以下、ネットで、陸山会事件有罪判決について、有識者の皆様が述べられていた見解をこちらでも掲載致します。
賛否両論を入れたいとも考えていますが、有罪判決に否定的な見解のほうが多く私は見出します。
@nobuogohara 郷原信郎氏
九州電力第三者委員会も、昨日の最終報告書公表で、一応終わり。ようやく、陸山会事件の判決要旨を読んだ。唖然としたとしか言いようがない。こんな刑事判決があり得るのか。検察の立証をベースにしてきた従来の刑事司法を、(悪い意味で)根底から覆し、裁判所が、勝手な判断ができるのといえる
検察がストーリーを固定化して、それに沿う調査を不当な手段でとろうとするのも問題だが、それ以上に、その調書すら必要とせず、裁判所が、推測や憶測で勝手に事実を認定するようになったら、不十分とはいえ、検察という組織のハードルがかかるのと比較して、さらに事態は悪化する。
今回の事件では、裁判所は、検察が用意した検察官調書という料理を食べないでが推測、憶測で料理を作り上げた。こういうことがまかり通るのであれば、検察官は、適当な証拠で取りあえず起訴すれば、有罪判決もあり得るなることもある、ということで、無責任な起訴がまかり通ることになってしまう。
@kenichiromogi 茂木健一郎氏
社説を書いた人、頭か性格か、どちらかが(両方とも?)悪すぎる。先の大戦で戦争続行を煽っていた時と変わらぬ。判決が、司法の原理原則に照らして適切なのか、そちらの方がよほど社説のテーマとしてはふさわしいでしょ。 @amneris84 朝日新聞社説、小沢氏を早く証人喚問しろと尻叩き。
@shuntorigoe 鳥越 俊太郎氏
陸山会関係の裁判について。判決の最大の問題は水谷建設からの五千万円2件をなんの証拠調べもせずに断定していること。カネは必ずどこから持ち出したかと、渡したカネはどこに行ったか、入りと出が証拠で確認しなければならない。これは捜査の常識。とんでもない作文判決だ!
@minorucchu ジャーナリスト 田中稔氏
陸山会の政治資金をめぐる小沢一郎氏の3秘書に対する判決は,やはりどう考えてもおかしい。裁判長の前歴など検察・法務官僚とのつながりの線が浮上。江川紹子的な論も含めて両論併記だが、編集作業に入る。「司法ムラ」の闇を暴け、と。
*ブログ:弁護士落合洋司(東京弁護士会)の「日々是好日」
陸山会事件が改めて提起した共謀の問題 http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20111002#1317550807
*****産経新聞(2011/10/03)***** http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111003/crm11100302580002-n1.htm?utm_source=MSN%E7%94%A3%E7%B5%8C&utm_medium=MSN%E7%94%A3%E7%B5%8C&utm_term=MSN%E7%94%A3%E7%B5%8C 【正論】 評論家・屋山太郎 小沢氏よ、議員の資格はないぞ 2011.10.3 02:57 政治資金規正法違反で秘書3人が有罪判決を受けたというのに、親分の小沢一郎元民主党代表が議員辞職もしない厚顔には驚く。傘下の議員たちが集まって小沢氏を激励したというのにも呆(あき)れる。 10月には小沢氏自身の裁判も行われる。氏が検察審査会に強制起訴された際、傘下の議員らは「素人による審査には問題がある」と批判したが、政治家はいつも素人に分かる行動を取るのが常識だろう。「素人にはそう受け取られてしまうのか」と悟った時点で、議員の資格はないと知るべきだ。 ≪指導者は「李下に冠正さず」≫ 小沢氏は記者会見で、4億円の土地は小沢一郎名義になっているが、政治団体『陸山会』のものだとし、「ここに確認書がある」と断言した。その後の秘書たちの裁判の経緯をみると、問題の土地は「融資で買った」から、「遺産で購入した」へと変遷している。小沢氏は、「確認書」についてだけでいいから、国民の誰にでも分かるように説明してもらいたい。 