京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

平重衡の墓(塚)

2022年06月21日 | こんなところ訪ねて
鴨長明が『方丈記』を記したとされる方丈の庵跡を訪ねるために地図を確認していた時、
近くに平重衡の墓と記された場所があるのに気づいた。

『平家物語』の展開には疎いし、関心もさほどなのだが、平重衡(清盛の5男)による南都焼打ちを題材にした歴史小説『龍華記』(澤田瞳子)はとても興味深く読んでいた。
だから、こんなところにあるのかと大発見したような気分だった。道筋からそう遠く外れてはいない。暑い日だったが、立ち寄ったのだ。




家を焼かれ、親兄弟を失った者の苦しみや憎しみは、南都が復興しつつあっても消えることがない。

ただ、奢れる者久しからずの理、一の谷の合戦で捕縛された重衡は鎌倉に拘束された。
重衡は南都の怨敵。罪人は南都の手で断罪したいと引き渡しを請願した。
それが認められ、迎え役に当てられ、そして処刑役として太刀を振りかぶったのが主人公範長だった。
範長は、「憎しみに憎しみで応ずるやり口は、新たな哀しみと怒りの連鎖を呼ぶだけ」といつしか仲間を離れていた。
処刑前夜、二人は言葉を交わし、重衡も怯えと悔いに心さいなまれ続けたことを知る。

「ここに参る道中、わずかに許され、西国で生き分かれた妻と日野にて別辞の時を持てた」


そうか。首は「般若寺門前に掲げられた」とあったが、引き取られたのか。

憎しみの輪廻からの解脱。ではどうすれば…。「いつの世も憎しみは血を塗ったかの如く際立ち、他者を思う祈りはやわらかであるがゆえに野辺の花の如く小さい」
「世人は常に相争い、定かなるものは世に乏しい。さりながらそんな不定の浮き世にあっても、何かを希(こいねが)う人の祈りだけはいかなる時も変わりはしない」

今夜のクローズアップ現代、〈桑田佳祐 いま音楽でできること〉と題したインタビューの中で結ばれた言葉が重なってきた。
〈行動し続ければ、答えは風の中に見つかるかもしれない〉
以前カーラジオで聞いたチャリティソング「時代遅れの。。。」、心に響きますなあ。

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2 コメント

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平重衡 (Rei)
2022-06-23 11:22:34
鎌倉に送られてそののち斬首されるのですが
きれいにお墓が保存されていますね。

「方丈の庵跡をたずねて」日野の里は京都市内ですか?
ブログは拝見しましたが
写真で拝見するとずいぶん山奥のようです。
健脚でいらっしゃいますね。
方丈記も読んでいなくて、コメントできません。
私にはむつかしすぎるようなので。
澤田瞳子さんの「龍華記」文庫本が出ているので
アマゾンに注文しました。
これなら私にも読めそうです。
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澤田作品で Reiさん (kei)
2022-06-23 15:56:10
『龍華記』を読んだことで重衡の名前も記憶されているくらいでして、
「平家物語」での美しい語りなどには疎いので、
私にとっては思わぬ発見?、収穫でした。
市内、伏見区になります。

『龍華記』には運慶も登場。
後日読んだ梓澤さんの『荒仏師 運慶』は、『方丈の孤月』以上に堪能しました。
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