京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

心得違いこれ無きよう

2024年10月18日 | 日々の暮らしの中で

積ん読崩しではないけれど、買い集めた乙川作品時代小説を読み続けている。

幼いころから身売り同然で丁稚奉公にあがり、十年の年季明けと同時にやめたのに始まり、職を転々とし続け、挙句は何もかもが鬱陶しくなり…と言った男や、手代として奉公していながら、店の金を盗んで逃げてしまう男とか…。

生きるのが下手な人間たち、市井の隅っこで暮らす貧しい人間や窮地に陥った人間が、ギリギリのところで生きる力をとり戻して生き直そうとする姿が描かれる。最後のいさぎよいほどの展開での終り方にも、余情の中で想像の世界を広げてくれる。希望を感じ取れば緊張した気持ちが緩むのを感じる。

必要あって古い資料の探し物をしていたら、杉本新左衛門秀明が呉服商として1743年に京都市四条烏丸に開業した奈良屋さんに関係した記事があった。

経営の才に長けた3代目・杉本新左衛門は店員の訓練に大変な注意を払い、自ら店員の指導書「教文記(きょうもんき)」を書き定め、それは以降の奈良屋を支え続け、道の種となって今に残されているという。

〈(中略)父母の恩徳は産み落とすよりも懐に抱き、仮寝の床に臥すとも我は濡れたる方へ、
乾ける方へ児を寝させ三伏の夏の夜も冬の寒きも肌に添え、親の恩恵の深き事しばらくも忘れず奉公大切に勤められ、身も心も親より預かりし一生大切な形見と心得る事、孝経の教えの御教育有り難く存じ候(中略) 
教えに随い少しも私なく正直正路を基として奉公大切に相勤め候はば、忠孝の道にかない申すべく候間、心得違いこれ無きよう頼み入り候〉(抜粋)

毎月朔日の夜、全店員を一室に集め、上役が読み上げて聞かせたのだそうな。
読み上げるたび、耳にするたびに、たとえ少しずつでも心に深く届くようになり、みなが一つになって励めるように。

物語中の鹿蔵や矢之吉は失敗はしたが、
「生きてさえいりゃあ、どんな人間だって変わることができる。生きている間に変わらなきゃ意味がねえからな」と矢之吉(でも彼は死んでいた)。
「辛いことは誰にでもいろいろある。一つひとつ乗り越えてゆくしかない。人間はみんなそうやって生きてゆくのよ」


お地蔵さんの耳は、一度に何人もの話を聞いておいでだとか。

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