周辺企業の皆様で、場所を貸してくださる方は
おられないでしょうか。

華火大会では、
例年医療救護班で参加していましたが、
昨年、今年と、消防団で警備・誘導に参加します。

70万人以上が、参加する華火大会。
この群集には、例年圧倒されます。
華火が終わってからの、人の波は本当にすごいものがあります。
災害時の、帰宅困難者の人の波は、これ以上であるということで、
一つの“擬似災害”想定訓練とみなすことができます。

いつも出るのは、急性アルコール中毒。
患者発生ピークは、華火祭終了1時間後の午後9時半ごろ。
以前、私は、呼吸まで止めてしまう患者を診たから要注意だと思っています。
大きな事故なく、
真夏の日の空の芸術を、
多くの区民、都民の皆様が
楽しむことができますように願っています。
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