この土地購入が政治資金規正法違反事件に発展してきたとき、傘下の総務相(当時)、原口一博氏は、裁判で決着が付くまでは「推定無罪だ」と強弁した。推定無罪というのは、下々が疑いをかけられたときの話であり、政治指導者は「李下に冠を正さず」の精神が不可欠だ。「疑わしきは罰せず」ではなく、「疑いをかけられたら退く」のが指導者の道である。 私は岸信介氏以来の首相を見てきたが、田中角栄氏を除いては、皆、質素な家に住み、生活態度も立派だった。池田勇人氏は首相になると、料亭、ゴルフ通いを自らに禁じた。福田赳夫氏は終生、別荘を持たない主義だった。中曽根康弘氏は借家に住んでいた。彼らに共通していたのは、文武両道をたしなむという精神と贅沢(ぜいたく)を恥じる心を持っていたことである。 しかし、田中角栄氏は権力をカネづくりに利用し、途方もない御殿を建て、子分を増やすためカネをばらまいた。子分が増えれば、より大きな権力を●(つか)むことができたからだ。こうして角栄氏は数の力で首相の座を射止めた。その大金をどのようにして集めたか。土地転がしである。当時は新幹線、高速道路と“インサイダー取引”のやり放題だった。が、その錬金術師もロッキード事件で躓(つまず)く。 ≪角栄氏の権力手法と瓜二つ≫ 起訴されて無所属になり、自民党周辺居住者となりながらも、同党内に140人の“田中軍団”を維持した。この派閥の力で鈴木善幸政権と、田中曽根内閣といわれた中曽根政権をつくった。角栄氏は鈴木、中曽根両氏に、総理の権限を使って指揮権を発動し、自分を助けてくれと期待していた。 田中角栄氏を持ち出したのはほかでもない。小沢一郎氏がしていることが瓜(うり)二つだからだ。違うのは、角栄氏が起訴されてすぐに離党したのに対し、小沢氏は恬(てん)として恥じず居座っている点だ。 政治家や社長が贅沢をしても、欧米では非難されることは比較的少ないが、日本では蔑(さげす)まれる。 その根源は、江戸時代上期の儒学者、山鹿素行が説いた武士道にある。山鹿は、戦国時代から各藩に伝わっていた家訓を集めて体系化した。山鹿が言ったのは武士は農、工、商が働いているのに、何もせずに彼らを支配しているのだから、質素に生き、品格を高め、教養を積めということである。 武士道というと、戦闘精神を鼓舞するというので戦後は禁句とされたが、武士道は戦国時代が終わってから体系化され、江戸時代には、武士たちが寺子屋を通じてその精神を庶民にも広めた。佐賀の「葉隠」は「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名だが、その真意は戦うことではない。「いつ死んでも悔いのないように立派に生きよ」ということである。 ≪2人に欠落する武士道精神≫ 武士道精神の神髄は「潔さ」である。ちなみに、中国には「潔」という字があるが、衛生的に「清潔」という意味であって、日本人が尊ぶ「潔さ」とは全く違う。 「恥を知る」という精神も武士道の神髄の一つである。アメリカの政治学者ハンチントンが日本を一国一文明の国であると規定したのは、精神文化が中華圏とは明らかに異なると認識したからだ。 政治家にとって、この日本人の精神文化は必須である。それは政界だけでなく、企業社会にも定着している。欧米では、企業のトップの給与が社員平均の二、三百倍というケースはザラにあるが、日本の社長の場合は、10倍程度だろう。社長が工員服を着てヘルメットを被(かぶ)り、工場や現場に行くのも日本で多くみられる風景だ。 「武家の商法」という言葉もある。武家は権力を握っているのだから、ソロバンは教えないのが普通だった。だから、商売に手を出せば損をしたというのである。 田中角栄、小沢一郎の両氏は、この日本精神を全く持ち合わせていない。小沢氏の政治生命はもはや尽きた。トロイカ体制が終わることで、民主党は政権政党らしくなるだろう。中曽根首相は角栄氏に議員辞職を求めた。野田佳彦首相も小沢氏に議員辞職を求めよ。(ややま たろう) ●=掴の旧字体
*陸山会事件の東京地方裁判所(登石郁朗裁判長)有罪判決について、各紙の見方
http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/7744136b3d5912cfbc65a1e6565650ae