「クサカンムリにアキ」、「萩」は秋の草を代表していそうだ。この字は和製漢字だという。よほど日本人の思いが込められた花だったのだろう。万葉集にも萩を詠んだ歌は数多く残されている。
ようやくひと息つけて、小さく細かな花をつけた萩の花の風情にも心寄せられる日がやってきたような気がする。優しげに、風にそよぐ様は静かな秋の装いにふさわしい。好きな一句がある。
ほろほろと秋風こぼす萩がもと 召波
萩と言えば、奈良の白亳寺がよい。参道の両側からしなやかな枝が伸び、こぼれんばかりの細かな赤や白い花をつけて、閑静な寺は迎えてくれる。二十歳ぐらいで訪れて、築地の土塀がところどころ破れた冬枯れの石畳の階段を上がったのが最初だった。以来、萩だけを観に何度か訪れ、新薬師寺へと回って歩く。
萩の花ことばは「想い」だそうな。静けさの中で何かに耳を傾けるにふさわしい場所、かもしれない。一人でいくのが良いところ、かな。
外出ついでに立ち寄ってみたのは、年に一度だけ鳥居をくぐる、京都御苑の東側にある梨木神社。健礼門前を東へ進み、清和院御門を出ると大きな鳥居が目に入る。この時期は萩の枝に結んだ短冊が揺れている。花の見ごろはまだ少し先のようだった。
細い首を絞められて失神状態なんてことではあるまいね。草木はものを言うとか、忘れてはいまいか。白洲正子さんは言っていた、「花にも魂があることを忘れていた」と。それとも、そんな心配など無用の「真逆」で、花も喜んでいるのかしら…。
俳句の趣味を云々するのではない。できれば短冊などないほうがいいと思うが、それも身勝手なのかもしれない。