比叡山の西麓にある詩仙堂、曼殊院、修学院離宮を過ぎて赤山禅院のあたりを南から北(あるいは北から南)へ歩くのが、私が好む散策コースの一つになる。
時には勘を頼りに、初めての道を選んでみる。不安を覚える頃に、前方に見覚えのある建物や店舗が見えてほっとする一幕もあるが、まあ、歩いてさえいれば道はどこかに通じている。
昨夜来の雨が上がって、薄日が差し始めた。秋晴ればかりが良いのではないだろう。
曼殊院の白壁に土塁と、雨上がりの微妙な光を受けてしっとりと生きづく苔との調和もまた一興という感じだった。楓の青さは、はっきりしない天候を少し晴らしてくれるものだった。
何度も訪れて拝観もしているので今日はソ~リ~、ソ~リ~と心の中で手を合わせ、『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台、林丘寺が見える道へと抜けた。何やら草が茫々としている。
そして赤山さんを目指して。
赤山大明神とある石の鳥居をくぐって
「赤山明神 是より不一」とした先に見えてくる門には、「天台宗修験道本山管領所」と看板が掛かっている。
「叡山で行をするひとびとの本締めでもあるのだろう」
「赤山(せきざん)という変な漢音の名称の赤山明神(禅院)」。寺なのか神社なのか。
本来「明神」なのを「禅院」にしたのは、明治初期政府の神仏分離策をごまかすためであったろう。「明神」なら神社にされてしまうが、「禅院」なら寺として残されるから、と司馬さんは『街道をゆく 叡山の諸道』で書いておられる。
緩やかなのぼり道を進むとなにやら大声が響いてきた。マイクを通しているような声だから、威嚇されてるような怖さを覚えるものだった。
ドスの効いた早口で怒鳴り声のよう。「あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい」? と聞き取るものの…。
お参りがあったのか、10人ほどの人たちが出てきたのに合わせて、年配の上品な女性がテント張りの小屋から姿を現し、出くわした私に「お参りありがとうございます」と言葉をかけて下さる。きれいな方だった。
拝殿の屋根の上には猿。「危難ヲ去ル」で、京の東北の鬼門を守るお猿さんだと以前ここで聞いたことがあったような。
少し疲れたのを感じながら、下校時間となった小学生たちと白川通りへと下りた。
開放された子供たちの声に元気づけられて。
時には勘を頼りに、初めての道を選んでみる。不安を覚える頃に、前方に見覚えのある建物や店舗が見えてほっとする一幕もあるが、まあ、歩いてさえいれば道はどこかに通じている。
昨夜来の雨が上がって、薄日が差し始めた。秋晴ればかりが良いのではないだろう。
曼殊院の白壁に土塁と、雨上がりの微妙な光を受けてしっとりと生きづく苔との調和もまた一興という感じだった。楓の青さは、はっきりしない天候を少し晴らしてくれるものだった。
何度も訪れて拝観もしているので今日はソ~リ~、ソ~リ~と心の中で手を合わせ、『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台、林丘寺が見える道へと抜けた。何やら草が茫々としている。
そして赤山さんを目指して。
赤山大明神とある石の鳥居をくぐって
「赤山明神 是より不一」とした先に見えてくる門には、「天台宗修験道本山管領所」と看板が掛かっている。
「叡山で行をするひとびとの本締めでもあるのだろう」
「赤山(せきざん)という変な漢音の名称の赤山明神(禅院)」。寺なのか神社なのか。
本来「明神」なのを「禅院」にしたのは、明治初期政府の神仏分離策をごまかすためであったろう。「明神」なら神社にされてしまうが、「禅院」なら寺として残されるから、と司馬さんは『街道をゆく 叡山の諸道』で書いておられる。
緩やかなのぼり道を進むとなにやら大声が響いてきた。マイクを通しているような声だから、威嚇されてるような怖さを覚えるものだった。
ドスの効いた早口で怒鳴り声のよう。「あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい」? と聞き取るものの…。
お参りがあったのか、10人ほどの人たちが出てきたのに合わせて、年配の上品な女性がテント張りの小屋から姿を現し、出くわした私に「お参りありがとうございます」と言葉をかけて下さる。きれいな方だった。
拝殿の屋根の上には猿。「危難ヲ去ル」で、京の東北の鬼門を守るお猿さんだと以前ここで聞いたことがあったような。
少し疲れたのを感じながら、下校時間となった小学生たちと白川通りへと下りた。
開放された子供たちの声に元気づけられて。