子曰わく、朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可(か)なり。(第四 里仁篇 八)
訳:私は、朝、わが国が慈愛と寛容の政治を採用すると聞いたなら、昼間にそれをたしかめ、その日の夕方に死んだって悔いはない。(佐久 協 氏)
訳:先生が、いわれた。「その朝に真実の道をきくことができたら、夕暮に死んでも本望なのに」(貝塚 茂樹 氏)
孔子の言葉であるが、
高校時代、私の友人は、「道」を、
「美しい解答を導き出す数学の問題」に当てはめ、
そのような数学の問題に遭遇したなら、
夕方死んでもいい、と冗談で言っていた。
その彼は、某大学に合格し、希望通り、宇宙工学を専攻、
企業に勤めた後、父親の後をついで、和歌山で、
事務機器の販売の会社を経営している。
親友の一人である。
私にとって、「道」のところにあてはまるものは、
書物と、いったところだろうか。
読み始めると、時間を忘れて、
吸い込まれてしまう書物にであったなら、
夕方死んでもいいという満足を得る。
(死んでしまったら、もう本は読めないのだけど。。。)
8/25もまた、そのような書物に出会えた。
早稲田大学教授 坪井善明(つぼいよしはる)氏著の、
『ヴェトナム新時代ー「豊かさ」への模索』(岩波新書)
坪井先生は、私達に、月に一度程度のペースで、
ゼミを開催くださる。
毎回、その推薦図書やゼミは、
学問する喜びを私達に与えてくれる。
その坪井先生のご本人の著書に感動。
さて、『ヴェトナム新時代ー「豊かさ」への模索』
ヴェトナム戦争とは?ヴェトナムの現状、ASEANの位置づけなど、
非常に分かりやすく説明くださっている。
吸い込まれて一気に半分読んだ。
頭のもやが、すっきり晴れる貴重な体験をした。
ヴェトナムから、アジアが理解できたような気がする。
そんな折、仲間の医師にたまたま、携帯電話したら、
「今、ホーチミンにいる。」だって。
ヴェトナムが、とても身近に感じられた一日でもあった。
訳:私は、朝、わが国が慈愛と寛容の政治を採用すると聞いたなら、昼間にそれをたしかめ、その日の夕方に死んだって悔いはない。(佐久 協 氏)
訳:先生が、いわれた。「その朝に真実の道をきくことができたら、夕暮に死んでも本望なのに」(貝塚 茂樹 氏)
孔子の言葉であるが、
高校時代、私の友人は、「道」を、
「美しい解答を導き出す数学の問題」に当てはめ、
そのような数学の問題に遭遇したなら、
夕方死んでもいい、と冗談で言っていた。
その彼は、某大学に合格し、希望通り、宇宙工学を専攻、
企業に勤めた後、父親の後をついで、和歌山で、
事務機器の販売の会社を経営している。
親友の一人である。
私にとって、「道」のところにあてはまるものは、
書物と、いったところだろうか。
読み始めると、時間を忘れて、
吸い込まれてしまう書物にであったなら、
夕方死んでもいいという満足を得る。
(死んでしまったら、もう本は読めないのだけど。。。)
8/25もまた、そのような書物に出会えた。
早稲田大学教授 坪井善明(つぼいよしはる)氏著の、
『ヴェトナム新時代ー「豊かさ」への模索』(岩波新書)
坪井先生は、私達に、月に一度程度のペースで、
ゼミを開催くださる。
毎回、その推薦図書やゼミは、
学問する喜びを私達に与えてくれる。
その坪井先生のご本人の著書に感動。
さて、『ヴェトナム新時代ー「豊かさ」への模索』
ヴェトナム戦争とは?ヴェトナムの現状、ASEANの位置づけなど、
非常に分かりやすく説明くださっている。
吸い込まれて一気に半分読んだ。
頭のもやが、すっきり晴れる貴重な体験をした。
ヴェトナムから、アジアが理解できたような気がする。
そんな折、仲間の医師にたまたま、携帯電話したら、
「今、ホーチミンにいる。」だって。
ヴェトナムが、とても身近に感じられた一日でもあった。