興膳宏氏の『漢語日暦』11月1日の項には、「古典」の言葉が挙げられている。
古典の「典」は、人が生きてゆくために則(のっと)るべき規範を指していたこと。今では古典と言えば、「長く読み継がれる、価値ある書物」の意に拡張して用いられるようになったことなどが解かれている。
「自分にとって大切なもの、心に残ることが、ほかの人には何の感動も呼ばないということは珍しくない」
石垣りんさんのこの言葉に触れたとき、軽いショックを覚えたものだ。
そうだ、珍しくない。立場を変えてみたってわかることだ。でもこうズバッと言われてしまうとかわしようがなく、クスッとさせられもした。

人は誰もが、それぞれに、自分だけの興味や関心の世界をもって生きている。必然、それによって情報の選別だってなされる。
その人の独特なフィルターを通して心の揺らぎや感覚、思念が言葉にされる。表現されたものを理解しようと、わずかな言葉にも探りをかける。
要は、「違う価値観の中にも『わかる』と思う部分」を探したりしているのか。自分の経験を重ねて考える。と、他者との違いを知る。
それは、自分が見えてくるってことなのでしょうか…。
「古い物語の魅力は、人々の間に伝えられ、読み直され、語り直されてきた魅力だ。古い物語は、人々がそこに、自分の経験を読み込む場所なのだ」(長田弘)
古典に限らず、秋の夜長に一冊の本を読んで、自分の人生に引き寄せて考え、会話して、胸に残った一節を切り取って、言葉にして、それを楽しみたい。
いいね集めより、ずっと豊かな時間です。と、どなたかが言われていたっけ。今日は本の日でもあるらしい。
12年に一度の御開帳ですって。
古典の「典」は、人が生きてゆくために則(のっと)るべき規範を指していたこと。今では古典と言えば、「長く読み継がれる、価値ある書物」の意に拡張して用いられるようになったことなどが解かれている。
「自分にとって大切なもの、心に残ることが、ほかの人には何の感動も呼ばないということは珍しくない」
石垣りんさんのこの言葉に触れたとき、軽いショックを覚えたものだ。
そうだ、珍しくない。立場を変えてみたってわかることだ。でもこうズバッと言われてしまうとかわしようがなく、クスッとさせられもした。

人は誰もが、それぞれに、自分だけの興味や関心の世界をもって生きている。必然、それによって情報の選別だってなされる。
その人の独特なフィルターを通して心の揺らぎや感覚、思念が言葉にされる。表現されたものを理解しようと、わずかな言葉にも探りをかける。
要は、「違う価値観の中にも『わかる』と思う部分」を探したりしているのか。自分の経験を重ねて考える。と、他者との違いを知る。
それは、自分が見えてくるってことなのでしょうか…。
「古い物語の魅力は、人々の間に伝えられ、読み直され、語り直されてきた魅力だ。古い物語は、人々がそこに、自分の経験を読み込む場所なのだ」(長田弘)
古典に限らず、秋の夜長に一冊の本を読んで、自分の人生に引き寄せて考え、会話して、胸に残った一節を切り取って、言葉にして、それを楽しみたい。
いいね集めより、ずっと豊かな時間です。と、どなたかが言われていたっけ。今日は本の日でもあるらしい。
12年に一度の御開帳ですって。
